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鍵盤楽器音楽の歴史(48)フランスへのパッサカリアの移入

シャコンヌは早くからフランスのリュート音楽に取り入れられましたが、比べてパッサカリア(パッサカーユ Passacaille)がフランスの作品に現れるのはかなり遅れます。

"Passacaille" という綴りからいって、この言葉は直接スペインから入ってきたものと思われます。17世紀初期にパリで出版されたスペイン系のギター教本に "Pasacalle" が見られますが、これはイタリアの最初期の例と同じく、ごく簡単なコード譜に過ぎません。

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Luis de Briceño, Metodo mui facilissimo para aprender a tañer la guitarra a lo espagnol, 1623, f. 14v.

マザラン卿ことジュリオ・マッツァリーノ (1602 - 1661) は、イタリア人ながらルイ13世の宰相リシュリューの信任を得てフランスに帰化し、ルイ13世の死後は幼いルイ14世の教育係として事実上の宰相となります。彼はイタリア文化をフランスに導入することに積極的でした。

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Le cardinal Mazarin (Pierre Mignard 1661).

彼がイタリアから招聘したルイージ・ロッシ (c1597 - 1653) によるオペラ《オルフェオ》が1647年3月2日にパリで上演されますが、それに要した莫大な出費に対する批判は「フロンドの乱」 (1648 - 1653) を引き起こす要因の1つになります。

劇中のアリア "Mio ben, teco il tormento più dolce" は下降テトラコードのオスティナート・バス(ラメント・バス)によるパッサカリアともいえるものです。

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そのロッシの現存唯一の鍵盤曲である《Passacaille del Seignour Louigi》はフランスとイングランドの写本でのみ伝わっており、この頃パリで作曲されたものと考えられます。

であるとすれば、これがフランスで作曲されたパッサカーユの最古の例であり、さらには17世紀フランスのクラヴサン曲の最古の例かもしれません(イタリア人の作品ですが、リュリだってイタリア人ですし…)。

これも下降テトラコードのバスに基づくポスト・フレスコバルディ時代の典型的なイタリアのパッサカリアですが、フランスのパッサカーユとしても違和感のない作品です。ロッシの作品が後のフランスのパッサカーユの原点である可能性は高いでしょう。

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Ms. Bauyn, vol. 1, f. 60v (95v).


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