おまえの弟のフォルテピアノのフリューゲルは私が来てから少なくとも12回は劇場や他所の家に運ばれた。あいつは大きなフォルテピアノ・ペダルを作らせてフリューゲルの下に置いているが、3スパンほど長く、そしてものすごく重い。
Leopold Mozart an Maria Anna von Berchtold zu Sonnenburg in Salzburg, Wien, 12. März 1785. https://dme.mozarteum.at/DME/briefe/letter.php?mid=1419 1 span = 9 inch = 22.86 cm
この父レオポルトの手紙にあるように、モーツァルト愛用のヴァルターのピアノには、特注のペダル・ピアノが付随していました。しかし残念ながら、こちらはその後行方不明となり現存しません。おそらくは以下のような感じのものだったのでしょう。
Pedal-Hammerflügel mit Bank, Joseph Brodmann, Wien um 1815. Wien, Kunsthistorisches Museum, Sammlung alter Musikinstrumente (Neue Burg), Inv. Nr. SAM 646. Maison Erard, 1889. https://collectionsdumusee.philharmoniedeparis.fr/doc/MUSEE/0160069 ヨーゼフ・フランクという医師による1790年にモーツァルトのレッスンを受けたときの回想では、彼のペダル・ピアノについても言及されています。
モーツァルトは大きな頭と肉付きの良い手をした小男で、私は幾分冷ややかに迎えられた。「では」彼は言った「何か弾いてみてください」。それで私は彼の作曲したファンタジアを弾いた。「悪くないね」驚いたことに彼はそう言った。「それでは今度は僕が弾くので聴いてください」そして奇跡が起きた。そのピアノは彼の手の下ではまるで別の楽器となった。それは彼がペダル用に使っているもう一つのピアノによってなお一層強められた。
Robert Eduard Prutz, Deutsches Museum, Vol. 2, p. 27. モーツァルトが生前に出版したファンタジアは《ソナタ 第14番 ハ短調 K. 457》とセットで出版された《ファンタジア ハ短調 K. 475》だけなので、これが弾かれたに違いありません。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/294002 このファンタジアの自筆譜は1990年7月31日にペンシルバニアのイースタンカレッジで関係ない書類を探しているときに偶然発見されました。これを見ると彼が後から調号を削除していることがわかります。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/562643 この前奏曲の域を逸脱した長大なファンタジアは、モーツァルトのピアノ独奏曲の中でもとりわけ奇妙な作品です。夢見るようなエピソードの連鎖にはW.F.バッハを思わせるところがありますが、冒頭の主題はJ.S.バッハ『音楽の捧げ物』のオマージュかもしれません。
モーツァルトは足鍵盤の使用を楽譜に明示したことはありませんが、本作について言えば譜面上でも低音でオクターヴを重複させているところが多く、無難な足鍵盤の使い所を見出す事自体は難しくありません。もっとも現代でペダル・ピアノを演奏できる機会は滅多にないでしょうが。
この手の楽器は本来的にはオルガニストの練習用であって、足鍵盤クラヴィコードはドイツでは古くから用いられていましたし、モーツァルトの時代でも現役でした。練習用であれば音が小さいのはむしろ美徳です。
Johann David Gerstenberger, 1760 Museum für Musikinstrumente der Universität Leipzig https://mimo-international.com/MIMO/doc/IFD/OAI_ULEI_M0000023 一方モーツァルトのペダル・ピアノはコンサートで用いる表道具でした。1785年2月11日にウィーンに来訪したその日にレオポルトが聴いた《ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K. 466》の初演でも、巨大なペダル・ピアノの上で指揮と独奏をこなすヴォルフガングの勇姿が見られたでしょう。そして「ものすごく重い」と言っているからには、その後何度か運ぶのを手伝わされたのだと思います。
Viena, Gesellschaft der Musikfreunde, VII 3405, nuevo A 160. しかし演奏会で特注のピアノを駆るモーツァルトも、プライべートでは幼少時から親しんだクラヴィコードを愛用していたようです。
1762年にモーツァルト一家がヨーロッパを巡る大旅行に出かける際にシュタインから購入した旅行用のクラヴィコードが、今もブダペストのハンガリー国立博物館に所蔵されています。フレット式で音域は C–f3。モーツァルトはこのクラヴィコードを1778年頃まで使用していたようですが、その後、妻のコンスタンツェの実家のヴェーバー家に譲られ、コンスタンツェの妹のゾフィーと共にハンガリーに渡って現在に至ります。
"Mozart's travelling clavichord," Johann Andreas Stein, 1762. https://boalch.org/instruments/instrumentprofile/1908 ザルツブルクのモーツァルトの生家の博物館に展示されている作者不明の5オクターヴのフレットフリー式クラヴィコードは、モーツァルトが晩年に使用していた楽器で、本来はコンスタンツェのものであったようです。モーツァルトの死後には末子のフランツ・クサヴァー・モーツァルト(1791-1844)が使用しましたが、1829年にコンスタンツェの元に戻り、彼女は8月11日の日記にこのように記しました。
Mein liebes Clavier |: worauf Mozart so viel gespielt und componirt hat als die zauberflöte, la Clemenza di Tito, das Requiem und eine freimaurer Cantate :| Erhalten; wie sehr froh ich darüber bin, bin ich nicht im stande zu beschreiben. Mozart hatte dies Clav. so lieb, und deßwegen habe ich es doppelt lieb. わが愛しのクラヴィーアを受け取った(これでモーツァルトは『魔笛』、『皇帝ティートの慈悲』、『レクイエム』、そして『フリーメーソンのためのカンタータ』などを演奏し作曲した)。この喜びは言いようもない。モーツァルトがこのクラヴィーアをとても愛していたがために、私はなお一層愛する。
Bauer-Deutsch IV, no. 1438. © Internationale Stiftung Mozarteum https://presse.wien.gv.at/2014/10/28/mozarthaus-vienna-mozarts-clavichord-in-wien このクラヴィコードは現在も演奏可能で、クリストファー・ホグウッドのCDのトラック10-15でその音を聴くことができます。
Christopher Hogwood, The Secret Mozart, 2006.