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ひとくちの甘能 〜酒井順子

年末年始の休暇に突入した方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。

絶対に仕事始めまでは、仕事のことは考えない、好きなことだけすると誓った私が、この休暇中に読むために選んだエッセイ本は、酒井順子さんの「ひとくちの甘能」(角川書店)です。この本から、数編を取り上げていきたいと思います。

私はスイーツ、いわゆる甘いものが大好きです。でも、なぜ甘いものが好きなのか、深く考えたことはありませんでした。

酒井さんにとっては、甘いものとは何なのでしょう。なぜ甘いものが好きなのでしょう。「ひとくちの甘能」のあとがきにこんな風に書かれていました。

甘いものとは私にとって何か、と考えてみると、それは句読点のようなものなのでしょう。(中略)人生においても、甘いものは句読点の役割を果たすものです。お誕生日や結婚式には、ケーキ。葬式には、饅頭。人生における何らかの儀式の時には甘いものを供したくなるというのが、人間というもの。儀式を終えて家で虚脱状態になっている時に、ふと甘いものを食べたりすると、舌に沁み入る甘い味によって、「ああ、終わったのだなあ」と思えてくるものです。

酒井さんはお酒が飲めないのだそうですが、「つまるところは人体に必要な糖分を酒類で摂るか甘味で摂るかという」だけの違いで、「お酒の代わりに甘いものを食べることによって、ぼうっとするような陶酔感、多幸感、酩酊感を得られるような脳の仕組みを持っている」と説明されています。

気軽に多幸感、酩酊感を得るにはお酒がいいという人も多いでしょうし、お酒も甘いものも好むという方もいるでしょう。私はお酒も飲みますが、炭酸が飲めなくなったので、ビールは飲みません。飲むのはだいたい甘い果実酒、ワイン、日本酒でしょうか。焼酎なら米がいいですね。さらりとした、少し甘味のあるものがお酒でも好きです。酒井さんに言わせると、私は酩酊感を得られる成分を同時に2つとも摂りたいと思う欲張りな人間なのかもしれません。

さて、私はなぜ甘いものが好きなのか。確かに甘いものがくれる多幸感、酩酊感は一つの要因だとは思いますが、ふとよく考えてみると、こういうことなのかもしれない。

苛々したり、落ち込んだりした時や疲れた時、ちょっと気分を変えたい時に甘いものを軽く口にするだけで、その甘さがその時自分が抱えているものを癒やしてくれる気がする。そして、その癒やされた記憶がどんどん蓄積されていって、その甘いものの癒やし度数がまた上がる。そんなまるで複利の金利みたいな良い循環が起きていくのが、私にとっての「甘いもの」なのです。

だから、甘いものが好きという循環は続いていくような気がします。

最後に、この「甘い」という字について、酒井さんの考察が面白かったので、紹介しましょう。

白川静著「常用字解」によれば、「甘」という字は象形文字で、錠して鍵をかけた形を表すのだそうです。「甘」は、刑罰の道具である手錠や首かせの形と同じ、ということなのです。(中略)私達は、「あまさ」という官能的な味がなくては、生活の中に歓びを見いだすことができない。甘い歓びを知ってしまったが最後、私達は甘さを求めずにはいられなくなり、つまりは「甘」という首かせをはめられた奴隷と化すのです。

時に狂おしい気分にはなるけれど、縛られていることが全く苦痛ではないのが、この首かせ。おそらく私は一生、この首かせをはめられたままで生きるのであり、そんな拘束は快感ですらあることよ・・・と、甘いものを食べる度に、思うのでした。

なるほど、甘いものが好きという循環は、甘さというものが宿命的に持つ誘惑に負けた結果なのであり、それに打ち勝つなんて無理なのだなと自己擁護して、今日もショコラサンドを頬張る私なのでありました。

食べ物の甘さだけでなく、人生に何らかの甘さは必要です。それは、人生を生き抜いていく上で必要な息抜き、間のようなものだと思うのです。

あなたにとっての「甘いもの」とは何ですか?

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