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日々読み #35


6/26 晴れ

新しくはじめる仕事を任された。
言い出しっぺは自分なのだけれど、いざやってみるとなると大変だった。確認することも多いし、なんだかんだ考えなきゃいけないこと、順序を決めて取り組む必要もあって、想像していたよりも面倒だ。
家に帰ってからも少し思い出して、考えごとをしたり、調べ物をしたりしている感じだ。

自分から言い出さずに与えられた仕事をやっていればわざわざ家にまで仕事を持ち帰って、んーんーと悩む必要もなかった。でも大変さを感じると同時に同じくらいワクワクしている自分もいる。
自分が中心になっていろいろ決めて、やってみるということが楽しいのだと思う。
どうせやるなら面倒なことを楽しんでいきたい。


6/27 晴れ

世の中には広がりのある仕事と閉じた仕事というのはないけれど、広がりのある働き方と閉じた働き方というのはあるんだろうなと思う。
閉じた働き方というのは目の前の仕事を単純に多くこなすこと。多くの時間を使って対価を得る方法だ。
より体を動かせば、より大きな報酬を得られるというのはとてもわかりやすいけれどそれは閉じた働き方だ。
もちろん、それを悪く言うつもりはないし、どちらかといえば僕の仕事も閉じた働き方に分類される。
大事なのはその両者を把握した上で、選択していくことなんだと思う。広がりすぎてもいけないし、閉じすぎてもいけない。

そういう塩梅が大切なんだと思う。
最近は何についてもコスパ、タイパとかを意識してしまうらしいけれど、むしろそっちの方が大事だと思う。


6/28 晴れ

少し年の離れた友人の言葉を思い出す。
「30代は自分が得意なことで社会的に貢献できることを考えていく必要がある」
至極真っ当なことなんだけど、妙に響いた。
自分が得意なことってなんだろう。改めて考えると難しい。そして社会的にも喜ばれることってなんだろう。

看護師という仕事は一般的に社会に貢献する活動ではあるけれど、人よりもものすごく得意かと言われると難しい。30歳まであと2年だから、しばらく考えてみよう。自分が人よりも苦しくならずにできること、続けられること。


6/29 晴れ

暑すぎる。太陽の光は日に日に強くなってきて、日向に数分いるだけでジリジリとしてくる。少し車内を離れただけで、車内は蒸し風呂だ。窓を開けても外も灼熱で温度が下がらない。
逃げ場のなくなった熱たちが体にこもっていくのがわかる。
この逃げ場のない暑さが本格的に夏の到来を感じさせる。日中は地獄だが朝晩は涼しくて気持ちいい。この気持ちのいいのもあと少しで終わりが来ると思うと悲しい。


6/30 くもり

今月も気がついたら一ヵ月が終わっていた。
うまくいって嬉しいことも、うまくいってなくてもやもやすることもあるけれど、とりあえず一月過ぎた。時間はいつでも一定に流れていて、時間を意識した時に時間が等しく流れていたことを思い出して、時間の存在を思い出す。

ふと思うのは時間が過ぎるというのはある意味、救いでもあるなあということ。
時間が過ぎてタイムオーバーになることもあるけれど反対に時間が過ぎることでうやむやになったり、忘れられたり、傷が癒えたり、また考え出したりできたり、休んだりできる。

時間は過ぎてしまうものであり、過ぎていってくれるものでもある。時間というものがなかったら、人間は苦しみしかなかっただろう。無慈悲でもありながら、同時に救いでもある。何を書きたいのか自分でもわからないけれど、ただ思いつくことを書いた。以上。


7/1 晴れ

今日はサイバーパンクを最後まで見た。
おもしろかった。絵も綺麗だし、構図も綺麗にキマっててかっこよかった。
Netflixオリジナルのアニメはあまり信頼していなかったのだけれど、覆された。

夜は作り置きをした。
冷蔵庫が作り置きのタッパーで満たされていると精神的に充実感がある。
作るまでは面倒だけど、手を動かしたら案外できちゃう。掃除もそうだけれど、案外手を動かすまでが億劫なだけで充実感のあることってたくさんある。


7/2晴れ

今日も掃除から始まった。
午後は近くのライフスタイルショップに出かけた。
妻は妊娠9週目ぐらいから少しお腹が大きくなってきて、少し緩く着れるものが欲しいとのことで洋服を見に行った。
コットンやシルクなどの涼しげでゆとりのある服たちが並んでいた。妻は楽しそうに買い物を楽しんでいて、微笑ましい。

買い物している間、店主ともお話をした。
いろんな話をしたけれど、買い物っていいよねということを話したことが印象に残った。先日、旦那さんが急逝した女性が買い物に来たそうだ。
長年連れ添ったパートナーを失い、精神的に不安定だった彼女はこのお店にお買い物をしにきたそうだ。
沈んだ気持ちではあったようだが、もういっそのこと自分の欲しいと思ったものを買おうと存分に買い物を楽しみ、来店した時よりも活気を得て帰られたそうだ。「買い物」が人にここまで潤いや、活力を与えるものなのかと強く感じたという。

買い物は過去のためにするのではなく、いつも来る未来のために行うものだ。明日生きるために、買い物をする。買い物とは明日へ向けた行為であり、明日をよりよく生きていくためのかけがえのない行動なことに気づいた。

そんな話を聞いたからなのか、今日は妻を甘やかした。
明日から3食納豆で節約生活だ。

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