行政による「勧告」「要請」「行政指導」はただの「お願い」であって法的拘束力がないことを知っておこう

都道府県知事の名のもとに、様々な「勧告」や「要請」が日本で行われている。
例えば、「東京都知事による蔓延防止措置等に関する要請」などだ。

都道府県知事は一般的に地方行政の長である。
地方の行政のトップとして、都道府県知事は様々な「命令」や「勧告」「要請」などを行う。
この、「命令」や「勧告」「要請」などはどういう意味を持つか、ご存じだろうか。

行政というのは国家権力だ。
国家権力の中には三権と言われる立法(国会)、行政、司法(裁判所)があり、その他にも警察、検察、消防所など、様々な行政機関がある。
その中でも行政の中のトップである内閣や、地方の行政機関のトップである都道府県知事は最強の国家権力を持っている。

この国家権力というのは、いつの時代も常に暴走して国民を蹂躙して国民の権利を奪う危険性がある。
その危険性に歯止めをかけるために憲法というものが存在する。
憲法とはどういうものかについては、下記の記事も参考にしていただきたい。
憲法というのは個人の尊厳、個人の人権を守るために存在する、その憲法が破壊されようとしている|KAZU@AQUOIBONISTE|note

そして地方行政というのは、日本政府から地方自治を認められているのだが、地方行政の暴走を止めるために地方行政は「法律の根拠」がなければ、地域住民に権利を制限したり、義務を課したりすることができない。
これは憲法や法律によって定められている。
逆に言うと、憲法や法律によって、「法律の根拠」がないのに、地方行政に何かを強制されたりしないということを意味する。

「法律の根拠」によって定められたものは「条例」や「命令」という。
これらは必ず「法律の根拠」があるため、地方行政は「条例」や「命令」に基づいて、地域住民に何かを強制させることができる。

しかし、「法律の根拠」がないものについて、行政が何かをする場合は「勧告」や「要請」という、ふわっとした「あたかも何か従わなければならない」ような言葉であって、実は「法律の根拠」がない言葉を使う。
これを知らなければ、「勧告ですから」とか、「要請します」と言われると、あたかも従わなければ罰せられると思ってしまうものなのだ。

そして、近年は特に東京都知事をはじめとして、「法律の根拠」がないにも関わらず、「時短要請をします。従わなければ罰則を科します」というような信じられないことをやっている。
これは正に「法律の根拠」がないにも関わらず、「罰則という義務」を課していることになり、そのようなことを行う行政が罪に問われることなのだ。

お分かりいただけただろうか。
「勧告」や「要請」「行政指導」というものは、何の根拠もない。
ただの「お願い」であり、全く持って無視をしていいものなのだ。
例えば、あなたが知人から「お金をください」と言われたら、それは単なる「お願い」であり、言われた通りにお金をあげる必要はない。
優しいあなたが知人にお金をあげるのは自由だ。
しかし、「お金をあげなければならないのか?」と言われれば、そんなことはないだろう。
行政による「勧告」や「要請」「行政指導」は、その程度と同じレベルなのである。

つまり、「お願い」に従う必要は一切ないのだ。
そもそも、「お願いに従う」という言葉自体、日本語としておかしい。
「お願いに従いました」と言ったら、「あなたは日本人ですか?まさか、中国人ですか?」と言われても仕方のないレベルだろう。

行政は日本という社会における支配者である。
支配者は支配欲に満ちており、奴隷民を思い通りに従わせたがる。
そんな時、「法律の根拠」がない場合は、行政という優越的地位を利用して、上から目線で「勧告」や「要請」をするのだ。
しかし、それは単に支配欲からくる命令であり、何の法的根拠もないため、一切従う必要はないのだ。

われわれ一人一人の個人には自由に生きる権利がある。
一人一人が個人として、その尊厳を守られることを、この国の憲法が保障してくれている。
行政の「勧告」や「要請」によって、われわれの尊厳が侵害されるのを許してはならない。
われわれは奴隷ではなく、一個人として、基本的人権が保障されているということを忘れてはならないのだ。

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