見出し画像

私の「よい授業」の定義

最近、授業が楽しくてしょうがありません。
なんせ、生徒がかわいい。
こちらを見て話を聞いたり、笑ったり、ふざけたりする姿を見ているだけでかなりすでに癒されます。それに、話を聞いてくれる生徒を見ていると授業をすると言うことは何とありがたい瞬間かと思うことがあります。先日は、「先生、私、英語が上手くなりたいんです!」という眩しすぎる生徒がいて、今日は突然「ユーアービューティフル!」と大声で言ってくれた生徒もいました。先月は突然、喧嘩しだす生徒もいれば、こっちにバレていないと思ってコソコソ違うことをしている生徒もいます。しかし、そんな姿すら愛らしいのです。

授業に行くと私は元気になります。生徒がエネルギーを私に向けているのがわかるのです。私も同じぐらいエネルギーを注ぎます。注ぐと同じぐらい帰ってくる時もあれば、帰ってこない時もあります。生徒も私も気分の波がありますから、いつもいつも元気なわけではありません。それが人間だし、それが人生、それでいいのです。

でも、生徒がエネルギーを向けてきてくれたことに、こっちが100%答えられたなという瞬間がある時がたまにあります。そして、その爽快さと言ったらありません。

その瞬間が、私の中の「よい授業できたな」の定義です。

私は何かを「教えられた」と感じたことで充実感を感じたことは今までほとんどありません。私が充実感を感じるのは何と言っても生徒とのコミュニケーションです。生徒と話したり、笑ったり、することが本当に楽しいのです。

生徒の前に立って、何かを伝えようとする時、また生徒からこちらに向けて話しかけられたり、見られたり、する時、私はいつもエネルギーの流れを感じています。目に見えないけれど、教室にエネルギーはいつも充満しています。教師がいいエネルギー(good vibes)で生徒の前に向かうと、生徒も元気になります。一緒に英語を読むときなど、こちらの調子に合わせて生徒が読んだりするのもよくあることです。そして、こちらが元気がないと生徒も元気がありません。逆に、こちらに元気がなくても生徒のgood vibesを感じて逆に元気になることもあります。そういう時は空っぽだった自分の心のエネルギーメーターがどんどんと笑顔や笑いで満たされて行くのを感じます。そして、終われば気分がうきうきして、生徒にありがとう、と心で思うのです。

今まで教えてきた中の最高の授業も思い返せば元気をもらえた授業でした。

今まで、たくさん嫌なことや大変なことが仕事でもプライベートでもありましたが、それでもメンタルヘルスを壊さずにやってこられたのは生徒の存在があったからに他なりません。

最近、大学院の授業でムードメーターというアプリを教えてもらい、これが生徒と私の感情的なつながりを明らかにする上でも一役買いました。

このアプリは自分の感情をHigh Energy Pleasant / High Energy Unpleasant / Low Energy Pleasant /Low Energy Unpleasantの4つのグループから選びます。それぞれのグループには細かく25の感情があり、単に「気分が沈む」時にもどのような沈み方をしているのか、それはなぜかをしっかりと理解することができるような仕組みです。

このアプリを使うことで気分がすぐれなくても授業に行って帰ってくれば必ず気分がよくなっていることに最近気がつきました。もちろん、うまくいかない授業もありますから何時もではないですが、Energyの交換を授業を通して行うことで、気分が晴れていることは間違いありません。少なくとも今の私はその状態にあります。

そのエネルギー交換がうまくできた時、それがよい授業になります。よい授業はすぐにはできないし、いつもできるとは限らない。生徒と教師のエネルギーがおなじぐらいピタッとマッチする奇跡のような時に起こるのです。

もう少し、条件などを具体的にかけたらいいなと思うのですが、それは今後の課題とします。今日はここまで。続く!

Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。