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ピンチョン『ブリーディング・エッジ』 製本して、読んで、装画を描く|②読む

さあ読みます。
というか読みました。ここには感想を書きます。

長いので装画にスキップしたい方はこちらから。

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改めて『ブリーディング・エッジ』はこんな作品

舞台はニューヨーク、2001年(つまりテロの起きた年)の一年間を描く物語。金融不正調査をしている主人公マクシーン・ターナウがひょんなことから(便利な言葉ね)ディープウェブを行ったり来たりで、ニューヨーク地下を蠢く闇に触れていく、インターネット社会を題材にした探偵”風味”な小説です。
因みにタイトルのBleeding Edgeは意訳すると出血性のある先端、つまりリスクを伴った先端技術ということです。


さて本当に感想ですので、バラバラと私が思ったこと、読み取ったことを書く場所になります。


ーーー新人類ニ告グ、ココヨリネタバレ区域ーーー







面白い

まずはじめに、面白いです。
『AKIRA』とかポケモンなど日本人としてなんだか嬉しくなる描写もさることながら、ノルシュテインの『霧の中のハリネズミ』についても言及があって個人的に楽しい場面は多い。
しかし何が面白いかっていうと……ここが難しい。非常に。
頑張って言語化します。

物語の過程と構造、どちらも面白いです。
これは今までに読んだ『重力の虹』『競売ナンバー49の叫び(以下49)』も同じ評価です。

まず、過程とはそこでおきていること。とにかくキャラや会話やエピゾードが面白い。異常な嗅覚を使って文字通り事件を嗅ぎ回る人物が出てきたり、映画館での盗撮で海賊版を作っていたのが評価されたドキュメンタリー映画監督など、個性的なキャラがたくさん出てきて、それぞれにシャレの聞いた会話を繰り広げていく。

物語構造の面白さは私がピンチョンを好きな、または彼の作品に調和する理由でもあります。

過程の部分はもはや読んでくれという他ないというか、好きなエピソードの羅列になるので、今回は特に構造の面白さについて思ったところを書いていきます。


集中線のエッジ

私はこの作品を集中線のイメージで捉えて読んでいました。
一点に集約していくようなロングアイランド、モントーク岬の風景。汚物が流れていくトイレの配管。などなど。

※以下本文引用は全て柳楽馨訳

つまりロングアイランドの全て、国防関係の工場に殺人的な交通量、永遠に許されざる共和党の罪の歴史、呵責ない郊外化、何マイルもの刈り込まれた庭園や土建屋が敷いた硬い土台、瓦のように重なりあうビーバーボードにアスファルト、樹々のない何エーカーものひろがり、そんな全てがここに殺到し互いに折り崩れ、遠大なる大西洋という荒野を前にしたつま先立ちのための末端に、流れ込む。
彼女は吐き、その時彼女が幻視した光景の中では、街中のあらゆる陰鬱なオフィスと束の間立ち寄るだけの忘れられたスペースから、多岐にわたる巨大な網の目を経てたった一つのパイプに向けて、肛門から出たガスや臭い息や腐敗した体組織が流れ込み咆哮し続ける不断の風となり、予想がつくだろうがそれがどこかニュージャージーの方で排出されているのだ…(後略)

どちらも「一点」に向けてあらゆるものがなだれ込んでいくような感じ。
ここにブリーディング・エッジを読み取りました。


さあ、このエッジは何のエッジなのか、それを探るために絵を描きましょう。彼の作品構造に対して、私は図形的なイメージで捉えています。

例えば『49』では星座です。
あらゆる点(トリステロ)が提示されるのに対し、それを結ぶ方法がパラノイア(妄想)であり、その結ぶ行為が「私(I)」そのものである。そう読みました。本文中には、実際に星座の比喩も出てきました。
これは物語を作る人間の能力であり、「私」としてひとまとまりになるための重要な行為だと思います。(それができなければムーチョのような還元主義的なものの見方になってしまい全てがsine波に還元されて個人の差は消えてしまう)

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続いて『重力の虹』
こちらは複数の線で構成された網です。
(佐藤良明さんの解説を読んでようやく感じ取ったもの)

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この作品は複数のエピソードが混ぜ合わされています。
それぞれのエピソードが線(物語)です。それが錯綜することで網の目を描き出す。
ピンチョンはこれによってわかりやすい一本の大きな線(物語)を拒絶しているように思います。エピソードをわかりやすく分割せずに、世界、戦争の複雑さをそのまま表現しようとしたのだと感じました。


そして『ブリーディング・エッジ』
本作を表現しようとすればそれは、一点に集約する集中線
先にも書きましたがこれはかなりエッジーな図形です。(血が出そう)
線の集まる点はゼロ。無次元の特異点です。

