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【創作大賞2024】プロローグ_「先生のセックスについて」_恋愛小説部門


 

〈あらすじ〉

 あれは【セクハラ】だったのか、あるいは【恋愛】だったのか。

上司である先生からの誘いを断れず、セックスしたことにより、先生を好きになってしまった22歳の“私”。
私は先生を好きになったのに、先生は私のことを好きにはなってくれません。悲しみはやがて絶望に変わり、私が私を傷付けることでバランスをとろうとします。

自分をうまく愛せないのは母親も同じだったのかも知れません。優しかったりフキゲンだったりする不安定な母親をなぜか追い求めるように、誠実な男とクッソみたいな男を行ったり来たりしながらセックスを積み重ねた私――。果たして20年かけてたどり着いた【愛】とはなんなのか、一緒に想像して頂けると嬉しいです。



プロローグ 先生のセックスについて


「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」と。
いかなる一般道徳も、何をなすべきかを指示することはできない。この世界に指標はないのである。

 J-Pサルトル「実存主義とは何か」伊吹武彦訳

 

 先生と呼ぶ理由については、私が彼の生徒だったからではなくて、彼が先生と呼ばれる仕事をしていたからに過ぎない。私は生徒ではなく、彼の秘書だった。

 先生のことは最初からとても尊敬していた。まだフリースクールがメジャーではない時代に、不登校の子供たちに勉強を教えていたからだ。学校になじめず、集団から浮いてしまう子供たちに偏見を持たず、個性として尊重し、彼らを信頼する姿に感銘を受けた。出会った当初、まだ学生だった私にとって、常識を押し付けない大人がいるということ自体、大きな救いに感じられたのだろう。大学四年生だった私は、就職活動で何十社も落ちていた。いや、内定をもらえないどころか、圧迫面接を受けて心がバッキバキにへし折られていた。なぜこんな嫌がらせのような面接に耐えないといけないのかと思うと、社会に、あるいは大人に対して絶望せずにはいられなかった。ウツになりかけたので、就職活動からいったん離れて、塾講師のアルバイトをした時に、彼と出会った。彼は大学院で心理学を学び、カウンセラーをしていて、フリースクールでも仕事をしていると教えてくれた。

 私が大学を卒業して間もなく先生から「新しい塾をつくるので、一緒に手伝ってほしい」と頼まれた。就職活動を乗り越えられずフリーターになっていた私には断る理由もなく、先生の手伝いをすることにした。話をされたのは、たしかゴールデンウィークが終わってからだったと思うのだけど、実際に仕事をはじめたころには梅雨になっていたような気がする。

 ツーピースになっている半袖のジャケットとひざ丈のスカートをよく着ていた。スーツを選ぶほどフォーマルな職場ではないけれど、秘書ということでそれなりの品が必要だったのだ。新宿から京王線に乗り換えて、調布駅を目指す。改札口を出ると、大きなスーパーがあって、そこまで傘を差しながら歩いたことを覚えている。六月のモワンとした空気が私は嫌いじゃない。ネットリと肌にくっつく暖かさと湿度の高は、私にとって優しかった。冬のキンとした冷たさに比べると、生きていることを許してくれるような大らかさがある。スーパーまで行くと、エスカレーターで地下におりて食品売り場を目指す。先生は加糖のアイスコーヒーが好きで、いつも買っておくように言われていた。

 先生はいつも香水をつけていた。甘いとか、苦いとかっていうよりは、少し酸っぱい感じだったと思う。とはいえ、レモンみたいな軽さはなくて、透明感だけでなく、曇りガラスのような複雑さがあって、音にするとミ♭のような味わいだった。それを先生はけっこうたくさんプッシュしていたと思う。数メートル距離があっても「あっ、この辺りに先生がいるな」と気が付くほどにはミ♭の香りを放っていた。一度、住み込みのアルバイトで北海道へ行った際、先生からの手紙を受け取ったことがあるのだけど、封筒を開けると香水の香りがふわりと舞って、思わずキュンとしたことがある。一瞬にして脳内に先生が現れて、懐かしさで胸がいっぱいになった。「これはすごい演出だな」と感動した。嗅覚をとおして人の記憶に自分を残す手段があることを、私は先生から学んだところがある。

 仕事をするようになって三日か、五日か、一週間くらいしか経っていないころのことだった。ファミレスでランチをしていると、話の流れで「セックスしよう」と誘われた。どんな話の流れだったのかよく覚えてはいないけれど、私たちの話はわりと自然に流れていた。ひょっとすると、「エッチしよう」という表現だったかも知れない。いや、そんな直接的な勧誘ではなくて、もっとさりげない「ちょっとオレと試してみる?」みたいな、店員さんが試着を勧めてくるくらいの親しみがあったような気もする。

