キレイゴトが独り歩きしだすと不正の隠蔽を生む温床となる

世の中の大半は、きれいごとで溢れている。
物事の本質をとらえず、問題の本質に目をつぶり、きれいごとだけを建前のように振りかざして、あたかも不正も問題もないようなふりをして生きていく。
いつの間にか、日本という社会はそんな社会になってしまった。
大人はきれいごとしか言わないから、子供たちは大人たちの嘘を見抜き、いつの間にか大人から権威はなくなっていった。
大人自身が目の前の問題から逃げてばかりいるくせに、そんな大人が子供に対して「逃げるんじゃない」と言ったって、何の説得力もない。
子供たち全員が大人たちに対して、「お前たち、大人が目の前の問題から逃げるなよ」と言い始める日が来ない限り、きれいごとだらけの世の中は終わらないのかもしれない。

企業や組織の中でキレイゴトが当たり前のように言われるようになると、あたかもキレイゴトが当然の前提のようになってしまう。
例えば、「顧客第一主義」だとか、「コンプライアンス重視」だとかいったようなキレイゴトをことあるごとに唱えるようになると、そういったキレイゴトを当然守るべきこと、当然に守られていることという錯覚に陥ることがある。
そうやってキレイゴトが独り歩きし始めると、いざ守るべきことが守られていなかったときにキレイゴトが維持されるような自助作用があれば良いが、大抵の場合はキレイゴトを維持するために不正を隠蔽する行動に出たりする。

「顧客第一主義」を掲げている企業において、顧客からクレームが出たり、企業利益を優先して顧客を騙すような商品が開発されたりしたとき、「顧客第一主義は絶対だ。当社は常に顧客第一主義が守られているんだ。」といって、顧客のクレームの存在をなかったことにしたり、顧客第一主義にそぐわない商品を顧客第一主義に沿った商品だと勝手に認識したりすることで、「顧客第一主義は守られ続けている」としてしまうのだ。

一度、そのようなキレイゴトを前例にしてしまうと、キレイゴトが守られている状態を守るために、「顧客からクレームがあった事実」や「顧客第一主義に沿わない商品の存在」については、「語るな!」という文化が醸成される。
正に、キレイゴトを建前とした言論統制が行われるのである。

筆者は日頃、世界の支配者たちが発端となった世界中のありとあらゆる陰謀について指摘しているが、世界の支配者たちの思考回路と同じものが一般人にも蔓延っており、それが企業や組織の腐敗を生む元になっているのである。
世界の支配者たちも一般人も同様に性根が腐っているのである。
それを自覚した上で自分の弱い心と立ち向かうかどうかが不正をなくせるかどうかなのだ。
それを自覚するのとしないのとでは、大きな差となるのだ。



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