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これは、何か一点に原因を求める陰謀論的な図でもあると思います。
不可解な事件や出来事があると人々はすぐに答えを求めます。それもわかりやすいもので、何か誰か悪い奴が裏で操っている。なんてもの。
(グノーシス主義的に、世界の不具合は狂った神、ヤルダバオトが支配しているからだ、と)
そんな敵がはっきりしたわかりやすい物語を作る図形です。


ここで作中、左翼活動家でマクシーンの友人、マーチ・ケレハーが行った、クーゲルブリッツの卒業生に向けてのスピーチが思い起こされます。
彼女はある寓話を語ります。
街の影の支配者は秘密裏に活動を行っており、自身の正体を見破る人間は金で買収していました。そんな中、ひとりのホームレスの老婆と出会います。この老婆は、支配者が良かれと思って差し出した金銭を拒否します。その後も寓話は続き、最後に卒業生たちに語りかけるのです。ひと時代前では、このような寓話は誰が誰を表していたかは皆わかっていたが、今の時代ではどうか、と。

「この年取った婦人は誰でしょう?長い年月をかけて、この婦人は自分が何を見出したと思っているのでしょう?彼女を金で買おうとして拒まれたこの“支配者”って誰のことでしょう?それに、この人が“秘密裏に”やっていた“仕事”って何でしょう?この“支配者”っていうのは、一人の人間のことなんかじゃあなくて、魂を持たない勢力だと思ってほしいですね、その勢力は、何かを尊いものにすることはできなくてもその何かに肩書きを与えることができて、いま話しているこの街この国では、肩書きだけでも十分すぎるとしたら?(後略)


一人の人間、一つの組織が牛耳るには世界は複雑になってしまった。
(一人の悪人が支配できるとしたらその悪人は最高の指導者では?)
それに魂をもたない勢力。これはボトムアップ式に湧き上がる悪夢や惨事についての表現ではないかと思います。

そんな複雑な世界で、わかりやすい原因(誰か)を求めることは出血を伴う先端を作り出すかのような、そんな声を聞き取りました。

線の向かう無次元である消失点というのも、一つ重要な図形的な解釈ができると思います。


消失点、ピクセル、トイレ、ゴミ、そしてグラウンド・ゼロ


消失点とは何かが消え去る場所です。絵を描くとき背景に建物などがあるとよくこの消失点をとります。そこを基準にパースの線を引いて行くのです。その消失点は無限遠の彼方でもあります。絵の上ではそこは何もかもが小さくなって消えていく場所になります。

『ブリーディング・エッジ』では、何かが消えていく場所という、消失点のイメージも感じ取れます。


■ディープ・アーチャー

ディープ・アーチャー(Deep Archer)とは作中に出てくるディープウェブの仮想世界のようなもの(ディープウェブ用のブラウザ?)
このディープ・アーチャーの世界の描写は楽しいです。出てくるたびにキター!と喜んでいました。(『重力の虹』でスロースロップが出てきたときの感覚ににいてる)
まあとにかく、このディープ・アーチャーはなんと使用者の履歴が残らない仕組みになっています。飛んだリンクは跡形もなく消えてしまう。
それにディープ・アーチャーはピクセル(点)で描画される世界です。そのどれかをクリックするとどこかのリンクに飛んだり、飛ばなかったり。
Archer(弓使い)には弓矢の一点を貫くイメージもまとわりつきます。


■トイレ

全編渡ってトイレがめちゃくちゃ出てきます。潜入撮影中の映画監督レッジがトイレを開けると謎のラボだったり。作中の悪玉とされる投資家ゲイブリエル・アイスの開いたパーティでは、壁に水が流れているだけのものや、巨大な小便器など様々な様式で彩られたアトラクション・トイレの描写が展開されます。
また前述した、トイレに流れていったものがどこか一箇所に排泄されていくような描写。などなど。
トイレは汚物が消失していく場所です。


■ゴミ

これら消失していくという幻想に否を突きつける描写があります。

作中の中盤で、マクシーンはマーチの元夫の麻薬密売人に連れられ、ニューヨークの廃棄物処理場にたどり着きます。そこには消失したはずのゴミの山があります。そこでの描写は個人的に作中一二を争うものです。

(前略)彼女が生まれてすらいない一九四八年以来、彼女のすべての知り合いたちによってそれが何倍にもなり、彼女の知り合いではない人々によってそれが何倍にもなり、失われ自分の人生からは消えていったと彼女が思っていたものはただ寄せ集められて歴史となっていただけだったわけで、それはまるでユダヤ系の人間が、死があらゆるものの終わりなどではないと知ってしまうような気分だ──突然、絶対のゼロすらも奪われた不安。