 先生から提案されたときに、私は意味がよくわからなくて、笑ってごまかした。彼にとって私がセックスの対象になっていることを想像していなかったので、驚いたというのが正しい。先生は私よりも一回り年上で、そんな大人の男性が私に興味を持つこと自体、想定しなかった。さらに容姿もタイプではなかった。一般的にはカッコイイとされていたようだけど、私のタイプではなくて、男性として惹かれることはなかった。それに何より、私は先生に雇われているのであって、恋愛しているわけではない。「これはなにかの間違いではなかろうか」と思いたかった。一方、先生は私がごまかして話題を変えたところで、何回もその話に戻ってきた。私は混乱しながらも、どうやら冗談ではないらしいと察知した。

 私にとって先生は恋愛とか性の対象ではなくて、尊敬する先生だった。正直なところ、私には彼とセックスする積極的な理由は一つも見つからなかった。「やりたくない」というのが率直な気持ちだった。なのに、「やりたくありません」とは言えなかった。私はなぜか「セックスしたくありません」と言えない人だった。

 あの時はたしか、「それは、大丈夫です……」と笑いながら何回か言ったと思う。この、「大丈夫です……」というセリフは、果たしてイエスなのかノーなのか。私は限りなくノーというニュアンスで使っているのだけど、先生は限りなくイエスのニュアンスで汲み取ったのかも知れない。いや、ひょっとすると、これが日本の“イヤよイヤよも好きの内”という文化なのだろうか。なるほど、だとしたらそういうことだったとして、“イヤよ”が“好きの内”に入るのなら、 一体、“何よ”すれば“イヤの内”に入ることができるのだろうか。それは義務教育における国語の授業で習ったのだろうか。それとも、私だけがその知識を取りこぼしたのだろうか。大学では言語学を専攻し、普通の人よりもよほど言葉の危うさを研究していたにも関わらず、あの時の私には「イヤよ」を伝える術がわからなかった。実のところ、今もそれほどわかっていない。

 面倒くさかったというのが一番適切だと思う。「大丈夫です」という最大限に気を遣ったノーを何回か伝えても、一向に受け取ってもらえないとわかると、もう断ることが面倒くさくなった。そもそも上司というか、雇い主に対して、ネガティブな主張を伝えることがものすごく難しかった。その辺でナンパされた相手ならダッシュで逃げることもできるけど、明日も明後日も、私は彼に会い、彼の指示のもと動き、彼からお金を受け取る立場なのだ。「もうなんか、この際、やった方が楽かな」と、思ってしまった。とはいえ、先生は決して脅してきたわけではない。どちらからというと、普通に口説いているような感じだった。だから、恐怖を感じたわけではなかった。というか、私はそれまでの人生で、いろんな男性とセックスしていたし、好きではない人としたこともあるし、乱交みたいなこともしていたから、どうしても守らないといけない何かがあったわけではなくて、むしろ私は私の性を恥じている方だった。それに相手は尊敬する先生だし、「まぁ、そこまで誘ってくれるのなら、やってみてもいいかな」と思ったような気もする。つまりあれだ。ビジネスの文脈には適していない、彼の軽はずみな提案に対して、全力で拒絶できるほどの自尊心が、そもそも私には欠如していたということだ。

 そのまま流されるようにホテルへ行った。あれは、調布と渋谷の間にある場所だったはずだ。ホテルを出てから、渋谷駅で降ろされたからだ。

 ほとんど何も覚えていないけれど、最初にした時に「Kちゃんは秘書だから、しているときも、僕のことは先生と呼んで」と言われた。

 先生のファッションは先生のセックスと似ていて独特のずるさがあった。いつも白いワイシャツを着ていた。それは一切の飾り気を失うことで、他のものを引き立てる役割をしているように、とても静かで自己主張をしなかった。ボタンは上から二つか三つくらい大胆に外して、鎖骨をのぞかせる。そこに細身のパンツを合わせていたのだけど、あれは皮だろうか。綿には見えなくて、もう少しシャキっとしてツルっとした、無機質な印象だった。まるで先生のように、なめらかで冷たくて感情が薄い。シャツの裾は中に入れずに出していた。六月の風が吹くと、先生のシャツがひらりとする。香水は鼻腔に届く。初めてセックスした日も、先生はやっぱりどこかずるくて、寡黙な白いシャツと凹凸のないパンツに、ミ♭の香水を身に着けていた。

 「いい? Kちゃんは秘書だからね」と念を押されたので、できる限り付き合うことにした。よくわからないけど、そういうものなのかと思ったし、一生懸命エロイ秘書を演じた。その演技力がどれだけのレベルだったのかはわからないけれど、先生はとても楽しそうで、満足そうだった。私は全く楽しくなったし、このプレイのなにが気持ちいいのかわからなかったけど、先生が嬉しそうなので、私はとても嬉しかった。先生の役に立てた気がした。

 私は当時、付き合っている人がいたけれど、先生とセックスして間もなく彼氏と別れた。先生のことが好きになったからなのか、もともと彼氏に対して窮屈だと感じていたからなのか、どちらの理由かわからなかったし、どちらの理由もあった気がする。

