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きみはだれかのどうでもいい人

伊藤朱里

きみはだれかにとってどうでもいい
ー(だからあなたも自由になっていいんだよ)
ー(だから酷いことをしてくる人もいるんだよ)

キキララの彼女は、「実はイタいタイプだ」と感じた。過去の自分の姿がいくつか重なる。うまく立ち回ろうとし、出来てしまうが故に自分の中の幼稚な部分が追い付いてこない。幼少時代に「良い子」だったタイプにはこの傾向があると思う。失敗経験が少ない、親から怒られたり衝突する機会が少なかった・避けてきた。
彼女はこの職場で失敗を経験する。それはお客様ではなく、須藤を通じて現れる言動によってあらわになる。

キキララの彼女は、職場の他の人間から「優秀な人間」に映っていて実際仕事もできる。一方で、アルバイトの須藤はいわゆる「使えない」タイプ。それを自覚していて、しかし彼女の不器用さや勘の悪さが周囲の、特に女性の職員をいらだたせる。
須藤のうぶさ、が周囲の職員の膿を出している。意図せず。

それぞれの世代・職位で一連の流れをみることができる。田邊に関しては、「ほうほう、そうなのか」と思いながら読んだ。自分がつぶれないようにやりきること。自分の立ち位置をわきまえて、貫くこと。
しかし彼女と娘の関係性は、難しいのだ。正義感が強く、他人のことでも本気になって怒ることができる娘-る。

この小説の誠実さは「自分は必ず誰かを傷つけている」、という自覚ではないだろうか。イノセンスによる浄化作用。ー島本理生さんのコメントが少しこの小説の後味を変えてくれた。

最後の、レコーダーの1つだけ残った音声を聞いた須藤は何か思い出したのではないだろうか。東野圭吾さんの「赤い指」のおばあちゃんを思い出す。

そして職場でこの状況に遭遇する確率は90%。(私調べ)
「できる」「できない」で分類され
年齢や正社員かどうか、結婚子供の有無などで細かく分類する人間がいるものだ。彼(女)らはそれを誰かと(表面上で)共有したがる。

人生の大半は「いちいちうるせぇな」という事ばかりだと、何かで見かけた。終わってみれば、その場から離れればどうでもいいのだが渦中にいるとそうはいかなくなる。

黒板は学校にしかないけれど、学校に行けばあの耳障りな音を聞く確率が高まる。


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