絶対のゼロとは、全てが消える消失点、無次元のことでしょう。

しかし、何も消えてなくならないのです。

先に出てきた、履歴(ゴミ)を消し去るディープ・アーチャーは資本主義を象徴するゲイブリエル・アイスが買収しようとします。
自らだすゴミ(過去、痕跡)を無きものにしたいのでしょうか。

また、前述のマーチ・ケレハーのスピーチでもこのゴミや過去を消すという描写がされています。
影の支配者は、自身の正体に気づいた人間の記憶を賄賂で消します(忘れてもらう)。それに対しホームレスの女性はゴミを集めて生きており、支配者に対して「忘れること」への否を突きつけるのです。


■グラウンド・ゼロ

グラウンドゼロ(Ground Zero)とは爆心地を意味する言葉です。特に原爆など大きな爆弾によるものをそう呼ぶそうです。
世界貿易センタービル(WTC)の崩壊後の姿が広島の原爆爆心地を連想させるとのことでWTCの跡地をグラウンド・ゼロと呼ぶのが定着したそうです。

今までのゴミ、消失点を踏まえてこのグラウンド・ゼロに対する描写を見てみましょう。

(前略)電話での会話や流言や伝聞などと、可能な限り速やかに物語を掌中に収めることを抜き差しならない関心事とする勢力が浸透してくるにつれ信頼に値する歴史なるものは縮こまり“グラウンド・ゼロ”中心の荒涼たる範囲にまで狭まっていったが、(後略)

”速やかに物語を掌中に収める”
”歴史なるものは縮こまり”
双子ビルの崩壊地はある一点に集約されようとしているわけです。
ピンチョンはあるはずのない爆心地「グラウンド・ゼロ」という呼び方に文句を垂れています。
(信頼に値する歴史とは『重力の虹』的なケイオティックな存在のことだと思います)

『重力の虹』でも世界の複雑さをそのまま提示して、一本のわかりやすい線を拒否しているように見えたピンチョン。
『ブリーディング・エッジ』ではわかりやすい中心点を拒否しているように思えます。全ての悪時、惨事が集約していく陰謀の点を想定した集中線は、切れ味鋭いエッジを作り出してしまう。

そんな風に全体としては読み取りました。

しかし私たちは世界のカオスをカオスとしてそのまま認識することはできないと思います。必ず物語を使って把握する必要がある。だからと言ってその物語能力を使って世界を単純化することは避けるべきなんでしょう。


漂う幽霊と匂い

これはサブ的に漂っていたワード。

■幽霊
幽霊の描写が割と出てきます。
レスター・トレイプスという男は、アイスのお金をちょろまかしたせい?で殺されます。調査中に関わりのあったマクシーンは彼の死後、街中で彼の幽霊を度々見かけます。ディープ・アーチャーでもマクシーンは彼に出会います。
それに、ニック・ウィンダストとという謎の諜報員。彼も劇中亡くなりますが、同じくマクシーンは彼の幽霊的なものと度々出会います。
これらはやはり忘れてはいけないもの、消失させてはいけないものとして度々物語に現れます。

■匂い
冒頭にもあげた異常な嗅覚でマクシーンを手助けするコンクリングという男が出てきます。匂いとは視覚や音と違ってその場に痕跡として残ります。ある意味その場の幽霊みたいなものです。
意識して読むせいか、匂いに対する描写も多かったと思います。


物語的物語

もう少し大きい視点での感想?

『49』は星座的手法で物語を作ること、『重力の虹』『ブリーディング・エッジ』ではわかりやすい物語の拒否、という風に私個人はピンチョン作品を読んできたわけですが、「物語」というのは重要なテーマだと思います。

ピンチョンの作品はイヤに物語的です。
それはキャラクターが然るべき時に然るべき相手に出逢う。例えば主人公マクシーンはNYの街中でめちゃくちゃ知人と出会う。電話の相手を勘で見抜く。次に会うべき相手なども容易に出会う。

さらに良いことにマクシーンはかなりのお節介です。なにせ喧嘩上等世話焼き屋協会の熱心な支部会員らしいので(笑)お節介なのでどんどん他者の問題に踏み込んでいく。
これは物語を作る側からすると大変楽である。
なんで奴の手助けするの?息子2人もいるのにもうそんな危険なとこまで突っ込む?というのを、そりゃ、お節介だから!で進められる。
実際物語の展開に全然説得力はない。ああそうっすかって感じです。

