ものづくり日本を讃えよう!ものづくり職人文化は日本の文化だ

日本人として日本に育ったならば、一度は日本人として誇りに思ったことがあるはずだ。
筆者は外国に行き、外国文化を知ることで、外国文化と日本文化を比べることで、改めて日本文化の素晴らしさを知ることが多かった。
もしかしたら、ずっと日本にいる日本人、日本しか知らない日本人は比較的、日本文化の素晴らしさを知らないまま生きているのかもしれない。

筆者がよく感じる日本文化の素晴らしさは、日本人はとても探求心が強く、探求心の強さから、物事をとことん追求して極めてしまう素晴らしい気質にすばらしさを感じるのだ。

極限までに鍛え抜かれた技術による手先の器用さを駆使した技によって作られた芸術品というべき工芸品や、ねじなどの工業製品に至っても、高性能かつ芸術的な製品を作り上げてしまうのが日本人なのである。

日本人ほど、誰かの為に心を込めて何かを出来る民族はいるのだろうか?
心から癒されるサービスを受けられるホテル、お店、レストランがあるのは日本だけである。

先日、筆者は近所の居酒屋に行ったのだが、どの料理も手作りで本当に手が込んでいる。
日本人としては、魚のお刺身に添えられている「つま」の存在は当たり前なのかもしれないが、筆者はその「つま」に感動したのだ。

さかなのお刺身を注文すれば、大抵はそのさらに盛り付けられているのが、大根を切って盛られた「つま」だ。
その日、筆者が目にしたのは美しく切られて盛られた大根の「つま」であった。
残念ながら、多くの者がその「つま」を食べずに残していたのだが、あまりにも美しく飾られた大根の美しさと美味しそうに盛り付けられた大根に筆者は感動した。

大根という野菜の形を思い起こしてほしい。
単なる野菜の塊である。
大根は普通に切っただけでは、大根は大きなブロック状の塊である。

だが、これを職人の手によって、「つま」にした途端、芸術品になる。

そしてこれをお魚のお刺身と一緒に盛り付けた時、芸術的な料理として飾り付けられる。

大根を職人技によって切って作り出される「つま」は、われわれがお刺身を食べるときに当たり前のように添えられる。
これを作るために職人たちは当たり前のように技を磨いてくれる。
そして、刺身の「つま」を当たり前のように飾り付けてくれ、特に「つま」のための追加料金を徴収することはない。
当たり前のように、この素晴らしい技を無償で提供してくれるおもてなしの心、このおもてなしの心は、仕事に対する対価を求めるような外国人の基準が当たり前になってしまうと、われわれは「つま」を見ることがほとんどなくなってしまうだろう。

日本は「ものづくりの国」である。
物事を追求する日本人の気質が日本という国を素晴らしい国たらしめているのである。
この日本人の「ものづくり気質」をわれわれは当たり前に思い過ぎているのではないだろうか。

筆者は日頃から、様々な点について日本に警鐘を鳴らしているが、それらの問題が放置される結果、日本人の「ものづくり気質」の文化が今まさに消え去ろうとしているのである。




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