 先生の塾はマンションの一階にあった。先生の知り合いがリフォーム業をやっていて、その事務所を借りた。リフォーム業者はふだん外に出ていて、ほとんど事務所を使わないからちょうどよかったらしい。昼休みだけ社員が戻ってきて昼食をとるものの、塾というのは実際の稼働が夕方から夜になるので、問題はなかった。先生は授業に合わせて夕方にならないと来ないので、私は十一時に出勤して事務処理や留守番をしていた。リフォーム会社は代表も含めて、私の父親世代くらいの五十代の男性社員が三人くらいいて、とてもかわいがってくれた。私のことを気に入ってくれたらしく、先生に「お金を払うからこちらの事務もやってほしい」と打診したらしかった。

「いや、それはできないって断ったんだけどね」

 ある時、先生はそのことについて教えてくれた。先生の口調がなにか強くて誇らしげだったので、私はちょっと嬉しくなった。

「女の子がいるだけで雰囲気が良いねって言っていたけど、Kちゃんはうちの秘書だからね」

「そうですか」以外に答えようがなかったけれど、私は先生が私を守ってくれたような気がした。そこには、二人の男性が私を奪い合ってくれたような刺激的な気持ちよさがあったのだけど、それとは別に、柔らかさもあった気がする。先生は私を大切にしてくれているように思えて、愛されているような感覚になって、なんだかとてもくすぐったくて気持ちよかったのだ。だけどそれから時間が経つにつれて、それは決して喜ぶべき快楽ではないような心境にもなるのだけど――。

 リフォーム会社のおじさんたちは、昼休みになると事務所に戻ってくるので、そのタイミングでよく話をした。一人のおじさんは、私と同じくらいの娘がいるということでかわいがってくれて、いろいろな話をしたことを覚えている。私の中で先生とセックスしたことに対して、なにか特別の違和感というか罪悪感みたいなものがあって、時々辛くなることがあった。セックスをしてからすぐに先生のことを好きだと感じたけれど、この好きという感情はなにかものすごく緊迫感があったのだ。自然に好きになったというよりは、好きにならなくてはならないという、強迫観念に近かった。もともと尊敬していたので人として好きだったはずだけど、その尊敬は恋愛感情の延長線上にはなかったのかも知れない。

 セックスしてから、私は先生のことが気になって、先生に私の存在を認めてもらいたくなって仕方なかった。一方、先生は私との距離を保とうとしているのがわかった。先生はまるで私の存在を認めようとしなかった。私を遠ざけようとするのだけど、そうすればそうするほど、私は先生のことが好きになってしまった。いや、今となってはこの感情を“好き”と呼ぶべきなのかもわからない。
 どう考えてもヘルシーな好きではなかったし、少し前に別れた彼氏に感じていた好きでもなかった。ものすごく苦しくて、不安で、後ろめたくて――、もがくように、すがるように、なにかを懇願するように――、お願いだから私を認めてほしいと叫ぶように、水中で溺れそうになりながら必死で助けてと訴えるように――、そんなふうに私は先生を好きになった。

 だけど、それはセックスしてから目覚めてしまった恋に過ぎない。少なくともセックスする前の私は先生に対して、なんの恋愛感情も持っていなかったし、渇望感もなかったはずで、私からすれば、先生が先に私の感情を支配したのに違いなかった。いや、そもそもセックスしようと言った時点で、先生が先にそれに似た感情を持っていたはずだし、どう考えてもこれでは採算が合わなかった。一方的に恋愛感情を触発された挙句、目覚めてしまった感情の責任は取らずに、逃げられているところに怒りのような激しさがあった。この弄ばれている感じは何なのかわからないけれど、なにかものすごく苦しかったし、悔しかった。そう、つまり悔しかったのかも知れない。だけど悔しいと思えば思うほど、私の方へ振り向いてほしくてそれを願えば願うほど、先生はどんどん遠くに行ってしまった。

 先生はよく「依存されるのがイヤだ」と言っていた。

「『幸せにして』という女性が嫌いだ、『幸せになろう』というのならわかるけど……」

「そうですか」

「うん、依存されるのがすごくイヤだ」

 当時の私には依存というコトバの意味がわからなかった。もちろんコトバとしては知っていたけれど、自分がしていることが依存だという自覚が持てるほど、わかってはいなかった。だから距離を取ろうとする先生に対して、私は純粋に裏切られたと感じていたし、そんなわけがないと信じたかった気がする。とはいえ、セックスした後、少しの間はまだ期待があったのは確かだった。先生も私のことを好きになってくれるのではないかという、淡い期待ができるくらいには、先生の側に気遣いがあった。彼氏と別れたのもきっとそういうのがあったのではないかしら。最初の頃はまだ先生は優しかったし、セックスをしてからも一カ月くらいは、それほどぎくしゃくしていなくて、大丈夫だった気がする。時々不安になるし、溺れるような息苦しさはあったけれど、“まだ、大丈夫の方が強かった”と表現するのが適切かも知れない。

