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推しがファースト・キャリアを終えた年齢になってしまう

誕生日が1月上旬なので、どうも元旦に心機一転というテンションになりにくい。しかし1年の計が3日坊主で崩れても、すぐにやり直せるチャンスがあるのはいい。昨日はプランクをやり忘れたし、つけようと思ったライフログもすでに2日くらい飛んでいる。しゃーない。誕生日から、本気出す。

さて誕生日。今日ではないけど。
年齢を重ねるにあたり、実はいつになく緊張している。なにしろ推し(18世紀生まれの作曲家フェルディナント・リース)がロンドンから故郷に帰った歳になるのだ。つまりはリタイアのタイミングである。やつはもう人生のファースト・キャリアを終えようとしているのだ。職を辞して、妻子を連れて、がっぽり儲けた銭をたずさえて、悠々自適のセカンドライフである。まあいろいろあって結局リタイアしなかったことはその後の人生から明らかだし、本人も「隠居するには早すぎた」と言ってはいるのだけど、それにしたって一度はその決断をしているのだ。

おどろく。
キャリアを築き上げてきた人は、この年齢でもうキャリアを畳めるのだ。

けれど、そんなの自分には想像もつかない、というのはちょっとウソで、この年齢で何かを畳もうという感覚はなんとなく理解できる。自分が何者なのかはいい歳していまだよくわからないけれど、自分のキャパシティはいい加減わかってくるお年頃だ。自分は有限である。あっちを広げるためにはこっちを畳まないわけにはいかない。それは必要なリストラであり断捨離だ。

1年の計として、こんな言葉を書きつけた。「やりたいことしかやらない」。いや、去年も振り返るとやりたいことしかやってないし、楽しかった。けれどあらためて、この筆名は、自分自身が持っているいくつかのアカウントのひとつであり、このアカウントでは絶対にやりたいことしかやらない、という意を強くしている。そうでなければ、2017年にこの筆名を作って運用しはじめた意味がないし、それ自体がすでに「何かを畳む」準備だったといえるかもしれない。

まだ広げたい。広げたいから、畳みたい。その心を持って2021年を迎えられてよかった。すぐにやり直せるチャンスがあるのはいい。誕生日から、本気出す。