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学校の成績≠WHO YOU ARE

タイトルのことは教師1年目に思ったことです。
学校の成績は生徒がどのような生徒であるかという評価ではありません。

比例している(例えば、学校の成績も性格も良い!)場合もあるでしょうが、そうばかりではありません。学校の成績と授業中の生徒の姿が全く比例していない生徒もよくいます。

授業でよく質問し、明るくムードメーカーのある生徒。やり取りする中で理解が進んでいるのもよく分かる。みんなの前で自分を見せるオープンマインドも持っている。そんな生徒でも成績を見てみると低いことがあります。

そして、そんなに素晴らしい個性を持っているのにも関わらず自分は勉強ができない=ダメ。と思っているのです。

学校は生徒の何を評価しているのだろうと思いました。

私は教師として彼の資質や能力を大きく評価しているけれど、それイコール成績ではない。明らかに私の評価項目と学校での評価項目にズレがあるように感じました。

本田由紀教授の「教育は何を評価してきたのか」にも書かれていますが、実感として私も生徒につけさせている能力は、提出物を(期限までに)出す能力、教室で静かにしておく能力、人を敬う能力、礼儀だと思っています。

自分の意見を見つけて伝える能力、異なる意見や価値観に出会った時に理解する能力、異文化理解力、想像力、批判的思考能力、それにICT能力はまだまだです。

もちろんそれ以外の能力をいろんな場面ですでに身につけている生徒もいます。高校生が上記以外の能力を身につけていないと言っているのではなくて、学校教育を通じて積極的に身につけさせようとしていないというのが私のポイントです。

そして、言いたいことは生徒には成績が振るわないからと言ってそれを自分のアイデンティティにして欲しくないということです。部活動やその他の活動場所が学校に用意されていることはそういう意味では良いことですよね。それに、日本の場合は担任、授業、部活動、その他と多角的に見たり関わったりすることもできます。

生徒が自分のアイデンティティを成績以外でも見いだせる場所や時間を確保できたら良いなと思います。

私たち教師が一人一人が現場でできることは何でしょうか。

学校現場が生徒にとって相対的に自分を見つけ、達成感を感じ、さらに飛躍する場であってほしいです。そして、それを潰さないようにすることを仕事としている教師としてできることを模索したいですね。

大きな一歩より、小さな一歩を毎日でも進めていきましょう。


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