 最初の秘書プレイから二週間くらいして、先生の家でもう一度セックスをした覚えがある。調布駅から車で走って、閑静な住宅街に先生の自宅があった。玄関からリビングへつづく扉を開くと、大きなグランドピアノが鎮座していた。それは黒くてつややかで、万物を見下すようなオーラがある。先生はカウンセラーのほかに音楽を作る仕事をしているらしかった。

「毛をそろう!」

 そう提案されて、除毛することになった。理由は聞いてないけれど、今の私には聞かなくてもわかる気もする。毛のないことの価値が私にはよくわからなかったし、その景色にどれだけ欲情するのかも共感できなかったし、他者の手によって毛がなくなっていくことに快感もなかったけれど、先生がとても楽しそうで満足そうだったので、私はやっぱり嬉しかった。先生を喜ばせているような気がして、私はとても嬉しかった。グランドピアノに見おろさせるように、フローリングに寝そべった私はツルツルになった。

「やっぱりない方がいいよね」と言った彼は少し誇らしげだった。

 それから私を抱きかかえると二階へ上がり、ベッドの上におろされた。

 セックス自体は実にあっさりとしていた。特殊な性癖を感じさせないという意味で、安定感があった。最初もそうだったけれど、どこか神経質な印象がある。ビジュアルにはこだわるものの、舐めたり触ったり粘膜を刺激したりということを避けている気がした。行為には一切の生々しさはなくて、さらっとしていて、静かに交わる人だった。行為の間にコトバを発さない人だったし、目を合わせない人だった。ほとんど何も言わないどころか、私にも何も言わせないようにして、気持ちよさそうにもせず、私のことを気持ちよくしようともせず、沈黙のうちに射精して、射精すると無言のまま私を置いて、部屋を出て行った。裸のまま二階のベッドでボケっとしていると、下から音が聞こえる。恐らくそれはクラシックではなかったし、聞いたことのあるメロディーではなかったけれど、彼の奏でる音を耳の中に感じると、母の弾くショパンを思い出した。頭の中で「シーソー……」とつぶやいてみる。

 先生のピアノは悲しみと美しさを伴う不思議な和音だった。それはノクターンのような柔らかさで音としては私を包むのに、身体は受容されていないような違和感を残す。私の耳は音を拾いつづける。矛盾を持て余すようにうっとりしながら、その日は先生のベッドで一人、落ちるように眠ってしまった。

「Kちゃんはそんなにセックスはしていないけど、オナニーしているでしょ?」と言われた。そう言われた瞬間、ものすごく恥ずかしい気持ちになって、ものすごく軽蔑されているような気持になったけれど、それを隠さないといけなくて、愛想笑いを浮かべたことを覚えている。ちなみに、他の人と自慰行為の回数を競ったことはなかったのでよくわからないけれど、そんなにセックスをしていないのは確かだった。私はそれまでいろいろな人とセックスしたけれど、ジャンクフードを求めるような感覚で、それぞれ一回しかしていないことが多かったため、人数のわりに回数は重ねていなかった。そういえば、嘗ては刺激と承認を求めるような刹那的なセックスが主流だったけれど、それから二十年の間にいろいろな文脈でセックスをして、ジャンク以外の味わいも知った私には、先生のプレイこそがオナニーではなかったかと推測する。先生はセックスの間、まるで秘書人形を抱くように、私という生々しさを全く認めていなかったし、求めていなかった気がするからだ。私を抱いていながら、私はそこにいないような透明感が漂っていたし、私と交わっているとは思えないくらい孤独を感じた。先生はきっと人間の温度や匂いや音の一切を拒絶していたのではないだろうか――。

 二回したところ、私は先生をしっかりと好きなったけど、先生は私をまったく好きにはならなかった。皮肉なことに、むしろ嫌いになったのではないだろうか。先生は毛をツルツルにした後、心もツルツルになって、性欲もツルツルになって、セックスしてくれなくなった。そうすると、だんだんと先生のことがわからなくなるというか、信じられないというか、なにか裏切られているような気持ちが強くなって、ザワザワすることが増えていった。仕事をしていても、とても不安定で苦しくなった。それでも毎日、出勤しないといけなくて、なんだかそれも苦しかった。

 夜十時ごろになると、授業が終わって、先生たちは談笑を始めた。塾には開業とともに、三人の生徒がいた。先生が以前勤めていた塾から連れて来たという男子高校生は、三年生で受験生だった。講師には、現役東大生の女の子をバイトとして雇っていた。その女子大生と先生と生徒たちがキャッキャと笑う声が聞こえる。私は授業中、何をするでもなく、受付に座ってパソコンを触っているしかなかった。調布駅から自宅は遠いので、できるだけ早く帰りたかったけれど、できるだけ留守番をしてるいように言われたので、いつもただ私はそこにいるしかなかった。することもないので、洗い物をした。彼らの笑い声を背景に、キッチンスペースで先生の飲んだグラスを洗うときに、「先生は今日も、私のいれたアイスコーヒーを飲んだな」と思った。そのグラスを割りたくなった後に、死にたくなった。私は気分を変えようと、コンビニで買ってきたおにぎりを立って食べることにした。だけど、今度はそれを思い切り吐き出したくなった。それから、腕を切りたくなった。理由はわからなかった。わからなかったけど、私はそうだった。結局、おにぎりを吐き出さなかったし、腕は切らなかったから、私はまだ大丈夫だと思った。

