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日々読み #33


6/12 雨

こうして訪問看護師としていろんな人と関わっていると、分かり合えないような人を本当の意味で「分かること」って一生来ないんじゃないかなと思う時がある。

誰かが「分かる」ってそもそも誰かが作った幻想なんじゃない?って言ってたのを思い出す。

誰かのことを知ろうとものすごく努力してみたとしても、所詮は自分の中で観測可能だったり、想像可能な範囲の中で測った内容だけのものになる。どんなに博識でも客観的に分かることでしか知ろうとするしかない。
そう考えると人には本当に「分かる」ことなんてできやしないとさえ思えてしまう。

僕らができるのは何度もわからないことを突きつけられながらそれでも足掻いて、その人に寄り添おうとすることだけだ。わからないことを突きつけられるというのは苦しいけれど、それしか道はないのだ。
だから最初から諦めてもいいのだけれど、諦めることは誰にでもいつからでもできる。
だからこそ僕らは看護師としてその人に寄り添うことが必要なのかもしれない。

書いているうちに最初の気持ちと出口が変わっちゃったな。


6/13 雨

じっとりとしてやる気が出ない。
気づくとため息ばかりになってしまう。湿度が高くて呼吸がしづらい。
こういう日は体調不良を訴える人が明らかに増える。
こういうことからも人は天気に大きく影響される生き物なのだろう。

そこでふと思った。
晴れの日が多い地域の人たちと雨の多い地域の人たちでは性格が変わるのかもしれない。
天気が違うと食べている物も、聞いている音楽も、遊び方も変わってきそうだ。
そうやって考えていくと人は周りの環境の積み重ねで自分ができてくるということが言えそうだ。
自分の点検も大事だけれど、環境の点検というのも大事なのだろう。


6/14 くもり

いつもお世話になっているおじいちゃんから「CONTAXG1」という、いいフィルムカメラをもらった。趣味で写真を撮っていると言ったら「あげる」の一言でくれた。
しかも買って保管していただけで、使っていないものだという。今はもう使えないし、誰かが使ってくれた方が嬉しいと言ってくれた。使い方を調べようとGoogleで検索するとすごくいいカメラだったようで、ドキッとする。
1994年に製造されたカメラでほぼ自分と同い年で、不思議な縁を感じてしまった。筐体はすごく美しくて、ずっと見ていられる。早くこのカメラで撮りたくなった。


6/15 くもり

今日は妻が2度目の産婦人科予約日。
今回は心拍を確認しに行くという。心拍を確認できるまでは流産の可能性もあるから2人でこの日まで緊張していた。

今日は仕事で受診について行くことは叶わなかったから、仕事をしながら今ごろ受診してるのかなと考えを巡らせてそわそわした。
受診予定から1時間後くらいに妻から連絡があった。
無事心拍は確認できて、妊娠継続できているとのこと。
これから新しい命を迎えるにあたって、まったく不安がないわけではないけれど、小さな命が妻の中ですくすくと育っていることが純粋にうれしい。

帰宅後に両親に妊娠したこと、今日受診をして心拍を確認したことを伝えた。すごく喜んでいた。


6/16 晴れ

今日は暑そうだ。
数日前まで梅雨の空模様だったのに、空は高くて太陽の光はジリジリと暑い。
こんな日は車内がサウナみたいになるから、嫌だ。
今日はなるべく木陰を選んで、停車しよう。

明日は休み。天気がいいから何をしようか。
もらったカメラで写真を撮ろうか。それとも自宅でゆっくり過ごそうか。休日前の嬉しい悩みが楽しい。


6/17 晴れ

今日はいつも通りに起きて、朝ごはんを食べてシャドーハウスの続きを見た。相変わらずおもしろい。数話だけ見てから毎週恒例の掃除をした。
最近家にアリが出てきたから、少し掃除に力を入れた。
掃除の後の部屋全体のくもりみたいなものが晴れる感覚が僕は好きだ。掃除の後の達成感や充実感がそういう錯覚を起こさせるのかもしれないけれど、世界が少しだけクリアに見えるあの感覚は何度経験してもいいものだと思う。


6/18 晴れ

今日は午前中に作戦会議をして映画を見に行こうということになった。僕も妻も観たい映画が一緒だったから、迷わなかった。少し前に上映を始めた「怪物」を観に行けるのがすごく嬉しかった。  

案の定、面白かった。映画館で映画を観るということ自体久しぶりだったから、映画を観に行くこと自体だけでもうすでに嬉しかった。

鑑賞後に見た記事の解説が自分の中でとてもしっくりきたので載せておこう。

『怪物』フィルマークス記事より

わたしたちは自分の正義を物差しとし、世界を見ている。この作品が描く“怪物”は、3人の視点を通してそれぞれ違うものであった。大人たちは長年信じてきた物に固執することで、気づかないうちに“怪物”を心に住まわせていた。つまり“怪物”の正体は、自分の中にある正義感が生む“偏見”なのだ。
今作は全編を通して、誰が何を考えているのかわからない不穏な空気が付き纏う。ストーリーを追い“怪物探し”をする観客は、簡単には提示されない答えに頭を働かせ、焦れていく。誰かを悪者として見た方が、理解がしやすく楽なのだ。それこそが、現実を生きている私たちも、自分の視点からみた“怪物”を作り上げてしまうという証拠だ。
自分の見た物が全てとは限らない。また、自分の何気ない言動が、いつのまにか人を追い詰めていることもある。この作品は、誰しもが“怪物”になり得ることを示している。

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/movie-kaibutsu-review-202306?fbclid=PAAabMAprsrmjz968oymavnA81T5WWAnZ5jgxhHv8Rc38LSKZsuMPovpcilUg_aem_th_ATemKigZGxj3PA4f2YCwmmP1zFc3m0n6nPDnjBDqdvwaMsphTXRUhkE73ORmfQWfzG8

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