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パンタレオンというドイツの鍵盤楽器について(185)

クリストフ・ゴットリープ・シュレーターがピアノを「発明」するきっかけとなったのは、本人の述べるところによれば、パンタレオン・ヘーベンストライト Pantaleon Hebenstreit (1668 - 1750) のダルシマーの演奏を聴いて感銘を受けたためであったといいます。

ヘーベンストライトはナウムブルク近郊のクラインへリンゲンの生まれで、1691年にハレのヴィッテンベルク大学に入学し、学生サークルでヴァイオリンを演奏するなどしていました(後にテレマンが自分よりも上手いと評しています)。

彼はある時、借金取りから逃げるためにライプツィヒの西のメルゼブルク近くの村の牧師の家に身を潜めることになったといいます。彼はそこで子供の家庭教師などをしていましたが、村の宿屋で演奏されていたダルシマーに目をつけ、これを改良することを思いつきます。そして優れた技術者でもあった牧師の協力のもとに新楽器が誕生しました。この発明は音楽史に少なからぬ影響を及ぼすことになります。


ダルシマーは箱型の筐体に張った弦をバチで叩いて鳴らす楽器で、その起源は古代メソポタミアに遡り、世界中に多くのヴァリアントが存在します。

"Dulcimer," The New Grove Dictionary.

ヨーロッパにいつどこからダルシマーがもたらされたのかは定かではありませんが、資料が見られるようになるのは15世紀以降のことです。1440年のアルノー手稿の dulce melos は、あれでヨーロッパにおけるダルシマーの最古の資料の一つになります。

Angel, c. 1460–80, German.
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/467434

中世には天使も演奏していたダルシマーも、バロック時代にはハーディガーディ等と同じく庶民の楽器と見下され、フォーマルな音楽からは退けられていました。その頃の楽器は長辺が1mぐらいの台形をしたものが普通で、18から25コースの複弦を有します。今のイランのサントゥールとそれほど大きくは違わないように見えます。

Dulcimer, 18th century, Spain.
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/501611

ヘーベンストライトの楽器は現存しませんが、長さが9フィート(≒2.74m)もあり、276本の弦を有し、低音域はEEに達したといいます。弦は金属弦およびガット弦が共に使用されました。

後にヘーベンストライトの弟子であるゲオルク・ノエッリ(1727 - 1789)が演奏しているところを描いた版画があり、良い絵なのですが楽器の資料としてはあまり参考になりそうにありません。

A Concert, c. 1767.
https://collections.vam.ac.uk/item/O184006/h-beard-print-collection-print-orde-mr/

ともかくヘーベンストライトの楽器とその演奏は大評判となり、彼は無事借金を返済することができたようです。1697年にライプツィヒで彼が "Cimbal" を演奏していたというヨハン・クーナウの報告があるので、その頃には借金取りを恐れる必要はもうなかったのでしょう。

1705年にはヘーベンストライトはパリを訪れ、その演奏に感激したルイ14世は彼の楽器を発明者に因んで「パンタレオン」と名付けるように命じたといいます。かくして以後彼の新型ダルシマーはパンタレオンないしパンタロンと呼ばれるようになりました。

その後、1733年に視力の低下のために引退するまでヘーベンストライトはドイツ各地で演奏して高い評判を得ました。しかし彼のパンタレオンはあまりにも演奏が難しく、習得できたのはごく少数の弟子にとどまったため、流行は長くは続きませんでした。1772年にドレスデンを訪れたチャールズ・バーニーは弦が切れたまま打ち捨てられているパンタレオンを目にしています。


つまりシュレーターの発明はパンタレオンを機械化して演奏を容易にしようという目論見だったのですが、しかしそれを考えたのは実はシュレーターだけではなく、ドイツ各地の工房からもパンタレオンを模した打弦式の鍵盤楽器が生み出されていました。そしてそれらもパンタレオンないしパンタロンと呼ばれていたのです。

これらはクリストフォリのピアノとは無関係に、またその多様性からおそらく相互にも無関係に、同時多発的に生み出されたものと考えられます。現存楽器は大抵クラヴィコードによく似ており、実際クラヴィコードの改造から始まったのでしょう、ツンペのスクエア・ピアノも同様であったと思われます。しかし残念ながら初期段階を示す18世紀前半の作例は現存しません。

ドイツの鍵盤式パンタレオンがイギリスのツンペのスクエア・ピアノと異なるところは、基本的にダンパーがないということです。ダンパーがあるものでも、それはむしろ音色変化のためのストップであって、ダンパー無しの状態がデフォルトです。これらは音の強弱を付けられるチェンバロでも、響きの豊かなクラヴィコードでもなく、機械化されたダルシマーなのです。

この種の楽器の現存例の多くは18世紀末のもので、つまりウィーン古典派の真っ只中です。この時代のドイツの鍵盤音楽を演奏するなら、シュタインやヴァルターなどのウィーン式のフォルテピアノがオーセンティックな楽器選択と考えられるでしょうが、一方でこのような現代のピアノの常識とは異質な鍵盤楽器が一般に普及し使用されていたことにも留意する必要があるでしょう。

