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鍵盤楽器音楽の歴史

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記事一覧

録音で聴くチェンバロの音の違い

チェンバロはタッチで音に強弱をつけることは殆どできません。そのため乱暴に言えば誰が弾いて…

影踏丸
2日前
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「ヴァイオリン伴奏付き」鍵盤ソナタについて(183)

これら K. 6 - 9 の4つのソナタは2冊に分けてパリで出版され、ヴォルフガング・アマデウス・モ…

影踏丸
10日前
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英国スクエア・ピアノ事始(182)

さらに「ジルバーマンの弟子」というのも加えられて、ピアノの歴史でよく紹介されているこの「…

影踏丸
2週間前
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J.C.バッハとモーツァルト(181)

1725年に書き始められた2冊目の『アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳』の中でも、一際稚拙…

影踏丸
2週間前
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ソレールのファンダンゴ(180)

「ファンダンゴ Fandango」はイベリア半島伝統のペアで踊られる三拍子の舞曲で、現在の民族舞…

影踏丸
3週間前
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スカルラッティとソレール神父(179)

スペイン王家は毎年秋にはマドリードの北西50kmほどに位置するエル・エスコリアル修道院に滞在…

影踏丸
4週間前
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スカルラッティとセイシャス(178)

ドメニコ・スカルラッティが1719年8月にヴァチカンの職を辞した後、いつどうしてポルトガルに渡ったのかは20年くらい前までは謎でした。1719年9月3日のとある日記に「スカルラッティ氏はイングランドに向けて旅立った」という記述があったため、ロンドンで賭博にはまって借金を作ったせいでポルトガルに逃げたのだという説もあったぐらいです。 現在では資料の発見によってスカルラッティはポルトガル王ジョアン5世によってリスボンの王室礼拝堂のマエストロとして招かれていたのだということがわか

18世紀イギリスのチェンバロ:シュディとカークマン(177)

17世紀の終わり頃からイギリスでは家庭用の鍵盤楽器としてベントサイド・スピネットの製造が盛…

影踏丸
3か月前
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J.S.バッハの最後の弟子、ヨハン・ゴットフリート・ミューテル(176)

これはJ.S.バッハの《ミサ曲 ロ短調》BWV 232 の最後の "Dona nobis pacem" の箇所の自筆譜で…

影踏丸
3か月前
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C.P.E.バッハとジルバーマンのクラヴィコード(175)

スペインからロシアに至るまで、ヨーロッパ中を軽薄極まりないギャラント音楽が席巻していた18…

影踏丸
4か月前
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ギャラント音楽とアルベルティ・バス(174)

18世紀半ばのバロックと古典派の間、ヴィヴァルディやバッハと、ハイドンやモーツァルトの間の…

影踏丸
4か月前
26

折りたたみチェンバロ:イタリアのチェンバロについて8(173)

現存するカルロ・グリマルディのチェンバロは、ニュルンベルクとパリの他にもう一つあって、ロ…

影踏丸
7か月前
10

ジュスティとグリマルディ:イタリアのチェンバロについて7(172)

現代の楽器でイタリア式のチェンバロといえば、ジュスティかグリマルディのコピーが定番でしょ…

影踏丸
7か月前
9

ジローラモ・ゼンティの遍歴と楽器:イタリアのチェンバロについて6(171)

17世紀イタリアで最も有名だったチェンバロ製作者がジローラモ・ゼンティ(c.1606-c.1667)です。ゼンティの工房はローマにありましたが、彼は広く諸外国の宮廷を渡り歩き、国際的な名声を博していました。 ゼンティはローマ北西のヴィテルボの出身で、彼の父の姉エリザベッタは、ローマのチェンバロ職人のジョヴァンニ・バッティスタ・ボニと結婚しており、おそらくゼンティは伯父であるボニの元で仕事を学んだのでしょう。ボニは教皇ウルバヌス8世を初めとするバルベリーニ家のお抱えで、そのこ