 そんな、“まだ大丈夫”な時期に、リフォーム会社のおじさんと話しているとものすごく嬉しかった。その時間だけ現実に戻れる気がして、安心感があった。夜になるとおじさんたちが帰っていくのがなにかとても寂しくて、心細くなる気持ちもあった。おじさんたちが帰って間もなくすると先生が来るのだけど、先生が来るのがだんだん怖くなった。先生の表情を見るのが辛かったのだ。先生は時によって、「ウザイ女だな」という顔をするので、私は先生を確認することに不安と悲しみを覚えるようになった。東大の女の子が出勤してくると、「この子は先生とやっているのかな」と想像した。私は先生に抱かれたくて仕方なかった。いつになったら三回目のセックスがあるのかしらと思っては、期待と失望で胸が苦しくなっていった。

 仕事をはじめて一カ月くらいだろうか、夏休みになるとみんなで合宿をした。たしか、二回目のセックスからまだ一週間くらいしか経っていなかったと記憶するのは、私の毛がほとんどまだツルツルしていたからだ。高校三年生の男子三人に、先生の知り合いらしき若い青年が加わって、合計六人だった。その若い青年はD君といって、先生の元教え子だったらしい。私より三歳くらい若い彼は、すでに社会に出て仕事をしているようだった。この青年はなにか私のことをずっとちらちら見ている視線を感じて、とても気になっていた。

 合宿中、生徒たちに隠れて先生は私にキスをした。「隠れチュー」と言い残した先生にウットリする私。生徒たちに隠れてすることになんの理由があったのかわからないけれど、そんなロマンティックな展開に、私はまた好きになってしまった。まるで振り出しに戻ったかのように、これまで私が先生に対して渇望した、すがるような“好き”という感情が一掃されるように、また新たな気持ちで、初々しい恋心を持った気がする。それから先生は、「Kちゃんは先生の彼女なの?」とD君に聞かれたことを教えてくれた。

「そうですか。先生はなんて言ったのですか?」と私が聞くと先生は私の目を見て言った。

「いや、彼女ではないよって」

 なんとも含蓄のある言い回しに、「そうですか」としか答えられなかったけれど、内心ではなにか喜んでしまっていた。先ほどのキスと相乗効果になって、完全に心を持って行かれてしまったのだ。彼女ではないけれど、なにか特別の関係であることが示唆された気がして、それを先生が認めてくれたような気がして、私は先生にとって含みのある女であることが嬉しかった。何者でもない女よりは、何者かである方がましだった。だって私はセックスまでしたのだから、このくらいは許してほしかったし、二回もセックスしてツルツルになったのだからよけいに許してほしかったし、ツルツルになったのに、三回目のセックスをしてもらえないのだから、このくらい許してもらえないと絶望してしまいそうだったのかも知れない。あの東大生の女の子よりは私の方が何者かであってほしかった。だって私は先生の秘書になって、先生の秘書としてセックスまでしたのだから――。

 結局、セックスしたのは二回だけだったと思う。夏の合宿も終わり、除毛したはずの皮膚から、新たな産毛がわずかに生えてきたころに、私は仕事で大きなミスをした。塾のチラシを作った際に、電話番号を間違えて記載してしまったのだ。

