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日々読み #37


7/10 晴れ

昨日と一変して、雲ひとつない青空だ。
空気もカラッとしていて、朝の風は少し冷たくて気持ちがいい。昨日の湿気はどこに行ってしまったのだろう。昨日のぐったりした湿気は梅雨の悪あがきにも思えてくる。まだ強い日差しに慣れない肌が少しジリジリしてきた。

昨日から1日1枚写真をスレッズに上げるということを始めた。その日撮ったものから1枚〜数枚選んで載せる。決まりはそれだけ。完全に自分のためのスタディだ。
それに加えて、これから動画の勉強も始めてみようと思う。写真動画は少し撮り方が違うようだ。
これからどうなるのかわからないけれど、楽しいことで続けられそうなことを始めてみる。転がった先に面白い生き方の種があったらうれしい。

食いっぱぐれのない資格をとったんだからリスクはそこまでないはずだ。


7/11 晴れ

ほぼ日の糸井さんが少し前にずっと「やりかけ」があるから僕らは生きていけるというようなことを言っていた。今僕は、あれもこれも「やりかけ」だ。
だからこそ、明日を生きようと思える。
やりかけって中途半端で不完全なものに思えて、ネガティブな印象があったけど、その言葉を思い出してやりかけもいい言葉だなあと思っている。

今日はうつの人に「人ってなんで生きるんだろうね」と問いかけられた。僕は上に書いたようなことを自分の言葉で返したら「いいね、やりかけのものを持ち続ける体力とか気力があって、、、」と言われた。確かにそうだと思った。


7/12 晴れ

今日は難治性の疼痛を持つ方と話している時に興味深い言葉が見つかった。
「痛みってのは全く困ったもんだね。
少し前までは痛みは寄生虫みたいにはびこってくるものだと思ってたけれど、今となっては主体が痛みで自分が寄生虫のように思えてくるよ。」

日に日に痛みが大きくなってきていて、主体が自分から痛みに変わっていくような感覚。
痛みをなんとかしようと、意識的に体を休めたり、温めたり、反対に冷やしたり、揉んだり、さすったり。
試行錯誤の連続だという。
自分が、というよりも痛みが強いからこうしよう、こうしておこうという日々の判断があるから上に書いたようなアウトプットになったのだろう。

その方は続けた。
「自分の感じてる痛みは人間という自然の放つ叫びなんだと思う。もう自分の体は限界が近い。だからこれは仕方がない。自然をどうこうしようと抗ったとて勝てるわけがない。
災害と同じだよ。耐震工事とか津波対策なんてしても、抗えないものは抗えないんだよ。うまく付き合っていく他ないさ。もう僕はこの体と切り離すことはできないんだから。」 
なんとかしてあげたいが、薬も効かない。
手術も年齢的に耐えられない。そうなったら僕はその方の隣でゆっくり話を聞きながら、体をさするしかできなかった。


7/13  
映画「カモンカモン」をみた。
途中の時点でいい映画なのがわかった。
ひょんなことから叔父と甥の生活が始まる。
「叔父と甥」という近すぎず、遠すぎない絶妙な関係性のふたりから物語が始まる。
甥の素直で直球な問いが、叔父である主人公にいろんなことを考えさせる。
今まで考えないようにしてきた暗部にも光を照らし、叔父は甥からの介入によって変化が起き始める。
2人が影響を与え合いながらこの物語は進んでいく。
途中、大人である叔父(見ている自分も)が甥に人生において大切なことを教えられたりしていて、痛快だ。
中でも印象的だったのは2人が喧嘩した後の仲直りの方法だった。なぜ怒ってしまったのか、あの時どう感じて、あんな行動をとってしまったのかすり合わせていくあの時間はすごく自分の中で残った。
今回の設定は叔父と甥だったけれど、大人と子供、自分と恋人、自分と大切な人、あらゆる関係に普遍なやりとりだった気がする。
どちらが正しいとか、主張が正当だとか関係なく、あの時なぜ怒ってしまったのか、何が嫌だったのか、あの時どう感じたのかそれをゆっくり話し合って、お互いに納得した状態で謝ってゆるし合うこと。当たり前なんだけどその基本的な過程がどんなに大切かを教えてもらった気がした。

そして主人公が子供を1人の人間として対等な人間として関わっていく姿がとても良かった。子供のころ欲しかった大人はまさにこういう人だったのだろうと今思う。ぼくもこんな大人になりたいし、こんな父親でいたいと思う。子供が生まれる前に見れて本当に良かった。
またみたくなる映画だった。A24はいい映画が多くて困る。


7/14 晴れ

ケアは相手にしてあげるだけでなくて、相手からケアされている部分もあるよなあと思った。
今日も訪問の後にお菓子やドリンクをもらったり、ケアの後に「ああ、さっぱりした!暑い中、来てくれて本当にありがたいよ」と言ってくれる人たちが、ぼくらケアラーをケアしてくれる。
その言葉や差し入れが、僕らがいる意味や頼りにされている実感を与えてくれる気がした。

ぼくが相手を一方的に支えているのではなくて、支え合っているんだなあと気づくことができた。
ケアは気づくことや、言葉でより健やかに営んでいける。
これからも言葉や書くことを大切に生きていこうと思った。


7/15 晴れ

少し前に撮った写真を見返していると生花を写した写真が妙に良かった。
そのときに使っていたカメラはメルカリで買ったボロボロのフィルムカメラだったからピンボケだったり、モールに隙間があって焼けてしまっている写真もあって、正直写真の出来自体はよくないのだけど改めて見直すとそれはそれで美しい良い写真だった。

生けた花は絶対に終わりが来て、捨ててしまう結末が少し悲しいからあまり積極的には買わなかったけれど、写真に残しておくことができるならすごくいいなと思えた。
写真の良さはこういうところにもあるよなあと思った。


7/16 晴れ

猛暑だ。外は多分37℃ぐらいはありそうだ。
今日は暑すぎるからできるだけ家で過ごした。
こうも暑いと緊急要請がありそうだなあと思っていたけれど、無事何事もなく終わって良かった。

全く関係のない話だけど、都内で1人暮らししていた時うつ伏せで寝る癖があった。というよりうつ伏せじゃないと漠然とした不安があって、眠れなかったのかもしれない。妻と過ごすうちに仰向けで寝られるようになった。
犬や猫でもリラックスするとお腹を見せて寝るようになるけど、それと同じことなんだと思う。
やっぱり自分が思っているよりも環境は大切だよね。

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