男性が男性らしく、女性が女性らしく生きることは人類が誕生して以来から培われた人間社会の知恵であり、ジェンダーレス論は話にならない詭弁である

古今東西、男女の理想像は様々な議論がなされている。
昨今のジェンダーレス思想により、「理想的な男性」や「理想的な女性」を語ると「差別だ!」と騒ぐ人が増えてきているが、これは本来の男性の役割や女性の役割をなくしたいグローバリスト共産主義者たちの罠だ。

生物学上、男と女に違いがあるのは当然である。
その違いは当然のものとして、人類が誕生して以来、人類が男性に求めた役割と女性に求めた役割がある。
男性は女性よりも体が大きく力も強いため、その力を活かして外で仕事をしたり女性や家族を守る役割を果たした。
女性は女性にしかない出産できる能力を存分に発揮して子を産み育てることに大きな役割を果たした。
これは男性と女性の違いや利点をそれぞれに活かしながら、お互いの欠点をも補う役割の設け方である。

これは単なる思い付きやイデオロギーというレベルのものではないことに気付かなければならない。
何故なら、それは何千年、何万年、それ以上の人々が生き抜いてきた歴史に刻まれた人間の生きる知恵として、そのような結論に至っているのであり、この結論を覆すには、それ以上の歴史に基づく論拠に基づかなければ正当化されないものであり、「既存の伝統的な社会秩序を破壊したい共産主義イデオロギーによるジェンダーフリー論」などはお話にならないレベルのものである。

共産主義者はいつも既存の社会構造を破壊するために、「差別だ」とか、「不当だ」などと訴えることによって、既存の構造の破壊活動を行う。
確かに世の中には差別は存在するし、不当な面もあるだろう。
そのような問題は是正されていかなければならないし、全く改善の見られない面もあれば、徐々にではあるが良くなっていっている面もあるのではないかと思う。
だが、共産主義者が提示するようなジェンダーレスやジェンダーフリーは、性差別を題材にして行き過ぎた問題に焦点を当てたり、ストローマン論法という論理のすり替えによって伝統的な男女の性差の価値観を破壊しようとするものであることに注意が必要だ。


「男らしくしろ」と言われて反発しても良い。
「女なんだから、女らしくしろ」と言われて反発しても良い。
自分がどうありたいかは、自分が決めることであり、誰かに決められることではない。
そのような押し付けをしてくる人に対しては反発して良いのだ。
だが、間違っても、そのような反発心の勢いのあまり、「性差を破壊しろ!ジェンダーレスだ!ジェンダーフリーだ!」と共産主義に魅了されて共産主義者にならないように注意が必要だ。

人は成長する過程で、多かれ少なかれ、自分が生まれた性に疑問をもつものだし、自分が生まれた性の役割に抗う局面もあるものだ。
だが、多くの人は、そのような葛藤を持ちながら成長し、結局は自分が生まれ持った性を楽しみ、その役割を果たす方が人生全体で見れば、満足度が高くなると思うのである。

ジェンダーレスだとか、ジェンダーフリーだと叫ぶ人たちの声が大きくなっている世の中だからこそ、本来の男性や女性の役割や、男性と女性のそれぞれの素晴らしさを讃えるときが来ていると思うのである。


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