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俳句、苦、虞、吼、求

類想、そんなに悪いものかなぁ。とは初心者だから思うのだけれど。(3年目程度までは初心者と言ってよいと思ってる。)句を作ろうと思ったら平凡なありふれた作品にしかなりません。それは当たり前のことのように思う。経験値が足りないのだから。

ありふれた表現に飽きたら(物足りなくなったら)類想を脱すればいいわけで、はじめから類想ダメダメでは初心者はキツい。物事には順序というものがある。

はじめは類想を恐れずがんがん作るべき。それにものたりなくなったら次がある。

俳句ポスト365で自分の入選した句を並べてみる。兼題に対し作句するのに精一杯。経験値ないから当然だよねと思いつつ、つまんない句だなぁと我ながら思う。

俳句ポストに出した自分の句はそれなりの形になってはいるのだろうけれど、心打つものがない。ハッとするものがない。何故その句が選ばれたのか、自分でもよくわかっていない。作るだけで精一杯の句なのだろうというのはなんとなくわかる。

何のために自分は俳句を作るのだろう?

泥を投げつけるように、怒りに燃えるように、立ちすくむように、口をひん曲げたように、手を叩いて笑うように、どこまでも飛んでいくかのように。

そんな表現ができたらいいのになぁ〜とは思う。思うに、何をどう感じようが、どう表現しようがその人固有のものであって他人があれこれ言うことではない。できることはその技術の優劣を理屈立てて述べるしかないような気がする。しかも、その理屈というのも人それぞれでなんとはなしにあやふや。結局選ぶ人の好みなのねーというのが一番理解しやすい。

その年代のその人なりのその時の思いや感情がある。それを素直に表現したいだけだ。そしてそれは優劣を競う何かの大会に出すようなものでもないんだろうと思う。その大会の好みでなければ選ばれるものでもないし。

自分なりの俳句が早く詠めるようになりたい。下手でも何でも。誰の添削をも拒むような自分だけの句が詠めるようになりたい。いや、俳句に限らず。

自分を押し出す自我には乏しくともそういう思いだけはある。





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