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怒りについての考察

怒りにまつわるムーミンの話がある。

短編集「目に見えない子」に登場するニンニは虐待を受け、
姿が見えなくなってしまった女の子。

ムーミン一家に迎えられ、
やさしさに触れていくことで
少しずつ姿を取り戻していく。

しかし、いつまで経っても顔だけは戻らない。

パパがいたずらでママを海に落とそうとした時(軽犯罪だぞ!)、
ママを守るためにニンニが怒ったとき、
やっとニンニの顔が戻る

号泣した。

どうしてかわからなかった。


小学生の頃、小さな妹を怒って押し倒した時、
母にひどく怒られた。

「怒ると人はとても怖い」
という話を母から何度も聞かされた。

怒りの感情は、
とってもいけない感情だと認識した。

だから私は「怒ってはいけない」というルールを作り、怒ることをやめた
(私のrule bookの歌詞にもある)

それからは怒っていいような場面で、
悲しみが沸き起こるようになっていた。


ある時、感情について学ぶ機会があり、
「代替感情」というものを知った。

禁止した感情の代わりに、
偽物の感情を作り出すというもの。

ごくせんに出てくるような
不良少年を思い浮かべると分かりやすいかもしれない。
(あの頃の松潤かっこよかったなぁ)

彼らは怒っているが、
根本には「悲しさ」や「寂しさ」を抱えている。

本当の感情は「悲しさ」や「寂しさ」で、
代替感情が「怒り」になっている。

偽物の感情だから、
どれだけ怒っても満たされない。

ヤンクミが彼らの「悲しさ」を包み込んでくれた時、
彼らは救われる。


私は彼らとは逆に
「怒り」が「悲しみ」に置き換わっていた。


不当な扱いを受けて、悲しくて泣いていたけど、
私は本当は怒っていた。

約束を破られて、悲しくて泣いていたけど、
私は本当は怒っていた。


解決すべき感情は「怒り」だったから、
どれだけ悲しんでも、泣いても、
救われなかった。

私は怒りたかったんだ。
だからニンニを見て、泣いた。
「怒っていい」んだって。

それからは私も怒りを表現するようになった。
少しずつね。


怒りを表現し始めて学んだことがある。

カッとなってすぐや、
酔っ払ってるときなどには、
怒りをぶつけるべきではないということ。

言い過ぎてしまうからだ。

相手を傷つけすぎてしまう。

怒りは相手を傷つけるためにあるんじゃない。
自分を守るためにある。

手は出さない
罵声も浴びせない
ひどい言葉を使わない

というのが私の「怒っていい」という認識。
(命の危険があるときはすぐ怒ってね!)


一呼吸おいてから、怒ろう。

人にも、自分にも優しい自分でありたい。

そう思った、2020年の年末。

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