しかし、この「物語だからね、仕方ないね」という描写が本当に物語”的”であるために、こっち(読者)が物語的読みをしなくてはならなくなる。
物語的読みとはまさしく関係妄想的なもので、ある事象とある事象を結びつけて物語を作りそこにあるものを解釈することです。(※これは私が勝手に言っていることです)

展開の説得力が剥奪された物語は、もはやエピソード羅列である。
だからこっち(読者)はこれを物語として読むために描かれた要素を紡がなきゃいけない。(『49』での点と点を結ぶ星座的読みが必要)

さらに、(私が読んできた)ピンチョンの作品は物語的主張が物語の中に入り込んでいること。物語的主張というのは、星座とか網目とか、集中線とかいうところの人が物事を把握するための物語の作り方についての話。

個人的にピンチョンを読んでる時の面白さはここにあります。

「人が物語を作るやり方をして読まなければいけない物語に、その物語の作り方についての主張が入っている」

これです。
『49』で言えば関係妄想を使って読む物語に関係妄想の主張がある。
『ブリーディング・エッジ』ではゲイブリエル・アイスを悪行が集中していく消失点となるように読める物語にその否定をする主張が入り込んでいる。
(『重力の虹』に関しては再度探ってみます。いつになるか知りませんが)

読むことと(行為)と読まれるもの(対象)が循環参照的になってくる。

『49』では肯定的に描かれていたような(関係妄想による)物語を作る主体に対して『ブリーディング・エッジ』ではその関係妄想の単純化を否定的に捉える空気を感じました。

この頭がこんがらがる感じがたまらんのです。


とにかく面白かったシーンとか

こっからはもっと気楽に好きだったシーン。

■マクシーンとハイジ
主人公マクシーンにはハイジという親友がいる。
このハイジ、マクシーンが元夫のホルストとの別居で傷心中、彼女にクルーズを勧めるのだが、これが境界性パーソナリティ障害者の協会のクルージングなのだ。これはハイジの罠。ハイジは船に乗ったマクシーンを見送り、他人の不幸を味わいながら埠頭とともに闇に消えていく。
冒頭にこのエピソードがあるのだが、こんなハメ方する奴絶交するだろ。しかし、その後もなんども出てきてはマクシーンとやっかみ言いながらも付き合いを続けていく。この会話がなんだか心地よくて好きだった。

■転がるプラスチックの蓋
作中の後半でマクシーンが出逢う転がる蓋。なんと律儀に信号待ちまでして自立しながらコロコロ転がっていくのだ。
こんな誰でもみたことあるような日常のちょっとした変な出来事に対して深みを持って表現できるのは異常だと思います。
それはこの蓋が誰かが”裏で”操作しているかもという妄想それこそが陰謀論的物語の作り方を表現しているからです。
自立駆動している世界を誰かが操っている。えーっと神様?

■ホルストと息子たち
マクシーンの元夫ホルストが地元で息子のジギーとオーティスに、自分がかつて食べていたものを食わせるシーン。なんだかよくわからんがエモ。とても好きな空気。

■群衆の描写
群衆を書くのうますぎないか?
アイスのパーティ、盛大な懐古の時間が終わり、現実の中帰っていく人混み。ここの描写がすごくよかった。
ゲシュタルトとしての人間たちを描く力、自分の作品でも取り入れたい。

■ラストのパルス波
ハロウィンで双子ビルのコスプレをしたミーシャとグリーシャが、双子ビル崩壊の一手を担った、およびレスターを殺した”らしい”アイスへの仕返しに彼のサーバーを攻撃するシーン。終盤の怒涛の展開に心地よさ抜群。
さらにユーリ・ノルシュテイン『霧の中のハリネズミ』に言及した後に、ユーリという仲間と落ち合うというネタ。マッチョなノルシュテインを想像して笑ってしまった。

■「ララ・クロフト、ポリゴン荒すぎ」
ネットでトゥームレイダーのポリゴン進化の画像をみたことがあったのでこちらも笑ってしまった。

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さいごに

こんな感想書くとは思わなかったです。
来年2021年でテロから20年も経つのですね。思い返してみるもほとんど覚えていることがない。それもそのはず、考えてもみれば、当時私はジギーとオーティスくらいの年齢だったということに気がつく。

オリジナル出版が2013年ですが、2020年の今に読んでも、というか今読んだからこそ現実と照らし合わせていろいろ思うところがありますね。
陰謀論って言葉がどれだけ聞こえてくるか。エッジーな集中線と消失点に簡単に世界を還元せず、複雑さに対して真摯に、疲れながらも向き合っていかなければなりませんね。喧嘩上等世話焼き屋協会の熱心な支部会員にならないと。

さてまだ終わってません。
これを元に装画を書かなければ。


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