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5日目:「わたしを推して」と叫ぶ人

鳩居ぼたん活動をしていると、どうしても数を見る必要に迫られます。(noteの閲覧数はちゃんと使い始めてから飛躍的に伸びています。やったぜ!)

しかし、フォロワーや閲覧数、いいねやRTの数のために活動をしているのではありません。「伸びる」ことは手段であり、目的ではありませんし、もし「推し」てくれる人が現れたとして、それは「占い師として人の役に立ち、めしをくっていく」目的の副産物です。ありがたいことですが、「推してもらう」ことそのものを目的にはしません。

ところが「しょうがねえ、なりふりかまわず数を稼ぐか……」と思ってつながりたいタグなどを覗くと、「伸びて」「推してもらう」ことを渇望するかのような、中高生くらいの幼いアカウントに出くわします。

この子たちの目的はなんなのだろう、と思います。

「これから伸びるから、今から推せば最古参です」という売り文句には、複数の歪みがある気がします。

ひとつめは「これから伸びる」という不確かな可能性を担保に人気を集めようとする、実質を伴わない空疎な取引の部分。

もうひとつは「最古参である」ことに価値を見出し、それを見る側に利益として提示する歪みです。

そもそも「伸びる、伸びない」は(絵師を名乗るなら絵の)実力とは無関係な部分であり、さっぱり伸びていなくても自分の満足いく絵を描けるならそれで創作活動を楽しめているはずだ、とわたしは考えます。

逆に、どんなに伸びて有名になったところで、その結果アンチやいわれない批難のために筆を折るとしたらその人は不幸な絵師でしかないでしょう。

「伸びるために絵を描く」ということ自体、絵を描く人としてどこかおかしいと感じます。

わたしのように生業として創作活動なり、その他の活動なりをするなら、最低限メシを食うための数を見る必要はあります。でも、数を気にするあまり活動そのものを楽しめなくなるくらいなら、向いていなくても勤め人をして創作活動は趣味でやるほうがいいに決まっています。

伸びることは必ずしも幸せなことではありませんし、ましてその人の価値への絶対的な評価でもありません。伸びなければ人間として価値がない、なんてことはありえません。

幼いうちは、特別な存在にあこがれるのも理解はします。フォロワーの数が友達に自慢できるとか、心の中でこっそり自分を支えるものになることもあるでしょう。

でも「これから伸びるから」といって集めたフォロワーは、あなたの実力も、人柄も何も保証してくれるものではないよ、と思います。

「最古参である」ことに価値を見出すのも、いまひとつピンときません。

おそらくこれを言う子自身が「なにかの最古参である」ことに優越感を覚えるからそれを利点として押し出すのでしょうが、古参だろうが新参だろうが、活動者がファンに好悪の念を抱くとしたらその態度のためでしょう。お行儀のいいファンは愛し、悪いファンは叩き出すだけです。それはなんであれ活動していくならその人自身が実感することでもあるはずです。

むしろ常に新参のいない業界は腐って廃れます。古参がファンの中で実際に優越することはほとんどないと思います。それこそ古参ファンが心の中で「こんなに昔から応援している」とそっと思うくらいが許される範囲で、それを表現した時点でうっとうしい古参面に分類されるでしょう。

なぜ「伸びたい」「推してほしい」のか、できれば直接話を聞きたいです。

若い世代の心の闇とか、承認欲求の時代とか、いろいろと大人の側から理屈をつけることはできるでしょう。

でも、こうして「推してください」と叫ぶその口から、本当の気持ちを聞く以上に確かなことはないはずです。

これまでわからん理解できんとごちゃごちゃ言ってきましたが、わたしは「若い子の考えることは理解できない」で終わりたくないのです。わからないから、直接対話してわかりたいのです。

わたしは占い師です。あなたを否定しません。

ついでに「どうすれば伸びるか」一緒に考えることもできると思います。

よかったらお題箱やサイトから連絡をください。(でもnoteってそういう世代の利用者少なそうな気がする!Twitterでシェアしてね!)


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