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アスリートにとっての「引退」とは

僕は今年33歳になります。この年齢まで現役を続けていると、陸上・長距離界ではベテランと言われます。同年代の選手たちはほとんどが引退し、後輩たちも続々と引退しています。そんな中、僕は有難いことに競技を続けさせて頂いています。チームにも戦力として認めてもらい、今年5年連続ニューイヤー駅伝に出場しました。

僕は今はまだ、自分の引退について考えたくありません。なぜなら、「まだまだこれから強くなれる」と本気で思っているからです。身体的な衰えはそれほど感じていません。たしかに、脚が痛くなる頻度が増えてはいますが、ランニングの技術そのものは向上している実感があるからです。

僕は以前、一度だけ競技を引退しかけたことがあります。(その話はいつかnoteに書こうと思います)、その時は、唐突に終わりを告げられた戸惑いや、心の中にたまった不満足感などから、どうしても引退を受け入れることが出来ませんでした。(そして、紆余曲折あって今のチームに入りました)今は、あの時よりは、引退について冷静に考えられるようになっていると思います。

まだまだ現役選手として走り続けたい。でも、そろそろ引退というものと真剣に向き合った方がいいんじゃないか。最近になって、そう思えるようになりました。そこで、今回は良い機会なので「アスリートが引退を迎える」とは一体どういうことなのか、僕自身のリアルな感覚を踏まえて、お話させて頂ければと思います。

引退と「死」

いきなり衝撃的な見出しで驚かせてしまってすみません。笑

僕が「引退」と考えて、真っ先にイメージするのは「死」でした。それは、自分のアイデンティティ(=陸上競技)が損なわれることと同じだからです。つまり、引退するということは「自分自身の一部が死ぬ」ということなんだと。

僕は約20年間、陸上競技を中心に生活してきました。24時間、身体に気を遣う生活です。良い練習がこなせれば満足感を得て、目標とする大会で良い成績を上げれば天にも昇るような高揚感を得ます。反対に、スランプやケガをしたときには絶望的な気持ちになります。(そして、年齢を重ねるうちに、それを表に出さない術を学んでいきます。)そんな毎日を過ごしてきました。

大袈裟に言えば、僕は陸上競技のために約20年間を生きてきました。だから、一つの人生の目的が失われるということは、僕にとっては自分自身の一部が失われることと同じだと思いました。少なくとも僕自身は、それほどまでの喪失を経験したことがありません。それと同時に、今までの生活の全てが一変することは考えるだけでとてつもない恐怖を感じます。

だから、不謹慎な例えかもしれないですが、競技からの引退は死だと、率直に思ったわけです。

「終わりを意識して、逆算して今を頑張る」とは語られ尽くされていることではあります。僕は「引退すること」を「死」と考え、今を精一杯生きようと考えることが一番腑に落ちました。だからこそ、引退を積極的に意識し、現役の間に最大限の努力をしたいと思っています。

しかし、死んでしまう自分がいる一方で、死なない自分、つまり生き続ける自分がいます。

そんな死なない自分とも、きちんと正面から向き合い、大事にしていかなければならない、と強く考えさせられた本がありました。

引退と「諦める力」

元アスリートの為末大さんは著書「諦める力」の中で、長年に渡り、現役にこだわったアスリートの悲劇について語っています。『彼らはセカンドキャリアのスタートに出遅れたことで社会に適応出来ず、人生を狂わせている』と。そして、今の(将来の)アスリートに向けて、現役のあいだから視野を広げておくことの重要性を語っています。

人には、自分が今歩いている道の横に、並行して走っている人生が必ずある。その人生に気づくのは簡単なことではない。しかし、「この道が唯一の道ではない」と意識しておくこと、そして自分が今走っているこの道がどこに繋がっているのかを意識することによって選択肢が広がる。だから、この道が閉ざされると、全てが終わりになってしまうと考える必要はない。(「諦める力」より)

僕はこの本を読んで、「僕の今までの人生は本当にこれで良かったんだろうか」と考えさせられました。この年齢まで競技にこだわることが正しいことなのか、そこまでして得られるものとは何なのか、と。

かつて一緒に汗を流した仲間たちは、ありふれた幸せな生活を送っているように見えます。僕は彼らに自分を重ねることで「そのような道もあるのだ」と漠然と考えることがありました。その上で「その道は自分の道ではない」と、その考えをずっと振り払ってきました。心のどこかで「彼らと僕は違うのだ」と考えていました。

いつの間にかベテランと言われる年齢になっても、他の道には目もくれず、「納得するまではやりたい」「いつか後悔したくない」という理由で競技を続けることを望みました。むしろ、「能力がない分、この道に集中せねば」とさえ考えていました。そして、あらゆるものを犠牲にしてきました。

そんな風にして、僕は他の道、つまり「死なない自分」と真剣に向き合おうとしてきませんでした。僕はいつのまにか、この道にしがみ付いて生きてきました。「足が速くならなければいけないんだ」と自分に言い聞かせてきました。

おそらく競技と真剣に向き合う期間が長ければ長いほど、競技がアイデンティティである割合が高くなり、僕のように視野が狭くなるのではないかと想像します。

引退と向きあった今

ですが、僕は今までの選択を何一つ後悔してはいません。今の選択をしていなければ得られなかったものが沢山あるからです。そして、多くの方々の手助けを頂き、進む道を自分で決めて来られたことは何より幸せなことなんだと、改めて気づかされました。

そんな風に自分自身を振り返った上で、今、この状況で自分は本当に何がしたいのかを改めて、考えました。

僕は純粋に「足が速くなりたい」です。「今まで足が速くなるために必死に考えてきたこと」を、結果で証明したいです。そして、誰になんと言われようが、なんと思われようが、残り少ないチャンスを掴み、世界を目指したいです。

とにかく今は、現役選手としての時間を大事にしたいです。そして、いつか引退した時にそのチャレンジを心から「やりきった」と思えれば本望です。

引退後、僕の中に何が残るのか、今はまだ見当もつきません。ですが、今は、この道がどこに続いているのかを漠然と考えながら、この道を進むという選択をしたいと思います。


というわけで、
まだまだ現役選手として頑張ります!!!

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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