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可不可のおひる休み:宮下大輔「可不可のはじまりとこれから」前編

このnoteでは、麻布十番の和食レストラン「可不可 KAFUKA TOKYO」の日々の様子や、不定期に開催される様々なジャンルのゲストを招いたトーク&食事イベントの「可不可salon」のレポートを綴っていきます。
記念すべき第1回目のnoteは、可不可宣伝部が店主である宮下大輔に可不可にまつわる様々な質問を投げかけた特別な回です。宮下大輔自身の経歴からお店の内装や器についてのこだわり、コンセプトに至るまで根掘り葉掘りインタビュー!前編と後編に分けて順次公開予定です。


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ー可不可は一見、和食を楽しめる大人の隠れ家のような印象を受けますが、生産者や酒蔵、器の作家、時には食以外の業界も含め様々なゲストを招いてお話を聞く「可不可salon」や料理教室等のイベントが頻繁に開催されており、常に賑わいや出会いのある開かれた場所になっていますよね。改めて、可不可のコンセプトを教えていただけますか?

宮下「経歴とも関わってくるんですが、もともとずっと飲食店をやってきて、最初のお店をオープンさせたのが大学在学中でした。その時から30数年が経ち、それなりに長い期間飲食業に携わってきました。お店の形態はさまざまでしたが、主に和のお店をやってきたんですね。もちろん自分なりに和についてや食材や産地のことについて考えてやってきたつもりではあったけど、振り返ってみればもう少し和とは何かや作り手についてもっときちんと考え、向き合いたいなと可不可をオープン前に思ったんです。そんな中で自分なりにもう一度和ってなんだろうや、生産者との関わり方を改めて深掘りしたい、そういう場が欲しいなというのがコンセプトのもとになりました。」

ー和についての深掘りと、生産者との関わり方ですか。そういう風に思ったきっかけが何かあったのでしょうか。

宮下「そう、以前経営していた飲食店をやめる時、今まで漫然と日本ワインや日本酒、食材を使ってきたりしたんだけど、そういう物を作っている人たちについてもう少し思いを馳せるようなことができるようにしたいなと。僕たち料理人と生産者の関係は近いけど、自分自身で知ろうとしないとわからないことがたくさんある。そして生産者と消費者では僕たち以上の距離があり、お互いに知り得ない情報がたくさんあると感じたんです。だからこそ実際に可不可で食材を料理しそれを提供し、消費者がどんな反応をするのかを生産者も知る機会が生まれたら素晴らしいことだなと思いました。それで毎月さまざまな生産者を招いてsalonを行っているんです。生産者を招き話を聞くことで自分自身も改めて食材の良さや社会課題について学ぶことができる。生産者と消費者がお互いに知り合う場にしたいという気持ちがあるんです。」

ーなるほど、可不可salonを訪れた際に私自身も生産者さんが今抱えている問題や環境に関する問題を聞き衝撃を受けました。消費者という立場からだとなかなか知ることのできない内容だなと...


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資料を配布したり、プロジェクターを使用するなど、ゲストの方によってさまざまな形で自分の思いを伝えてくれる。


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ワインの会では実際にテイスティングをしながらお話を聞くことも。


宮下「そうですね、ああいう話を消費者が聞くことで食行動とかも変わっていくのだと思う。それに食を通して人々が繋がると和やかな雰囲気が生まれてより豊かな人間関係が築けるのかもしれないと飲食店をやっていて思うことが多かったんです。ただのレストランとしてだけでなく、salonを行うことで新しいアプローチが生まれて他とは違う価値があるお店になったと実感しています。自分が今までやってきたことを考えると自分の役割としては人と人や物と物を繋ぎ合わせることができて、そういう実験的なことをできる場があるのが重要かなと。だからsalonのゲストを招く際は自分の知り合いだけでなくお客様からの推薦やリクエストを受け付ける様にしています。自分だけの関係性では生まれなかった空気や学びが生まれると予想外で楽しいです。」

ー今までとは違う形の飲食店として可不可は、さまざまな実験の場になっているんですね。これまで宮下さんは30数年飲食業に携わって来たとのことですが、今までどのくらいのお店に携わって来たのでしょうか?

