漫画から学ぶ:強く優しい男の姿を名探偵コナンは映画で見せてくれた

古今東西、男性の理想像は様々な議論がなされている。
昨今のジェンダーレス思想により、「理想的な男性」や「理想的な女性」を語ると「差別だ!」と騒ぐ人が増えてきているが、生物学上、男と女に違いがあるのは当然であり、その大前提を無視した行き過ぎたイデオロギーは社会の破壊につながりかねない。

男性は女性よりも体が大きく力も強いため、その力を活かして外で仕事をしたり女性や家族を守る役割を果たした。
この当たり前の男性の役割を認識することはとても重要である。
だが、この当たり前のことが、昨今の「ジェンダーフリー/ジェンダーレス」の風潮ゆえに、男性らしさを語ることは「時代遅れ」だとか、「性差別者」といった目を向けられるようになってしまっている。
そんな中、今、漫画、テレビアニメ、そして映画が人気の「名探偵コナン」の主人公の江戸川コナンが理想の男性像を見せてくれている。

同アニメの中で「キミがいれば」という歌詞には現代における理想の男性像が語られている。

この「キミがいれば」の歌詞では、心底傷ついて雨に打たれている女性のために、この世にたった一つしかない傘を探すという凄い苦労をしてでも、この女性を守ろうとする男性の優しさが唄われている。
そして、その男性はそのような苦労を微塵も見せず、彼女の為に傘をさしてあげて守ってあげるのである。
彼女を守るために自分が傷ついたり苦労する事なんて、わけもないことだという男らしさと優しさを示してくれている。
そこには、女性を守ったことに対する恩着せがましさなんかは微塵も出さずに、ただ微笑みかけるだけに留めているのである。
そしてさらに、悩みに打ちひしがれている女性にさらに、この男性は「お願いだから、君の悩みをどうか僕に打ち明けてよ。」と優しく手を差し伸べるのである。

これほど素晴らしくカッコいい男性がいるだろうか?
これほどカッコいい男性が居れば、どんな女性も惚れてしまうだろう。

逆に言うと、このような優しさを持った男性は現代では絶滅危惧種になってしまったのではないだろうか。

今、公開中の映画「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」では、映画の中で映画のヒロインとなる灰原哀が絶体絶命の状態に陥る。
その灰原哀を助けるべく、主人公の江戸川コナンは信じられないような救助作戦を実行する。
救助作戦の途中で何度もピンチが訪れるのだが、江戸川コナンは悲壮感や絶望感などを全く顔に出さず、常に灰原哀を勇気づけ、元気づける。
このアニメの中で、男である江戸川コナンは強靭な精神的な強さを見せるとともに、女性である灰原哀がどんな状況に置かれようとも女性を安心させるだけの優しさを見せてくれている。
この映画の中で江戸川コナンは理想的な男性像を見せてくれているのである。

本来は、このような理想的な男性像はわれわれ大人が子供に身をもって見せて語り継がなければならないのである。

筆者が幼少の昭和の時代に言われた理想の男性像がある。
 男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる価値がない。
この理想の男性像は、現代こそ今一度大切にすべき時なのではないだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?