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モーツァルトの弾いたピアノ①:シュペートの “Pandaleon-Clavecin”(186)

アウグスブルク(一七七七年十月十七日)
 シュタインのピアノについてお知らせします。このピアノを知る以前には、シュペートのピアノが私の気に入りでした。しかし正直にいってシュタインの方を私は選びます。音の振動を抑制する点においてはラティスボンのよりも優れています。ひどく叩くと、指を鍵盤の上に休めていても離しても、その音は聞えると同時に消えます。好きな音調を選んで叩くと、その音色はいつも平均に残っていて、耳障りの音がしたり、響きそこなったりすることはありません。この種のピアノはもちろん三百フローリン以下では手に入りません。しかしシュタインがかけている労力と熟練とから言えば、それでも高くはありません。彼の楽器は彼独特の特徴があって、特別な漏出装置がしてあります。百人の製造家中の一人もこの点に気付いていません。しかしこれがあるからピアノが唸り声を立てたり、耳障りな音がするのを防いだりできるのです。彼のハンマーは、指で鍵盤を押していようといまいと弦に触れると同時に離れます。

『モーツァルトの手紙』服部龍太郎訳
Wolfgang Amadé Mozart an Leopold Mozart in Salzburg, Augsburg, 17. Oktober 1777.
https://digibib.mozarteum.at/urn/urn:nbn:at:at-moz:x2-28365

モーツァルトとピアノと言うと必ず引き合いに出される、この1777年10月17日のモーツァルト(当時21歳)が父親に宛てた手紙ですが、楽器の説明としてはなんとも要領を得ない文章でもあります。

シュペート  Franz Jakob Späth (1714 - 1786) はレーゲンスブルク(ラティスボン)のオルガン及びクラヴィーア職人で、彼は主にタンジェント・ピアノの発明と製造で知られています。既に何度か触れてきたように、これは細長い木片を飛ばして打弦する鍵盤楽器で、18世紀末頃にはそれなりのシェアがありました。

Tangentenflügel, Frantz Jacob Spath & Christoph Friedrich Schmahl, c. 1784.
National Music Museum, The University of South Dakota. https://emuseum.nmmusd.org/objects/8177/

モーツァルトがいつどこでシュペートのピアノを弾く機会を得たのかは不明です。なお、当時モーツァルト家にあったことがわかっている鍵盤楽器は、フリーデリチ製の5オクターヴ2段鍵盤のチェンバロ、5オクターヴのクラヴィコード、それと1763-1766年の旅行のために買ったシュタイン製の小型クラヴィコードで、ピアノはなかったはずです。

ところで手紙でモーツァルトが第一に言及しているのはダンパーの性能についてであるように読めます。しかしいくらモーツァルトがピアノのメカニズムに弱かったとしても、シュタインのハンマー式ピアノとは発音機構も音質もまるで異なる楽器と比較するのに真っ先にダンパーを引き合いに出すでしょうか?

ちなみにシュペートのタンジェント・ピアノのダンパーのデザインは、クリストフォリのピアノとほぼ同一で、おそらくジルバーマンがパクったものの更にパクりであると思われ、逆に言えば性能的には何の問題もありません。

Landesmuseum Württemberg. "1991-561.19: C 35 - Aufwärts schlagende Hammerklaviermechanik von Spaeth & Schmahl" last modified 2024-01-28. https://bawue.museum-digital.de/object/76025
CC BY-SA 4.0. https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/
Landesmuseum Württemberg. "1991-561.11: B 5 - Hammerklaviermechanik von Cristofori" last modified 2024-01-28. https://bawue.museum-digital.de/object/72668
CC BY-SA 4.0. https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/

しかしシュペートもタンジェント・ピアノばかりを作っていたわけではありません。上掲のタンジェント・ピアノと同じくサウスダコタ大学の国立音楽博物館所蔵のシュペートの楽器に1767年製の「Pandaleon-Clavecin」というものがあります。

Pandaleon-Clavecin, Frantz Jacob Spath, 1767.
National Music Museum, The University of South Dakota. https://emuseum.nmmusd.org/objects/14689/

これは2006年にサザビーズにシュペート製グランド・ピアノとして出品されたものの、あまりにも怪しいため買い手がつかず、結局格安で博物館が引き取ったという曰く付きの代物です。そして博物館が所蔵しているシュペートのタンジェント・ピアノとつきあわせて両者の工法を比較したところ、間違いなくシュペートの真作であると認められました。

https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2006/early-musical-instruments-l06253/lot.273.html

この楽器はタンジェント・ピアノではなく、簡素な ”Stossmechanik" 型のハンマー式ピアノです(サザビーズの説明には "simple prellmechanik action" とありますが誤り)。この現在のハンマーはオリジナルのものではなく1800年頃に交換されたものですが、おそらく元のハンマーもそう違わないものであったろうと見られています。そして例によってダンパーはありません。つまりこれは鍵盤式パンタレオンの親玉に他ならないのです。

An Early "Mozart Piano" in Vermillion: NMM Acquisition Authenticated as a Work of Frantz Jacob Spath by John Koster, Conservator and Professor of Music From National Music Museum Newsletter 36, No. 1/2 (February/May 2009), pp. 10-13

モーツァルトが体験したシュペートのピアノがこのようなものであったとしたら、シュタインのピアノとの比較にあたって最初にダンパーに言及するのは当然と言えます。シュペートの方は良し悪しどころかそもそもダンパーが無いのですから。その頃ダンパーのない小型ピアノ(パンタレオン)がドイツで普及していたことは前回述べたとおりですが、シュタインのような本格的な大型ピアノという物はそれだけでモーツァルトには新鮮だったのかもしれません。

ちなみに博物館がこの楽器に与えている「Pandaleon-Clavecin」という名称は1765年にシュペートが出した広告に載っていたものです。それがどのような楽器なのかは不明であるのですが、おそらくはこの楽器のような「クラヴサンの形をしたパンタレオン」という意味なのでしょう。

同種の楽器はもう一台確認されており、こちらは修復されて現在はケーテン城にあります。

"Pantaleon Clavecin" Franz Jacob Spath, Regensburg c. 1765.
© 2018 Georg Ott. https://www.facebook.com/media/set?vanity=georg.ott.98&set=a.1631162696964481

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