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人生のものさし

「お前は人生のものさしを手に入れた」

これは高校時代の恩師に言われた言葉だ。恩師といっても担任を持ってもらったことはない。定年間際の国語教師。学校の図書館長をされていた。

「体罰上等。なんか言われたところで、もう来年定年や」が口癖の昭和の教師だった。

高校の時の自分が見ていた世界はとても小さかった。それまでの人生はなんだかんだうまくいっていたからだろう。何をやっても平均以上はでき、人並み以上に努力することもできた。狭い世界で生きていた僕は挫折など経験したこともなく、なんとなく才能のある人間だと思っていた。

家の近くの頭のいいといわれる高校に行き、周りの友達が理系に行くと行ったから理系に行き、家から近くて頭のいい大学を目指した。理由なんて他になかった。その大学に行けば、周りからもすごいと思われるし、親も親族も褒めてくれる。それだけで十分だった。

目的がなくても努力はできた。部活を11月まで続け、勉強も頑張った。休みの日も学校で勉強し、分からないところは先生に質問に行く。そんな生徒を先生たちは応援してくれる。

「受かるだろう。」と思っていた。実際に周りの友達にもそう思われていた。

だが、合格発表に僕の受験番号はなかった。

真っ白になった。初めて絶望した。死ぬほど泣いた。その辺にあった父のクロックスを履き、家の周りを歩いた。やっぱり悔しくなって、父のクロックスを家の二階の屋根まで飛ばした。

その大学に行けなかったことが悔しかったわけではない。誰からも応援されるくらい努力して、落ちたことが何よりも僕を苦しめた。「お前は才能ない」そういわれてる気分だった。

後期試験までの日々は学校の図書館で本ばかりを読んだ。どうせ浪人するからその期間はせめてたくさん本を読みたかった。

読みたかった小説を一周し、新書コーナーにあった「漫画版 君たちはどう生きるか」を手に取った。

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「お前が読むと思って注文しといたわ」

図書館長に話しかけられた。どんな本だったか内容はいまいち覚えていない。でも館長の言葉は忘れられないのだ。僕のことを思って注文してくれた。嘘だとしても、前期試験に落ちて以降、一番うれしい言葉だった。

後期試験は適当に受けた。そんなのに限って受かってしまう。受かってしまったら悩んでしまうのが人間だ。主体性のなかった僕は先生に相談しようと学校に行った。

担任と話しても最後は自分で決めろと言われた。当たり前だ。それでも煮え切れない僕に担任は図書館長のもとに行こうと提案した。僕は館長に決めきれない事情を全部話した。それに対する館長の一言目は予想外の言葉だった。

「行け」

その二文字で涙があふれた。僕は背中を押してほしかっただけだったんだ。静かな図書館で号泣する僕に館長はつづけた。

「おれは誰にでもそう言うてるんやない。お前の頑張ってる姿は、よう見とった。悔しくてこんなに泣くくらい頑張ったんやろ。前期で燃え尽きるくらい頑張ったんやろ。じゃあ胸張って受かったとこ行かんかい。いいか、お前の努力は無駄なんかじゃない。お前は人生のものさしを手に入れたんや。それだけ頑張ったことが、それだけやっても受からんかったって経験が、今後生きていく中で役に立つ。お前が手に入れた”ものさし”さえあれば、どこでもうまく生きてけるわ。はよ行け。」

その言葉を聞いたとき、落ちた時よりもさらに泣いた。なんとなく生きてきた自分に死ぬほど響いた言葉だった。

進学を決め、ぐしゃぐしゃになった顔で入学用の証明写真を撮った。その不細工な顔は今も僕の学生証である。

本をたくさん読む人の言葉は豊かだ。僕は理系大学院に進むが、たくさん本を読もうと思う。まだまだ文章がへたくそだが、小学生のころからの夢がある。

それは本を書くことだ。

その夢がかなったら、最初に見せる人は友達でも家族でもなく、館長と決めている。

汚い関西弁での辛口批評を期待している。

どうか、その日まで生きていてほしい。





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