未だに「マスク&先進国日本が感染率世界一なのが謎なんだけど?!」とほざいているアホン人こと日本人について

世界では既に「コロナはもう唯の風邪になった」と言って久しい。
ウイルスは当初、毒性の強いものであっても、ウイルスが生き延びるために変異していくことによって毒性が弱くなっていくのはウイルス学の基本である。

イギリスでは1年以上前から、「コロナは既に風邪と同程度の症状にまで弱体化したから、これまで通り行動制限なしでマスクなしの通常の生活に戻す」と宣言した。
欧米の他の国でも似たような動きが出てきたが、政府がそれを許さなかった。

先進国の他の国は世界統一政府樹立に向けてダボス会議から派遣されたグローバリストの代表者/使者である各国首脳によって「行動制限しろ!マスクしろ!言うとおりにしろ!愚民どもめ!」という共産主義政策そのものの政策がとられてきたために、新型コロナワクチンの強制やマスクの強制、行動制限に加え、ワクチンパスポートの義務付けまで行われてきた。
しかし、これらの騒動は全てグローバリストが主導し、各国首脳/政権による詐欺だとわかるや否や、殆どの先進国ではデモによる講義が行われると共に、多くの人が自由に行動し、マスクを外し、新型コロナワクチンによる死亡者や重度な後遺症患者に対する損害賠償を請求するようになっている。

しかし、日本はどうか。
大手メディアであるテレビや大手新聞によって、完全な情報統制がされているため、未だに日本では「マスクが絶対的に正しい!」「ワクチンで人が死ぬはずがない」などと思い込んでいるのが大多数だ。
一部の日本人が「マスクは意味がない」「ワクチンは危険だ」といくら言っても、お上たる政府やマスコミが「マスクは正しい」「ワクチンは世界を救う」と言い続けている限り、マスクやワクチンの有効性を疑うこともなく思考停止のまま、マスクとワクチンを妄信する。
筆者はこれを「カルト宗教と同じ」と表現しているが、そういうとほぼ確実に彼らに「お前こそカルトだ!」と言われるのだ。
だが、正にカルトの定義は何かについて冷静に見つめなおし、思考停止して妄信することこそカルトなのだと気づかねばならないのだ。

現代日本人はすさまじくプライドが高い。
口では謙虚なフリをしているが、心の中では「自分の考えは絶対的に正しい」と思っている。
これを言うとほぼ100%否定されるが、残念ながら現代日本人は謙虚さがないのである。
世界では当初は「コロナが怖い!マスクによって防げるかもしれない。ワクチンを早く打てば救われる」と思ってきたが、客観的なデータを見ることで「実はコロナはショボかった。マスクは間違っていた。ワクチンは危険だった。」と思い直すようになった。

そりゃあそうだ。
マスクを徹底した国ほどコロナがおさまっていない。
ワクチンを打った国の方がコロナが重症化している。
何もしていない国はほとんど何も起こっていない。
これらの状況を冷静に考えれば、「マスクは効果がなく、重症化しているのはコロナではなくワクチンが原因だ」と気付くはずだ。
気付かなくても、少なくとも疑いの目を持つはずであり、イギリスなどの先進国を中心に、長い年月をかけて疑いの目を持つ人が多かったために、それらの国では、このコロナ茶番に気付いた人が大多数になったのだ。

日本ではどうか。
政治家は「利権があるから、マスクとワクチンが正しいという姿勢を変えられない」という。
官僚は「一度正しいといったマスクとワクチンの政策を否定することなどできない」という。
一般市民は「自分たちが正しいと思ってきたマスクとワクチンが間違っているはずがない」として、疑うことすらしない。
こうやって、凄まじくプライドが高く、謙虚に過去の判断が間違っていたかもしれないと疑うことすらできないのが現代の日本人なのだ。

現代日本人は自分の正しさを疑わず、弱い者に押し付けてきた。
親や教師が絶対的に正しいとして育てられ、逆らうことをせずに生きてきた日本人は思考停止人間に育つ。
思考停止人間に育った日本人は親となると毒親となり、子供を自分の言いなりにして奴隷化し、子供たちはアダルトチルドレン化する。
この構図は社会全体を構成しており、毒親であり、アダルトチルドレンのままの日本人は政府の言うとおりに行動し、政府の言うとおりに行動しない者に対しては自ら自粛警察として毒親化して政府の命令に従わせる。
これが今の日本社会の構造である。
この構造をもって筆者は現代日本人の事を「アホン人」と呼んでいる。

一体、いつまでアホン人は迷走するのだろうか。
欧米の人たちと接していて思うのだが、欧米人は「何故日本人は未だにマスクやワクチンを信じているんだ」というと、日本人は「欧米人はマスクとワクチンをちゃんとしてないからコロナが収束しないんだ!あれ?でもどうしてちゃんとやってる日本の方が収束しないんだ?欧米人は間違ってる!」という。

筆者は既に数人、新型コロナワクチンを打った数日後に命を落とした知人、親友がいる。
「打たないでくれ」という筆者の声は彼らには届かなかった。
最初は怒りに打ち震えたが、その怒りも「集団的アホン人」を見ていると、怒りはいつしか絶望と諦めに変わっていった。
「少しは自分の行動を振り返って疑問を持ったらどうだ?と思う」のだが、そう思うことにさえ、筆者は疲れてしまったのだ。

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