中国の抗議デモは天安門大虐殺のように発展するのか

中国人による中国共産党や習近平に対する抗議デモが中国本土および世界各地で行われている。
まさに1989年の天安門大虐殺を想起させる動きではあるが、実際にどのように発展していくのであろうか。

1989年の天安門広場での出来事(六四天安門)は、当時、中国全土で広がった学生運動が中国北京の天安門広場に集結された時に起こった。
いわば、草の根的に広範囲で広がった抗議運動が、たまたま一か所に集まった時に一挙に中国共産党が隠蔽目的で火消し的に一気に抗議デモ参加者を大虐殺して存在をもみ消したのである。

では今回はどうか。
まず、現在の抗議デモの参加者は学生のみならず、一般人も多く参加している。
そして、中国人全体の中国共産党に対する不安の度合いが違う。

六四天安門は運動の中心は学生に集中しており、一般人は冷めていたという。
六四天安門に学生として参加し、たまたま難を逃れた方の話を筆者は聞いたことがあるが、当時の一般人は抗議運動とは距離を置いており、それだけではなく、文化大革命を経験した世代は文化大革命の時のように抗議運動の鎮圧を抑えて一気に隠蔽するために中国共産党が大量虐殺も辞さないであろうということを空気として感じていたという。

だが今回は強烈なロックダウンによる独裁強化は、中国人の自由だけでなく生命をも簡単に奪われてしまう水準まで高まっていることに違いがある。
六四天安門の時と現在とでは、独裁体制の本質は何も変わらないが、当時は「我慢すれば耐えられないことはないし、黙っていればそれなりに生きていける」と言えるレベルであったが、現在は「我慢して黙っていても殺される。抵抗しても殺される。どうせ殺されるなら抗議しよう。」というレベルになっていることが決定的な違いである。

大規模な抗議デモ後、ロックダウンを緩和した都市もあれば、大量の警察官が街中に展開され、強烈な監視体制が敷かれた都市もあるという。

六四天安門の時と異なり、大量虐殺のような弾圧は世界中の国からの批難の声も強く、インターネットやSNSの普及で簡単に世界中に拡散されてしまう危険性がある。
加えて、現在の習近平政権には六四天安門の経験者や戦争経験者の指導者がいないため、有事のリスクある決断ができる者がいないという。
六四天安門の事後処理的な政権を担った江沢民も先日、死去してしまったのは何かの運命なのか、はたまた何かの陰謀なのだろうか。

中国の抗議デモによって「中国に民主化がじつげんするのではないか?!」と期待する声も聞こえてくるが、歴史的にデモによって民主化が成功した例はない。
「民主化革命」と言われるデモや暴動の裏には必ず仕掛け人による巨額の金が投入されている。
現在の中国共産党は、現在の世界の支配者層の多くの者にとって都合の良い存在であるため、中国共産党を倒すような流れが生み出される可能性は低いだろう。

中国共産党が行ってきたウイグルなどでの長年の弾圧を考えれば、コロナロックダウンによる弾圧は「屁でもない」レベルだ。
そう考えると、警察や軍隊を持った中国共産党がゆっくりとじわりじわりと中国人を抑圧して苦しめることで、抗議の声を徐々に鎮圧する動きに出るだろう。
これは現在、カナダやオーストラリアなどの民主主義の仮面をかぶった共産主義国が実践していることである。

日本国内の学校や企業でいじめやパワハラを黙認して皆で黙って我慢することに慣れた日本人であれば実感できるはずだ。
今後中国では、日常慣れした弾圧によって自由を奪われ、段々とそれに慣れていく人々によって黙示に承認されていき、独裁体制が強化されていくのだろう。
そうやってじわじわやられるのが、われわれ一般人には一番苦しいのだ。

筆者が日頃指摘していることを敢えて繰り返そう。
抵抗できるうちに抵抗して戦わなければ意味がない。
自由を奪われ、戦うことさえ出来なくなってからでは遅いのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?