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「空気」を通して「学校」を見たらどうなるか

「空気を読む」ことと日本の学校について考えています。

はじまり

きっかけは、大学院🇺🇸の授業で日本のことを話していた時。「日本では空気を読むから◯◯だ」と理由づけをしている自分に気がつきました。海外で勤務されたことのある方や、海外の方と日本の教育について話をされたご経験のある方ならなんとなく同じような経験をされたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「空気」にまつわる書籍(Book Review)

しかし、そもそも「空気を読むって」って何でしょうか?
どうやって「空気」をまたは、「空気を読めた」と説明できるのでしょう?
学校の「空気」ってどんなことを言うのでしょうか?
私たちは一体、何を読んでいるんだろう?


そんなことを考え始め、「空気」についてもっと知るためにBook Reviewでも紹介した本を読んだりしました。

空気のまとめ

簡単に、空気が何なのか、そして空気を読むとはどう言うこかについてまとめます。

🌟 空気は「絶対的な前提」です。
何か目に見えないものがあると「臨済的」に信じる日本人独特の感覚により絶対的に支配されている(と思ってしまう)メンタリティです。
🌟 空気がある所には「議論」が生まれません。また、その前提は絶対的な存在のゆえに相対化もありません。

空気と学校

学校には「空気」が存在する環境が多くあります。皆さんも考えてみてください。生徒はいつも空気を読んでいませんか。そして、教師は生徒に空気を読むように指導していませんか

空気を読むということは、学校に存在する「前提」を無条件に信じることです。その「前提」を絶対化し、その絶対化された結論に向かって進むことです。そこには科学的根拠も、批判的思考も論理的思考も存在しません。そもそも、相対化することが存在していないので、多面的に物事を見たり、多様な意見を取り入れることの価値がありません

職員会議での議論や、緊急事態での対応、新しい教育への改革(ICT導入等)など色々と考えてみてはいかがでしょうか。「空気」の存在でイノベーションが起こらなかったと感じたことはありませんか。

教室ではどうでしょうか。
「空気を読む」生徒はどんな生徒ですか。先生の言うことを聞いて、静かにしている、そんな生徒ではありませんか。そして、それがあなたの理想の生徒ですか。「空気を読む」スキルを身に付けた生徒は将来、どのような道を歩むのでしょうか。

「空気」について勉強する以前は「空気を読む」能力は他の文化にはない能力や資質のようなものがあるに違いない思っていました。もしかしたら、私がまだそれを見つけるに至っていないだけかもしれませんが、今の所そのようなものは見つかっていません。ひとつ言えるとしたら、その「前提」が大衆の利になる場合でしょうか。(例えば、マスクの着用など)

空気を読まずとも個人の判断で大衆の利を選べるようなモラルを備えた人材育成をしたいものです。

学校における課題

学校における課題は、私たちが支配されている「空気」という存在に気づく事だろうと思います。そうでなければ教師も批判的思考を教えることはむずかしいかもしれません。

鴻上さんは、「空気とは世間が崩れた存在」であるとその著書「空気と世間」で述べていました。
世間はすでに色んな意味で壊れ始めています。

世間や空気があると思っている自分自身について自覚することは大切な第一歩です。空気を本当に支配しているものは何か見極めてください。

あなたが読んでいる「前提」は誰の前提でしょうか。
あなたの前提や、あなたの考えは何ですか。
自信を持ってそれぞれの考えをぶつけあえることを、まずは教師ができるようになりたいものです。

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