見出し画像

緊急事態宣言にみる学校神聖化

本日、全国7府県でコロナウィルスの拡大をうけて緊急事態宣言が出されました。4月当初から校内の新学期にむけた動きは今週から一転、二転、三転とし続け、学校現場は大混乱。緊急事態宣言に含まれる府県にある公立学校はどこも似たような状況ではなかったでしょうか。休校になるのか、ならないのか。始業式はするのか、しないのか。課題テストはするのか、しないのか。入学式はあるのか、ないのか。休校になったら、宿題はどうするのか。

延々の疑問と、万が一の対応のため、会議につぐ会議。そして勤務校で出た最終決断は、8日に始業式、入学式実施、翌日の課題考査も。ちなみに娘の通う小学校も入学式実施です。登校日には給食もあります。

緊急事態宣言よりも大切なのは入学式。拡大感染を防ぐよりも重要なのは課題考査。そして、聞こえてくる理由は「生徒の学習機会を奪ってはいけない」「学習する機会を作ったほうが望ましい」という「生徒のため論」。ある人は「入学式をしてくれてありがとう、と思ってくれる親御さんが必ずいる。」とまで。しかし、私は思うのです。命をかけてまで登校させて手に入れなければならないほどの入学式や課題考査とは何なのかと。登校ありきの学校スタイルしか考えられないのは教師である私たちのほうではないのか、そしてそれを勝手に美しいものとして崇めているのは教師自身ではないのかと。

学校で感染が確認されれば、あっという間に広がることは間違いありません。高齢者がいるお宅や家族に医療従事者がいる生徒もいるでしょう。学校神聖化の議論については、教職に対する社会的圧力で「教師は、学校はこうあるべき」と保護者や地域が思い込んでいるものというイメージでしたが、意外にそれを堅持しているのは教員の方かもしれませんね。

日本の教育にはいいところもたくさんあります。世界各国の対応にも学びながら、このような変化にも柔軟に対応できる学校であって欲しい。そして、そこから新たなスキルを学びとる生徒を育てていけるような学校であって欲しいと思います。



Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。