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ピアノの誕生、後編:クリストフォリの現存楽器(鍵盤楽器音楽の歴史、第149回)

クリストフォリのピアノは3台が現存しています。

1720年製、ニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/501788

1722年製、ローマ、国立楽器博物館所蔵。

http://museostrumentimusicali.beniculturali.it/index.php?en/141/the-cristofori-piano

1726年製、ライプツィヒ大学楽器博物館所蔵。

https://mfm.uni-leipzig.de/ru/dasmuseum/exponate/Cristofori170.php

このうちメトロポリタン美術館の楽器は現在も演奏可能な状態にあり、これを使用した録音もいくつかあります。

しかし残念ながら、この個体は後の大幅な改造により原形をとどめておりません。

まず、本来は FF GG AA-c3 の音域だったのですが、いつの頃か音域を高域側にシフトする改造が行われ C-f3 にされています。

この楽器は1872年に再発見されて注目を集め、1873年には詳細なアクションの図が作成されました。しかしこれに描かれているハンマーヘッドの形はおそらく後代のもので、この時点で本来のハンマーヘッドは失われていたと思われます。

ハンマーラックには1875年の修理の署名がありますが(Restaurato l'Anno 1875 / da Cesare Ponsicchi / Firenze)、この時の修理内容は不明。ハンマーの革のヒンジやネジなどはオリジナルのものではありませんが、1873年の図に既に見られます。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/501788

最大の悲劇は、1938年に有名な音楽学者のクルト・ザックスの監修で行われた修理です。この際に響板、ブリッジ、ナット、弦、底板、低音部のレストプランクなどが交換され、しかもオリジナルの部品は断片を残して失われました。これは現代の文化物保護の観点からはもちろん、響板を楽器の魂と見る伝統的な価値観からいっても、まったく言語道断の蛮行です。

したがって演奏可能なオリジナル楽器とはいえ、この楽器からクリストフォリが意図した音を聴くことはもはや期待できないでしょう。

まだしも現代の復元品のほうが、本来の音質に近いかもしれません。

音質はともかくとして、エスケープメントなどのアクションの中核は幸いなことに温存されています。

その機構はマッフェイの記事で解説されていたものとはだいぶ異なります。10年の間の改良の成果でしょう。

Scipione Maffei, "Nuova invenzione d'un Gravecembalo col piano, e forte," 1711.
Leto Puliti, “Della vita del Ser.mo Ferdinando dei Medici Granprincipe di Toscana e della origine del pianoforte,” Atti dell’Accademia del R. Istituto Musicale di Firenze, 1874.

一番の改変点は、エスケープメントの要であるバネ仕掛けの「舌」(M)が第2レバーから第1レバーに移されたことです。これによって第2レバーの大幅な小型軽量化がなされ、タッチがずいぶん軽くなったものと思われます。

またダンパー(F)も第1レバーの担当となり、下から押し付ける形から、普通のチェンバロのように上から乗る形になりました。

ハンマーのリバウンドを防ぐバックチェック(P)は、「交差した絹紐」という如何にもトラブルを招きそうなものから、真鍮と革によるしっかりしたものに変更されています。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/501788

不思議なのは、マッフェイの報告にあるような、レストプランクをチューニングピンが貫通し、下側から弦を張る「反転」レストプランクが採用されていないことです。弦は普通に上から張られています。

その他はまさしくマッフェイの言う通りの特徴が確認できます。

弦は通常のものよりも太い。その張力が響板を傷めないように、弦は響板に直接ではなく、やや高いところに留められている。

マッフェイは「やや高いところに留められている」としか書いていませんが、実はベントサイドが二重に作られていて、外側に留めた弦の張力が、内側につけた響板にかからないようになっているのです。現代のピアノのフレームと考えは同じです。

これは非常に巧妙に作られているため、外から見ただけでは全く分かりません。そのため後続の模倣者たちは、この構造を再現し得ませんでした。

彼は昔のローズのように大きな穴が必要だとか、埃の入りやすい箇所に穴を開けることが望ましいと考えている訳では無く、正面、あるいは正面の囲いに小さな孔を2つ開け、隠して保護するのを好んでいる。

これもその通り、ベリーレールに穴が空いています。ただし2つではなく6つ(他の2台は4つ)。

https://www.metmuseum.org/art/collection/search/501788

ローマの1722年製の楽器とライプツィヒの1726年製の楽器の音域は共にC-c3の4オクターヴで、なぜか1720年のものより狭くなっていますが、その他の点でもこの2つには共通点が多く、クリストフォリの設計は完成の域に達していたものと見えます。

両者のハンマーアクションの仕組みは、1720年のものとエスケープメント等に若干の違いはあるものの、基本的に同じです。

ただしハンマーヘッドは異なり、1722年のものは小さな木のブロックに革を貼ったマッフェイの図とよく似たものが使用されています。

Piano Technicians Journal, December 2002.

1720年のものも本来これに近いハンマーヘッドであったと想像できるのですが、生憎これをそのまま適用することはできません。1722年と1726年のものはマッフェイの記述にある通り「反転」レストプランクが用いられているのです。

Piano Technicians Journal, December 2002.

これは弦が下の方に張られるので、ハンマーヘッドは小さくて済みますが、1720年のもののように弦が上の方に張られた場合は、もっと高さが必要になります。


1726年のハンマーヘッドは非常に独特で、紙のパイプに革を貼ったものが使われています。現代の復元品も大抵はこの紙管ハンマーを採用しており、クリストフォリのピアノの象徴とも言えるでしょう。

これはまるで試作品のようで頼りなく見えるのですが、実際には音質的にとても具合が良いらしいです。

クリストフォリの弟子のジョヴァンニ・フェリーニの楽器にも、このハンマーヘッドは受け継がれているので、これがクリストフォリの最終的なチョイスであったのだと思われます(というか、この晩年の時期のクリストフォリのピアノの製作は、実際にはフェリーニが多くを担当していたと考えられます)。

なお現存するフェリーニの1746年の楽器はチェンバロとピアノのハイブリッドという変わり種です。これは非反転レストプランクのため、ハンマーヘッドは高さを伸ばした先に紙管を付けたものになっています。

Kerstin Schwarz, “Bartolomeo Cristofori e Giovanni Ferrini: la nascita del pianoforte e la convivenza con il clavicembalo”, San Colombano. Collezione Tagliavini Bologna, March 2011.

クリストフォリの設計に関しては、まだもう一つ手がかりがあります。

1726年に描かれた当時71歳のクリストフォリの肖像画です。

彼の左手の下にある紙にはピアノのアクションの図が書かれています。

この絵は残念ながら第2次世界大戦中に失われてしまい、白黒写真が残っているだけなのですが、ゲオルク・シューネマンが書き直した図が1934年に出版されています。

https://archive.org/details/ZeitschriftFuerMusikwissenschaft16jg1934/

反転レストプランクを使用していない点も含め、1720年の設計に近いように見えます。

しかし、ハンマーヘッドは本当にこんな形なのでしょうか。私には元の絵は強いて言えば台形のブロックに革を貼った感じのように見えるのですが、どうですかね。

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