「これじゃ、問い合わせの電話が来るわけないね!」

 先生は私を責めた。

「すみません……」

 今思えば、私のミスというより、チェックしなかった先生のミスだとも思うのだけど、社会人経験のない私にはよくわからなかった。

「いくらかかったと思っているのだよ……、チラシまくのにさぁ、いくらかかっていると思っているのよ……」

 塾には先生が連れて来た三人の男子高校生以外、新しい生徒がいなかった。

「……すみません」

このままで塾の経営が成り立つわけがないことは、私でも何となくわかっていた。

「謝らなくていいから、どうしたらよいか自分で考えて! 考えて行動してよ!」

 このころの先生はずいぶんと厳しくなっていた。言葉にとげを感じることが増えていたように思う。

「すみません……、ど、ど、どうしたらよいでしょう……」

 私はただ申し訳なくて、だけどどうすれば良いのかわからなくて、聞く以外に方法がわからなかった。

「こうなったら自力で飛び込み営業するしかないじゃない?」

「わかりました」

 私はとりあえず、近隣の団地へ行って、一軒ずつチャイムを鳴らして飛び込み営業することにした。もちろんチャイムを押しても、ほとんどの人は玄関を開けてくれなかった。インターホン越しに無視されるばかりで、全く話を聞いてもらえなかった。唯一、玄関先に出てくれた女性は外国人で、何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 電話番号を間違えて書いてしまったばかりに、とんでもないことになってしまったと反省していた。私という人間は、なぜ電話番号を書き間違えてしまうのか……、これでは大好きな先生に呆れられて、嫌われてしまうと思ってショックを受けた。自分が憎かった。私にできることは一生懸命、飛び込み営業することだけだった。授業が始まる夕方まで外へ出て団地を回った。帰りにコンビニでおにぎりを買って事務所へ戻ると、おにぎりは食べられなかった。このおにぎりを食べたら、もう私の食欲が止まらなくなるような気がしたからだ。きっと一口でも食べたら枯渇していた何かが目覚めて、止まらなくなる気がした。食べたら太ってしまうし、太ったら先生に嫌われる気がした。先生はきっと痩せている女が好きなはずだった。あの日、ツルツルにいなくなったはずの産毛はチクチクする長さを乗り越えて、それなりの長さになりつつあった。

 このころ、リフォーム会社の代表に直接聞かれたことがある。

「飛び込みやっているの?」

 先生がいないときに、彼はなにか難しい顔で私に聞いてきた。

「そうですね」と答えると彼はつづけた。

「飛び込み営業っていうのは闇雲にやるものではないよ。リストがあってね、リストの家に行くものだよ。そんな風に片っ端から家に行っても意味がないよ?」

「……」

 私は何も言えなかった。私にはなんの権限もなくて、私は先生に言われたことをただやっているだけだからだった。私が黙っていると、「それって先生に言われてやっていることなの?」と質問を重ねられた。

「……」

 責めることはないけど、何かを探るような目つきで私を見ていたことが気になって、なかなか声が出なかった。

「そう……ですね……」

 絞り出すように私が言うと、彼はそれ以上何も言わなかった。私もそれ以上、なにも言わなかった。私はとりあえず、リフォーム会社の人たちの前では、明るくしていようと思った。それからも何も変わらず日々はつづいていた。新しい生徒は増えなかったし、毛は伸びるし、私は先生が好きだった。

「先生のことが好きです」

 九月になっていたかと思う。夕日が切なさをにじませる季節だった。私は先生に告白した。

「そっか。でも、付き合わないよ」

 先生の答えはとてもシンプルだったし、なにも間違えていなかった。

「そ、そうですか」

 私はなるべく平静を保ったけれど、動揺していた。

「うん、彼女はムリだね」

 先生はいつもハッキリしていた。私はいつもモゴモゴしているのに、先生はぜったいモゴモゴしなかった。

「そうですよね、うふふ」

 私はたぶん笑っていたと思う。というよりも、笑うしかなかった。先生はいつだって、なにも間違っていないのだから。先生はウソをついていないのだから。

「うふふ」

 私はちゃんと笑っていたと思う。

「……」

 先生は何も言わずにタバコを吸っていたと思う。

「スッキリしました」と私が言うと、「そう、ならよかった」と先生は言った。

「そういえば、前に話していた“摂食障害”ってやつ。あれって、お菓子を食べ過ぎちゃうとか、そういうやつでしょ?」

 先生は突然、そんな話題を振ってきた。

「……」

 私は一瞬、何も言えなかったけれど、その後にどうにか笑いながら「そうですね」とつぶやいた。私は食べたものを吐く癖があった。高校生の頃から、私はよく食べたものを吐いていた。日常生活でストレスがかかると、特にそれはひどくなって、止まらなくなるところがあった。就職活動で落ち込んでから吐き癖は深刻化して、食べることと吐くことを一日中繰り返すようになっていた。先生はカウンセラーだから前に一度、相談したことがあったのだけど、なぜかこのタイミングでその話を持ち出した。

「じゃ、そろそろ出るね」

 先生は私の告白を切り上げるとどこかへいなくなった。私の吐く癖は、お菓子を食べ過ぎちゃうやつなのだろうか。そう言われると、そうじゃないとは言えなかった。

 私はだんだん病んでいった。営業へ行くのが辛かった。この営業に意味があるとは思えなかった。だけど、先生が怒っているし、先生は許してくれないし、やるしかなかった。これ以外にもう、私に償う方法はないから、やりたくないけどやるしかなかった。毎日、苦しくて、何をやっているのだろうと思いながら過ごした。キッチンでグラスを洗う度に、「先生のアイスコーヒーを買っているのは私なのだ」と叫びたくなった。東大の女の子ではなくて、私が買っているのだと確認したかった。そうやって自分の存在を証明するのに、証明しようとすればするほど、死にたいと思った。ふと、キッチンの排水溝に大きなゴキブリを見た。私は別に驚かなかったし、それどころかシンパシーを覚えた。彼はとてもつややかで大きな背中をしていて、包容力も感じさせた。いろいろなことを背負っているのかと想像しては、癒されていたのかも知れない。あるいは、人間に嫌われながらもしたたかに生きる姿を見て、私もこんな風に自由になりたいと憧れたような気もする。ゴキブリを見ても、なぜかそれほどイヤな気持ちにならなかったことだけは覚えている。

