『金の斧、銀の斧』の女神について
正直者の樵が斧を川に落としてしまったところ、水の中から女神が現れ「あなたが落としたのはこの金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?」と尋ねる、というお話は広く知られているところですが、しかしこの女神は何者なのでしょう?
「いらすとや」の説明にもあるとおり、この話は『イソップ物語』に由来するものに違いありません。しかし Perry 173 という索引番号が与えられている当該の寓話において、斧の選択を迫るのはヘルメースであり、そしてもちろんヘルメースは男神です。
Fabulae: Sammlung des Heinrich Steinhöwel, c. 1477/78.
Bewicks select fables of Æsop and others, 1871.
A Hundred fables of La Fontaine, 1900.
このようにヨーロッパでは斧を拾う神はあくまでもヘルメース=マーキュリーであり、女神ではありません。
確認できる中で、この寓話で斧を拾う者を女神とした最初の例は、1907年(明治40年)に出版された、東基吉『子供の楽園 : 教育童話』収録の「金の手斧」です。
まったく和風にアレンジされており、樵の名は「正直正助」、彼が河に手斧を落としてしまい泣いていると、河の中から「美しい女の神様」が現れるというものです。女神もまた和風で弁才天のようですが、弁才天は元を辿ればインドの水の女神サラスヴァティーなので適役ではあります。
同年11月に出版された『新訳伊蘇普物語』の「水神と樵夫」は、本文では性別不明ですが、挿絵は女神となっています。
日本でのイソップ物語の受容は1593年の『エソポのハブラス ESOPO NO FABVLAS』に遡り『伊曽保物語』として江戸時代に広く普及しましたが、「金の斧」のエピソードが見られるのは1875年(明治8年)の渡部温『通俗伊蘇普物語』の第六十六「水星明神と樵夫の話」が最初のようです。
ヘルメースを「水星明神」と訳すのはなかなか秀逸ですが、なぜか「河の守護神」にされています。さらに「水星」の字面は「水」との関わりを強く感じさせ、後に「水神」とされたことに影響を及ぼしているではないでしょうか。
ときに日本における「水神」とはどのような存在なのでしょうか。
日本神話における水神として代表的な神格は、まずミツハノメノカミ(彌都波能賣神、罔象女神)であり、古事記によれば伊邪那美命が火之迦具土神を生んだことで病み臥した際に流した尿に生じた女神です。灌漑の水の神とされます。
そして伊邪那岐命が火之迦具土神を斬り殺した時に流れた血に生じたクラオカミノカミ(闇淤加美神)、クラミツハノカミ(闇御津羽神)。クラは谷、オカミは竜を意味し、雨乞いの対象となります。クラミツハはそれと対を成す神ですが、水神という以外は不明。
それから神話には出てこないものの、大祓詞にその名が現れるセオリツヒメ(瀨織津比賣)がいます。川の瀬における禊を司る女神と考えられます。
また先述の通り弁才天はその出自から水神とされ、水辺に祀られています。
どうも日本では川の神といえば女神という通念が存在するようであり、そのため ヘルメース→水星明神→水神→美しい女の神様 という変遷をたどったのではないでしょうか。
ただし1915年(大正4年)の『内外教訓物語』「金の斧」のように髭を生やした老人として描かれることもあります。これは「神様」のグローバルな表現でしょう。ところで斧を落とした所が「池」であることに注目です。日本では何故かこの話の舞台を川ではなく「池」や「泉」とするものが多く見られます。
大正時代でも日本のイソップ本は和風に翻案されたものが多いですが、西洋風のものも増え、昭和に入ると和風イソップは廃れていきます。児童が西洋文化に親しむようになり、西洋風のほうが受けが良くなったのでしょう。しかしギリシャ神話の知識まで要求するのは酷であったためか、ヘルメースが返り咲くことはありませんでした。女神は疑似西洋化した世界に取り残され、適応を余儀なくされます。
1923年(大正12年)『新訳イソップ物語』「水神と樵夫」の挿絵はかなり抽象的ですが、西洋風の衣装を着た女神のように見えます。そして斧を落としたところは池です。
1926年(大正15年)の『ひらがないそっぷ』「きこりとかみさま」の挿絵の「かみさま」も西洋風のワンピースを着た女性で、斧を落としたのはやはり「いけ」です。
1935年(昭和10年)『天国の鍵 : 日曜学校劇集』「金の斧銀の斧」も洋風ですが「小川の精(美しい女神)」となっています。この「精」という表現もしばしば見かけることになります。
1949年(昭和24年)楠山正雄訳『イソップ物語』は、1916年(大正5年)の本の再版のようです。児童向けとはいい難い、かなり本格的な解説がついており、「和譯イソップ物語年順一覧」などは貴重な資料と言えます。しかしこれもヘルメースではなく女神です。描き込まれた樵夫の絵に対し水の神はラフですが西洋風なのは明らかで、大正5年のものとすれば、あるいはこれが西洋風の女神の最初の例かもしれません。
ホメロスの翻訳で知られる呉茂一による『猫のお医者さん : イソップ物語』1950年(昭和25年)は、流石は西洋古典学者らしく、児童向けでも「ヘルメスさま」を登場させ、簡単な説明も付けています。残念ながら挿絵は有りません。
戦後は白い服を着た金髪の若い女性というのが、この女神の図像のデフォルトになったようです。古代ギリシャ風のイメージを表そうとした結果と思われますが、もちろんこのような女神はギリシャ神話のパンテオンには存在しません。強いて言えば水の精であるナーイアスが該当しますが、直接的にはジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1849–1917) の〈ウンディーネ〉(1872年) あたりにこの女神像の源流が求められるのではないかと思います。
John William Waterhouse, "Undine," 1872.
一方、長い髭を生やした白髪の老人の神様も若干見られますが、翼の生えた兜をかぶったヘルメースが樵の前に現れることは日本では殆ど無いと言っていいと思います。おそらくこの誰もが知っている、しかし誰もその名を知らない水の女神は、今後も日本の児童書に斧を手にして現れるのでしょう。
ところでインドの本でも斧を拾うのは女神であることが多いようです。これも川の神といえば女神というお国柄故でしょうか。
An Honest Woodcutter and other stories, ISBN: 978-81-7920-520-4
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