Attributed to Johann Matthäus Schmahl, c. 1790.
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/505418
Possibly German, c. 1790.
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/503902
Johann Christoph Jaeckel and Christian Jaeckel, 1790.
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/504598

これらの多くは見ての通り家庭用の小型の楽器で、ハンマーは小さくアクションも簡素なものです。上の「横置きハープ型」の楽器はツンペのスクエア・ピアノと同じく下からハンマーを突き上げる Stossmechanik と呼ばれるタイプのアクションを使用しており、もちろんエスケープメントは無し。下の2つはハンマーの回転軸の向こうを引っ掛けて下げることでヘッドを持ち上げる Prellmechanik と呼ばれるタイプで、これもエスケープメントはありません。

前者はイギリス式アクション、後者はドイツ式やウィーン式などと呼ばれることも多いですが、正確な呼び名とは言えないため、専門的にはこのドイツ語の用語が普及しています(プッシュ式とプル式では駄目なのだろうか)。

Landesmuseum Württemberg. "1991-561.21: C 45 - Aufwärts schlagende Hammerklaviermechanik von J.M. Schmahl" last modified 2024-01-28. https://bawue.museum-digital.de/object/76024
CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed
Landesmuseum Württemberg. "1991-561.15: C 20 - Aufwärts schlagende Hammerklaviermechanik (Tafelklavier)" last modified 2024-01-28. https://bawue.museum-digital.de/object/76028
CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed

これらのアクションをいつ誰が考案したのかは実際のところ不明ですが、いずれにせよクリストフォリのアクションから派生したものとは考えられません。

なお、現代のピアノのアクションの源流はアメリクス・バッカースが1770年代に開発したグランドピアノのイギリス式アクションであり、実はクリストフォリのピアノは現代のピアノの直接の祖先ではありません。クリストフォリのピアノはあまりにも時代に先行しており、後続者たちが発展させられる代物ではなく、そして非常に複雑で高価についたため、本格的な普及を見ずに18世紀後半には忘れられていきました。

18世紀後半のピアノの発展はクリストフォリのピアノの再発明に過ぎないといっても過言ではありません。ピアノの性能の追求にしたがって直面することになる数々の技術的課題が、どれもクリストフォリのピアノにおいて半世紀以上も前に解決済みであることには畏怖の念を覚えます。例えば19世紀に入る頃にはベートヴェンに代表される鍵盤に腕力で訴える蛮族が登場し、ハンマーの打撃による弦の緩みへの対策に頭を悩ますことになるのですが、クリストフォリはレストプランクの下から弦を張るという逆転の発想でこれを既に解決していました。

ゴットフリート・ジルバーマンのピアノは、クリストフォリのピアノの実機をリバースエンジニアリングしたと見られる愚直なコピー品に過ぎませんが、それでも新規要素の一つとしてダンパーを開放する機能が加えられています。もちろんペダルではなくハンドストップですが。

Piano, Gottfried Silbermann, c. 1746, Neues Palais, Potsdam.
Pollens, Stewart (2017). Bartolomeo Cristofori and the Invention of the Piano.

おそらくこの機能の発想の元には鍵盤式パンタレオンの存在があったのではないでしょうか。そうでなくともヘーベンストライトのオリジナルのパンタレオンに影響を受けていることは間違いのないところです。なにしろヘーベンストライト自身が使用するパンタレオンの製造の委託を受けていたのが他ならぬジルバーマンであったのです。ちなみに1727年にジルバーマンは依頼した以上の楽器を無断で製造していたとして、模倣品製造の罪でヘーベンストライトに訴えられています。

ツンペのスクエア・ピアノも本質は鍵盤式パンタレオンであったと思われ、最初からダンパーが装備されていたものの、実際にはダンパーを開放した状態で演奏されるのが常であったといいます。弾いた音のみならず、開放状態にある弦が共鳴する豊かな響きは、チェンバロやクラヴィコードでは得られないピアノならではの音響であり、初期のピアノの普及の原動力として無視できないものがあるでしょう。そして素人向けが大半であった当時のギャラントな「ピアノ・ソナタ」は、鍵盤式パンタレオンの共鳴豊かな響きで演奏されるものだったのかもしれません。

またグランド型の「ハンマーフリューゲル」においても、ダンパーを開放した状態で弾くことは、わりと頻繁に大胆に行われていたと思われます。現代譜では忙しなくペダルの指示がついているベートーヴェンの《月光》ソナタも、オリジナルの出版譜には “Senza Sordini” とあるのみで、ダンパーを開放したまま通して演奏するのが本来の形ですが、これも当時は何ら奇異なことではなかったでしょう。

Ludwig van Beethoven: Piano Sonata No.14, Op.27 No.2, ed. Artur Schnabel (1949)
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/502257
Ludwig van Beethoven: Piano Sonata No.14, Op.27 No.2 (1802)
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/15808


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