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好きな野球選手が引退したこと

先に、かなりの長文である事を失礼する。

自分の苗字の選手を応援したくなる。

 割と大勢のひとが通る道なのではないかと思う。ついでに過去に居たかどうかも調べる。もし、居たとすれば何となく、その選手経歴を眺めてアレコレ考える。時にはモノクロ写真とにらめっこをする。

 ところがどっこい、そこまでマイナーな苗字ではないと思うが、プロ野球史に僕と同じ苗字の選手が居ない。となると、アレコレ考えることも応援することもできない。

 そんなヤツはどうするのかだ。色々あると思うが僕の場合は、身近な名前の選手に勝手に親近感を感じた。ちょうど、僕にもそんな選手がなんと贔屓球団に居た。選手名鑑で見つけてから気になり、数年後には見事にその選手のファンの一員になった。

ちなみに、その選手はご近所さんと同じ苗字だった。

 でも「居た」なのだ。今シーズン所属する球団から戦力外通告を受けた。その選手と僕が出会ってから十年以上の年月が経っているのだから、そろそろ覚悟はしないと思い始めていた矢先の事だった。

 そして遂に先日、引退を発表した。プロで15年。でも、通算成績はお世辞にも良いとは言えない。
だけども、記憶は当然ながら、何故か記録にも残る選手となった。不思議な魅力のある選手だった。愛想の良さからファンに好かれ、声援を送れば、声の聞こえた方へ挨拶をする。この選手が次に所属する球団が何処であろうとも必ず応援するする。なんて心に決めたばかりだった。まだまだ動ける選手だと思うので、引退する事が悔しくてかなしい。でも何処かで、他のチームへ行かず「チーム一筋15年」なんて称号と共に最後に着ているユニフォームが見慣れたモノで良かったと思ってしまった自分も居た。僕自身、こんなにも入れ込む選手が出来るとは思っていなかったし、その選手が引退することがこれ程にも辛いとは思わなかった。

僕の物書きとしてのルーツもこの選手にある。

高校を卒業してからは、ただ過ぎていく時間と浪費する無気力な毎日だった。日々の楽しみと言えば野球中継。そんなある日、中継を見ていると彼が代打でホームランを放った。通算本塁打はその当時、九年前に一本打っているだけで、お世辞にも良いとは言えない打撃力の選手を監督は代打で使った。しかも、そんな選手がホームランを打ったんだ。奇跡に奇跡が重なった様に思えた。テレビの前ではとんでもない事が起こっている。頭が理解した頃には興奮が体を支配していた。昂った感情はとてつもないエネルギーを生み出した。そのエネルギーに突き動かされ、無気力な毎日と決別する事にした。それが結果的に学校へ行くことになった。後から知ったが、彼は毎日準備をしていて、そのホームランは奇跡なんかでは決してなかったんだ。ホームランは彼の物語の序章に過ぎなかった。精力的に過ごす傍ら、彼の快進撃を見た。走って、守って、打ちまくって、遂には交流戦MVPを取ってしまった。
 スポーツは人に感動を与えてくれる。そこには小さなドラマが付随してまわる。無気力な僕を救ってくれた、スポーツの力と付随してまわる小さなドラマ。それを他の人と共有したいと思った時、僕は物書きを目指す様になっていた。

 打撃はからっきしの守備と走塁のスペシャリスト。人は完璧なヒーローよりも不完全なヒーローに惹かれる。ちょっと欠点のある、等身大なヒーロー。だからこそ球場での大歓声があるのだと思う。そんな彼だが、引退会見を行った。OBの先輩と同じポジションの後輩から花束を貰って送られていった。数日は経ったのだが、まだ気持ちはぐちゃぐちゃのままだ。だから僕は彼のファインプレー集の動画を見ながら、そのプロの妙技を噛み締めている。暗闇の中のパソコンのディスプレイを踊る、その姿に僕は勇気や希望を貰ったんだ。

ありがとう城所龍磨。あなたは僕の永遠のヒーローだ。

 篝火箒

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