 十月になるかならないかのある秋の夕暮れ、飛び込み営業から事務所へ戻ると、リフォーム会社のおじさんが私に置き手紙を残してくれた。

「Kちゃん、おつかれさま。夜遅くまで、飛び込み営業しているのかな。暗くなったら危ないよ。ムリしないでね。Kちゃんと同じくらいの娘を持つおじさんより」

 この手紙を読んだ時、私は涙が止まらなくなった。ひょっとすると、なにかものすごく間違っていることをしている気がして泣いた。おじさんに抱きつきたい気持ちになったけど、私は先生の秘書だと思った。私が好きなのは先生だし、私が信じるのは先生なのだと自分に誓った。

 生徒は一人も増えなかった。私はもう、消えたかった。食べたものは大体、吐いていたけれど、吐くことがわかっていたので、極力食べないようにもしていた。塾は日曜日だけが休みで、月曜日から土曜日まで毎日出勤したのだけど、ある日曜日に力尽きてしまい、翌日の月曜日にもう行けないと思った。

「折り入って相談があります」と伝えると、調布駅近くのカフェでお茶をすることになった。

「先生のことがもう信頼できなくなりました、すみません、もうクビにしてください」と伝えると、彼はなにも表情を変えずに言った。

「そっか。別にそれはいいけど。っていうかKちゃんって、いろんなことを伝えるタイミングがずるくて汚いよ。前に摂食障害っていうことをカミングアウトしたときもさぁ、なんか『今それを言う?』っていうタイミングだよね。自分の都合が悪くなると、自分の可哀そうな話を盛り込む感じが、ずるくて卑怯だよね」

「……」

 何も言えなかったのは図星だったからなのだろうか。ズルイとか卑怯だという自覚はなかったけれど、その自覚を持っていないことがずるくて卑怯な気がした。「先生の言う通りだ」と思ってしまった。

「……すみません」

「いや、すみませんって言われてもさ、こっちはリスク負って仕事しているからさ。もういいよ」

「……すみません」

 私はあの時、泣いていただろうか、いや、泣いていなかったのではないだろうか。

その時たしか、7万円を手渡されたことを覚えている。三カ月以上、日曜日以外、毎日働いて。朝の十一時から夜の十一時まで毎日働いて、キッチンで死にたくなりながらグラスを洗った報酬が7万円なのだと思った。やりたくない営業をして、やりたくないセックスをして、やりたくない秘書プレイをして、特に望んでもいないツルツルになって、それの対価が7万円なのだろうか――。それは果たして安いのだろうか、高いのだろうか。

 ぜんぜん使えない秘書を雇ってしまったばっかりに、チラシの電話番号は間違われるし、一回セックスしただけで好きになられて、二回セックスしたくらいで付き合ってほしいと迫られて、ただセックスしただけなのに、勝手に好きになられてしまって、仕事ではまったく役に立たないのに三カ月も面倒を見てやった彼にとって、7万円は安いのだろうか、高いのだろうか。

 先生が足早にカフェを出ると私は一人で呆然とした。やっと解放されたような気がして涙が溢れた。

 私たちは何をしていたのだろうか。あれはやっぱりプレイだったのだろうか。いや、私たちという主語が間違っているのではなかろうか。それがもうおこがましいのではないか。きっと彼にとって、私は秘書という人ですらなかったはずだ。私は彼にとってお金を出して買った、人形に過ぎないのだから。

 それから家に帰って、やることも行く場所もなくなった私は部屋で一人、考えていた。

 もしかすると、先生は私のことが大切だったわけではなくて、私という秘書人形を持っていることで自尊心を満たしていただけだったのではないだろうか。リフォーム会社から打診されたときも、私を愛していたから拒否したのではなくて、独占することで自分の価値を確かめたかっただけじゃないだろうか。そうだ、どうして気が付かなったのだろう。私は結局、彼にとって自分を飾るお人形に過ぎなかったのだ。装飾品のお人形であることを忘れて、付き合ってほしいとか調子に乗るから、罰が当たったのだ。罰が当たってこうなったのだ。私が調子に乗るから――。そう、先生は間違っていない。先生は一度も間違っていない。私が勘違いしただけなのだ――。

