何故、最近の政治家は政治政策を掲げないようになったのかには理由がある

本来、民主主義において、民意を反映させるために政治家を選び、国民に選ばれた政治家が国民の民意を代弁することで、民意が政治に反映されるようになる。
これが民主主義の仕組みの大前提であるが、民意が当たり前のように反映されない事態があまりにも長く続き過ぎたので、大多数の国民は、この原則を忘れてしまったかのように思う。

いつしか、政治家は中身のないキレイゴトだけを並べるだけで許されるようになった。
国民は国民で、政治家の言うキレイゴトは全て果たされることなどないことを当たり前のように思い、その状態を放置するようになった。


政治政策は本来なら国民が政治家を選び評価するものなのだが、政治政策もキレイゴトばかりで埋め尽くされるようになると、どの政治家もまともな政治政策を出さなくなった。
与党自民党の政治政策は全てギャグのような内容になっていった。

故安倍晋三の「日本を取り戻す」という政策もギャグのようなもので、「日本をアメリカから取り戻して自主独立国にしてくれるのか?」と思いきや、アメリカの利権を中国に流す政策をするだけで、「アメリカから取り戻してもすぐに中国に売り渡したら、結局取り戻せへんやろ」とツッコまれるような政治政策だ。


岸田文雄が出してくる政治政策は全て国民を笑わせるためのギャグなのではないのだろうかと、筆者は本気で思っている。
何も決断できず、実行も出来ない岸田文雄が「決断と実行。」という。
国民からの要望については一切、決断も実行も出来ないくせに、アメリカなどの外国政府から要求されることに対しては、即断の決断によって実行して日本を売り渡す。
だが、「日本を守る。」のだそうだ。


さらに面白い政治政策がある。
「新しい時代を皆さんとともに。」
これは一体、どんなことをしてくれるんだろうか?
何の政治政策もない。
ただずっと、政権与党として君臨し続け、日本人のあらゆる財産を外国政府に売り渡すことで利権を吸い上げる寄生虫として永遠に「皆さんとともに」私腹を肥やさせていただきます、ということなのだろうか。

最近の政治家は政治政策を掲げないようになったのか。
それは敢えてリスクを取ってやれもしないことを政治政策として掲げるくらいなら、何も公約を掲げずにいれば、公約違反など存在しない状況を出来る限りつくるためだろう。

最近、自民党の女性局メンバーがフランスに遠征して炎上し、松川るいを始めとする政治家が叩きに叩かれたが、本来、最も叩かれるべきは岸田文雄をはじめとする自民党幹部であり、自民党という政党自身であろう。
そうやって、トカゲのしっぽ切りをしながら、政治政策を掲げずにのらりくらりと細く長く生きながらえようとしているような政治家たちを許してはならないのである。


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