宮下「1番最初のお店は世田谷に”春秋”というお店をオープンさせてもらいました。オープン当時は大学に在学中でしたが、春秋は10年ほど続けてかなり繁盛し順調に店舗数を増やしました。その後は一から自分でお店を始めてみたいと思い1995年に麻布十番に”暗闇坂 宮下”というお店を構えました。丸の内などにもお店を構え、その時も結局は10店舗ほどのお店を運営してましたね。その他にも飲食店のコンサル業の様なこともさせて頂いています。」

ー色々な場所での店舗を経験したなかで、麻布十番にお店を出した理由はなんでしょうか?

宮下「宮下をやっていたということで、良く知っている場所だったというのと、あとは僕は今まで一度も物件とかを自分で探したことがなくて全部物件とかお話しが向こうからやってくるんです。可不可もこの物件が空いて誰かお店をやってくれる人を紹介してくれないかと、相談を受けたのがきっかけでした。そのタイミングでちょうど最初に話したようなことを考えていたので、もし自由にやってもいいのであれば自分がやりましょうかと。」

ーすごいタイミングですね!そして自由にやっても良いというのは?

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テーブル席はテラスの様な作りになっている。カーテンを開けると風が気持ち良く吹き抜ける。


宮下「お店づくりや内装、コンセプトに至るまで自分で自由に決めてやらせてもらいますよーとお話ししました。間取りも少し変更させていて、元々あった扉の位置を変えて今の形にさせてもらいました。外からの光や風を取り込みやすいように工夫したんです。夏はカーテンを開けてテラスのような感じで営業をすることもあります。」

ーそうなんですね!お店の作りが独特だなぁと気になっていました。夏の可不可も開放感があって気持ちよさそうです。オープンまでの経歴などを伺ってきましたが、「可不可」という店名の由来はなんですか?

宮下「可不可は今あるお店の前にミッドタウンでお店をオープンさせる時に、佐藤可士和さんに店名を考えてもらう様に依頼したんです。それまでは自分の苗字の宮下という店名だったので、今までとは全く別の名前にしたいと思っていました。依頼をするときは記号のようなグラフィカルな感じで、海外の人も言いやすい様な名前にして欲しいと希望を伝えました。何案かあった中で一番気に入った名前が可不可でしたね。そのお店を辞めた後もこの名前を気に入っていて、可士和さんに相談して名前を使わせて頂きました。今のお店を開店するときはグラフィックをお願いすることができなかったのですが、可不可のロゴは仲の良い陶芸家の内田鋼一さんが書いて下さったこともありとても気に入っています。」


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可不可のロゴは何と陶芸家の内田鋼一さんの手書き文字。割り箸に墨をつけて書かれた文字は味があってどの文字も捨て難い。


ー可不可を訪れると宮下さんとお客さまとの距離やお客様同士の距離が近い感じがします、お客様同士や宮下さんのお付き合いはいつから始まっているのでしょうか?

宮下「それなりに長い付き合いの方、それこそ前のお店からの常連さんもいらっしゃいますがほとんどが可不可をオープンさせた当初からのお付き合いの方が多いと思います。可不可をオープンさせた当初は隠れ家的な場所ということもあり、なかなかお店を宣伝することが難しかったので1ヶ月間毎日salonのようなイベントを行って集客を行いました。かなり無茶な集客方法かなと思いましたが、その時からイベントを気に入ってくださって来てくださる方は本当に勉強熱心で行動力のある方々が多いです。おかげさまで今ではsalonの企画をご自身で考えて実施してくださる方も居て本当に助かってます。」


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お客様のご厚意でゲストを紹介頂き、実現することも。企画側の熱意が伝わる。


ー可不可salonの時、常連さん皆さんとても勉強熱心でお客様同士も仲が良く和気藹々とした雰囲気がとても居心地良く感じました。


宮下「お店の雰囲気はそこにいるお客様が作るものだと思うのですが、居心地の良い空気を作って下さるお客様方には感謝の気持ちでいっぱいです。これから先も可不可含め自分自身でもさまざまなチャレンジを行なっていこうと思っているので、お客様自身が何かチャレンジをするときにはどんどん可不可に相談を持ちかけて欲しいとも思っています。salonイベントの主催や自分のやりたいことをやる空間としてもこの場所を一緒に盛り上げていけたら嬉しいですね。」


ーありがとうございます。前編では宮下さんの経歴や、可不可オープンにまつわるお話を伺いました。後編では食器や料理、内装についてのこだわりを詳しく伺っていきたいと思います。

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