文字蠢く『文字渦』

円城塔の話題作『文字渦』が文庫化されてたので読んだ。
なんというか予想通りの大傑作?。
何を言ってるかあれだが、静かに冷静に傑作然としているのである。

読書の楽しみの最もの一つは、「新しい視点」であるのは間違いないけど、まさしくこの『文字渦』は読者の文字に対しての視点を変える絶大な力がある。この一大SFに触れる前とあとでは目に入る文字の生命力がダンチなのだ。

とりあえず適当に各話の感想を書いて残しておきます。


イカネタバレアリ
以下根足暴露有里





各話感想


文字渦

表題作、モジカなのかモジウズなのかわからん。
俑(ヨウ)という墓に埋めるための陶器人形を作る人の話。
現実を”写し取る”という文字の原始的意味合いを考えさせられる。

嬴・始皇帝を俑で表現するのに、始皇帝以外の物を徹底的に俑化することで真なる始皇帝を表現するというのはなんだかラカン的なシニフィアンネットワークのイメージで読んだ。

渦というのも中心には何もない機構である。


緑字

最初なんのこっちゃと思ったが特色印刷の指定プログラムの話だとわかるとすんなり読めた。
遠大なる太陽系写経プログラム。

機械語を海、人語を陸と捉えるのも非常に面白い。
ネットページのソースなど、機械語の中に現れるコメントの日本語を見つけた時は確かに島、地に足つけられるところを発見した気持ちになる。
(Chrome使ってる人は 表示 > 開発/管理 > ソースを表示 をしてみると良い)

蛍光を示す文字についての似非科学描写は楽しい。
認知の度合いで発光具合が変化するなど人と共存しているところが面白い。

よく見るとインデントが2種類あることに気づく。そういうのもプログラムからの演出なんだろう。
起点から冥王星と同じ距離の場所に印刷指定された「門がまえのなかに門」の漢字も入れ子的なものでプログラムのイメージを取れる。


闘字

文字を戦わせる話。ここら辺から文字が蠢き出す。
カードゲームみたいにフォーマットが決まっているからこそできる遊びなのかな?
最終的にヘブライ語云々で決着がつくのが面白い。
そもそも象形(何かをかたどったもの)文字から発展した漢字の中に、別言語の形を見出すというのはなんだか不思議な感覚に陥る。


梅枝

『文字渦』内での名物?キャラの境部さんの初登場回。
現代に生きているとどうも整理されたフォントの中にいるので、そのデバイス、メディアごとに文字も変わりうるという、よくよく考えれば当たり前のように思うことに気づかされる。
さらにこの話は、この先書体がどうなっていくかという未来に向かっているので密度が高い。

英語に翻訳された源氏物語をサイド日本語に翻訳する行為は、境部さんが最後に語る「文字の本質」なるものを求めてのことか。
これは俑の話に通づる?

そしてこの話の最後に『文字渦』の一大メッセージが示される。

新字

文字の力による国家転覆の話。
独自の文字(書体)が完成するということはその国が世界を支配することである。
文字ではなく言葉の話だが、オーウェル『1984』のニュースピークを想起した。言語が思考をかたどる。

石積が日本に帰ってきてから「新字」を作っていたようだが、それが見事普及していたらどうなっていたのかと思いを馳せる。


微字

本格的に蠢き出した文字たち。
自己増殖や誤字というまさに進化論的な話でそれが高密度に考察されている。
図的、パズル的に面白い話。

チューリング・マシンを図霊機とするのは音遊びか?
ズーレイマシン


種字

これは難しかった。
三葉結び目をタイムマシンとするのは非常に面白い。
すでに描いた線の下を潜るというのに時空を遡る必要があると。

これもデバイスと書体の話なんだろうか?
悟りを開くために文字となる。文字であるなら成仏を「成仏」と書くことで表現できる。
ところどころゲーデルっぽい雰囲気も感じ取れて面白いけど、全体でどんな話かは掴み損ねた。

成仏は後々重要な概念として現る(時間旅行も同時に表現してそうだ)


誤字

これは圧倒されるルビ狂乱。
文字コードの奪い合いという本格的に文字の方が主体になっている話。
入力と出力において信頼の置けなくなった本文に抵抗するルビレジスタンス。
文字視点に立たなきゃ意味不明な話。
多分、円城塔は人間じゃなくて文字なんでしょうね。

ラスト、ルビの独立運動は達成されたのか?

途中、明朝体の漢字をゴシックに空目する誤字に出くわした。


天書

老師の言葉に対するインベーダーゲーム。
いきなりXORとか出てくるあたりの時空歪み感覚はやはり文字の力なのであろう。最初の方がかなり硬い漢字で進むのでなおさら。
最後、王羲之は自然の中に潜む文字が見えるようになる。

ここまでくると「緑字」で冥王星がまだ惑星として記されているのも時空の歪みなんかなと思う。


金字

ユーモアが冴え渡る一品。
笑えるという意味で一番面白かった。

アミダ・ドライブ最高!南無阿弥陀南無仏阿弥陀仏。
そりゃ写経制度よりパスワード制の方が楽だよね。

ルビ遊びも面白い。
如来のカタカナ名には一音に1文字、漢字の方は一文字に2文字でその意味を表現している。考えるのかなり疲れそう。
お気に入りは
マハーガンダ・ラージャ・ニルバーサ
いいにおいがするうえやたらとひかる

最後”かな”ちゃんが自ら使命を思い出すのは正統派自己探求物語感があって惑惑する。


幻字

文字パズル的な推理もの。好きな人にはたまらないだろうな。
ワクワク事件なるものの概要を説明することが、当の事件の発生源になってしまうお話。ここにも三葉結び目が関わっているのか時空の歪みを起こす文字の力を感じる。

反転によって増殖していく文字たちは、遺伝子の自己複製子のポジネガみたいなイメージがしてここにも生命としての文字がいる。


かな

読み始めは難しいなぁ最後これか……」なんて思って読んでいたけど、ラストの転生後?の”かな”ちゃんが他の言語に依存せずに自立たいと意思を示す所に、この作品のなかで一番感情的なものを感じた。

それまではある種、(文字の話なので)冷徹に楽しんでいたのだが、ここまで積み上げてきた文字生命への共感?尊厳意識?が一気にまとめ挙げられて清々しい気持ちのエンディングを迎えられた。


まとめ

全部の話がそれぞれに新しい感覚で脳を開いてくれた。
円城塔の母語が日本語で自分も日本語話者であることを心底幸せに思う。
ジョイスやルイス・キャロルを自国語で読めた人もきっとこんな感情を抱いたんだろう。ま、どっちも読んだことないんですけど。

『文字渦』を読んでいると円城塔が、目の前に現前する文字をそれぞれユニークな個体として扱っているのが伝わってくる。
静的な規律としてのものでなく、動きを持った個々の生命としての文字。この本を読むと、手で文章を描きたくなる。
帯に書いてあった「文字ももじもじ」って一見バカみたいな言葉も、読んでみるとなるほど、本作が要約されている。

現実の写しとしての文字をそもそものそれ自体として扱う、シニフィアン(表しているもの)とシニフィエ(表されているもの)を同一視する技法で蠢く文字の生態系を構築していく文字の箱庭。


当本は本当に当たり本です。

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