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パンデミックは収束するのか

新型コロナウイルスの感染拡大が騒がれ始めてから約1年半が経ちました。出社もすっかり減り(私は2か月に1回程度の出社を続けています)職場での雑談、社員食堂や飲み会での”たわいない”おしゃべりがなくなり、いろいろなイベントや旅行が制限され、なんだかもやもやしたままの日々がなんとなくその場しのぎの政策のもと続いています。

人間は三密がだいすきなように遺伝子にすりこまれているらしい

なんでコロナが地球規模でここまでの大流行できたのか考えてみると、人間がこれまで築きあげてきた世の中自体が、感染症のリスクが非常に高い世の中だからだと気づく。都市部は人口が密集し、飛行機に乗ればあっという間に地球の裏側まで行ける。ひとつイベントをやろうとすればなるべく大人数が入場させるように大規模に計画し大規模に宣伝されてきた。

大昔と比べれば知らない人と出会うことが非常に簡単だ。マッチングアプリで自分のコミュニティ外の人と出会うのも簡単だし、都内だったら1時間あれば割とどこでもいける交通網が発達した。海外旅行に行けば違う国の人・違う人種の人と出会うのも簡単。昔に比べれば海外旅行も手頃な価格でできるだろう。

もし現代ほど自分のコミュニティ外・遠くの人と会うことが簡単・手頃ではない世の中だったらここまで感染症は流行しただろうか?(ニュースの中のどこかの国の感染症だったのかもしれない)

人間は多くの人と密集密接密閉にかかわることが生物的に遺伝子的に楽しいように設計されていて(多くの人と出会う方が子孫を残すパートナーを見つけやすく、三密の方が子孫を残しやすい)”楽しい”を叶えるために人間はより多くの人と出会える世の中、より遠くより速く移動可能な世の中を技術的にも社会的にも目指してきたのかもしれない。

「早くコロナ前に戻りたいね」「コロナが落ち着いたら会おうね」

そんな声がたくさん聞こえてくると、ふと、本当にパンデミックは収束するのか?の疑問が生まれる。ここまで人々が出会うのが簡単になった世の中は、感染症リスクが非常に高い。ワクチン効果で一時は”2019年”が戻るかもしれないけれど、また別の感染症が流行したときにまた”2020年”が繰り返されるのではないか。このままその場しのぎが続けば、人の心も経済も疲れ切ってしまう。

"2019年の暮らし"と"2020年の暮らし”の中間の暮らしで人の心も経済も健康に保てるニューノーマル

〝ニューノーマル〟とは、なんなんだろう。たぶん、コロナに打ち勝った2019年-Rではない、何か新しい世の中だ。私たちオトナは、ワクチンにすがりつくだけではダメで2019年と2020年の間の世の中を創り出していかないといけない。

ある程度の人と出会うことはできるけれどある程度
リモートで代替できて心も経済も満足できる未来、ある程度の規模で感染リスクもある程度低いイベントがマネタイズ(大規模に密集してイベントした方が安くて儲かる)できる未来を考え、語り、つくって行く必要があるのではないか。

なんて、ぼんやり思う夜

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