イネガル(鍵盤楽器音楽の歴史、第103回)
フランソワ・クープランの第2オルドルは、ニ短調及びニ長調の作品22曲から成り、これはクープランの全オルドル中でも最多となります。やはり前半は舞曲中心で、後半は自由な標題のついたキャラクターピースが並ぶという構成になっています。
第1曲は《アルマンド「苦労」 Allemande La Laborieuse》ニ短調。
この何ともそそられない題名は「勤勉」とも訳せますが、この曲の陰鬱な調子にはポジティブな言葉は不似合いでしょう。
実際この曲はクープランのクラヴサン曲には珍しく対位法的に手の混んだ労作です。彼のオルガン作品が証明するように、クープランは確かな対位法の技術を有しているのですが、クラヴサン曲でそれを披露することはあまりありません。
イソップ寓話の《農夫と息子たち》(Le Laboureur et ses enfants) は、年老いた農夫が死の間際に怠け者の息子たちに「畑に宝物が隠してある」と遺言したため、息子達は畑の隅々まで掘り返すが宝物は見つからない、しかし翌年の収穫は畑がよく耕されたことから大豊作になった、というお話です。
対位法の勉強も無駄ではないということでしょうか。
Heinrich Steinhowel, 1501.
"Sans lenteur, et les doubles croches un tant-soit-peu pointées"(遅くせず、そして16分音符は少しだけ符点気味に)という指示は、いわゆるイネガル Notes inégales のことです。
これは当時のフランス音楽の不文律で、同じ長さの音符が並んでいるパッセージでは、楽譜通りには弾かず、若干「長短長短」というように「スウィング」させるというものです。
普通はこのようにわざわざ指示はされておらず、適宜「良い趣味」に基づいて適用することが求められます。
私見では、我々の自国語の書き方と同じように、我々の記譜法には欠陥がある。つまり我々は実行する通りには書かないのである、そのため外国人による我々の音楽の演奏は、我々が演奏するよりも良くない。これに対しイタリア人は彼らの音楽を演奏して欲しい音価の通りに記譜する。
フランソワ・クープラン『クラヴサン奏法』
なにせ François Couperin と書いて「ふらんそわくーぷらん」と読ませる国ですし。
それからクープランの認識とは異なり、イタリア人も演奏どおりの音価で記譜するとは限りません。
一方の手が8分音符で、他方が16分音符の部分は、速く弾きすぎないようにすること。そしてその16分音符はやや付点して弾くこと、最初の音ではなく2番目から、そして1つおきに。
ジローラモ・フレスコバルディ『トッカータ集 第1巻』第5版序文
この場合は逆に後の音のほうが長くなる、いわゆるロンバルド・リズムで演奏することになります、
イネガルを現代の演奏においてどのように適用するかは悩ましい問題です。さすがにイネガルを完全に無視するという演奏は今日日見られませんが、ただ機械的に付点音符にするのではフランス的曖昧さの象徴とも言えるこの慣習に対して奥ゆかしさに欠けると言わざるを得ないでしょう。
ブランディーヌ・ヴェルレの演奏はあえてイネガルに弾かない箇所の目立つかなり独特のものです。彼女に比べるとグスタフ・レオンハルトはよりコンスタントに付点リズムを用いています。
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