 どうして私という人間はこんなに薄汚いのだろう。先生の言う通りじゃないか。私は摂食障害をカミングアウトするタイミングだってものすごくずるいのだ。計算していて、自分を悲劇のヒロインにして免罪符を得ようとするのだ。そうだ、母親だってそう言っていたじゃないか。前に私が摂食障害の本を渡したら、「こんなものをお母さんに読ませて、あなたもお母さんを責めているのね」と言っていたじゃないか。最初から先生に言えばいいのに、最初は恥ずかしいからっていう理由でそれを隠して、自分が責められそうになると告白して、どうにかして自分が責められないようにするのだ。そうか私は、母にも先生にも同じことをしていたのだ。私が悪いのだ。母は「こんな本を読まされているお母さんの気持ちを考えたことはあるの?」って言って泣いていた。「こんな本よりも、お母さんの方があなたのことを知っているし、わかっているわ。お母さんが一番あなたを愛しているのだから」って泣いていた母――。母を見た時に私は自分に絶望した。食べ物を吐くというワガママを摂食障害という病気のせいにしようとした私は弱いし、ずるいから。「お母さんが忙しい中で一生懸命作った料理をあなたは吐くのね」と言った母の声と潤んだ瞳を思い出そう。母は毎日、生徒にピアノを教えていて自分の時間なんて持っていなかった。誰とも遊びに行くこともなく、防音室にこもってピアノを弾いていた母――。朝早く起きて、私にご飯を作ってくれていたのに、私は痩せたくて、痩せたくて、痩せたくて、母の料理を食べなくなった。痩せる私を母が心配してくれた時、私はとても嬉しくなって食べようとした。
 だけど、食べられなくて、それがすごく申し訳なくなって今度はそれを食べて吐いた。母の料理は、母の愛情だったのに、私はそれを食べることができなくて、頑張って食べたら、なぜだかぜんぶ吐いてしまった。本当は吐きたくなかったのに、すみませんというコトバの代わりに、食べ物を吐いた。私は最低だった。こんなに母が愛してくれているのに、私はそれを受け取れないのだから――。
 私は本当に、自分のことしか考えていないエゴイスティックな人間なのだ。私はいつだって、相手の気持ちがわかっていない。相手の苦しみや痛みが想像できない愚かな人間なのだ。私のことを一番愛してくれているはずの母親を傷付けている私は醜い。私は自分ばかり愛されようとしているのだ。こんな人間を誰かが愛してくれるわけないじゃないか――。そうだ、こんな女だから先生は私を人形にしたのだ。いや、そうじゃない、こんな女なのに先生は秘書にしてくれたのだ。秘書にしてもらえただけでもありがたかったはずなのに、先生は7万円までくれて――、お金までくれたのに私はまだ自分が救われようとしているのだろうか。
 このままではダメだ。私はちゃんと落ち込んだ方がいいし、私はちゃんと自分を嫌いにならないとダメだ。セックスしたからと言って先生を好きになってしまうのもダメだ。そうだ、このタイミングもずるいのではないだろうか。セックスしてから好きになるなんてすごく汚いし、相手に失礼だ。そうだ私は本当に何もかも、タイミングが悪くて薄汚い。私はきっと先生が一番嫌いな依存する女なのだ。そうだ、だから嫌われたのだ。


 それから三日間、反省と後悔と自己嫌悪を繰り返した挙句、「やっぱり雇ってください」と連絡をした私は、先生から「イヤだ」と断られた。

 

 十月に先生の職場を辞めてから、すぐにアルバイトをはじめた。そのバイト先には、おじさんがたくさんいて、穏やかだった。そのおじさんたちは、リフォーム会社のおじさんみたいだったから私はここにいたいと思った。ラッキーなことに、そのまま就職させてもらえることになった。十一月からアルバイトをはじめて、四月には社員にしてもらった。ここでは誰もセックスしようとは誘ってこなかったし、温かった。こんな職場に就職できて、これできっと安定できると思った。


 やがて新しい彼氏もできた。おじさんだらけの職場で一緒にアルバイトをしていた彼は、一つ年下で大学四年生だった。童貞の空気をふりまいていた彼はきっと童貞だったのだろう。彼は最初にホテルへ行った時、勃起しない理由をたくさん教えてくれた。それから何度かデートを重ねて、不器用なセックスをしてくれた。彼はとても美しかった。私はぜんぜん美しくないし、処女じゃないし、何人とセックスしたか数えきれないし、秘書になったりツルツルになったりして、使い古されてボロボロだったけど、彼はそんなことまったくわかっていない気がした。だから私も何もなかったことにして、処女のように彼と付き合うことにした。彼は二回だけじゃなくて、三回目も四回目も逃げずにセックスしてくれた。美しい彼と交わることで、私もまた美しくなれるような気がした。彼の純粋さがきっと私に侵入して浄化してくれていると信じたかったのかも知れない。果たして、その期待は間違えていたのだろうか。彼は私を美しくすることはできなかったのだろうか。それは彼の能力が低いからという理由ではなくて、私が救いようもなく汚すぎたからなのだろうか。


 傍から見ると、仕事も恋愛も順調だったに違いない。安心できる居場所を見つけたはずだった。私をずるいと言う人も、私を薄汚いという人もいなかった。母は私の就職を一番に喜んでくれた。父と姉に私が就職したことを嬉しそうに連絡して、自慢しているようだった。単身赴任をしている父と、結婚して家を出ていった姉に、わざわざ伝える母の背中と声を感じると、私はまるでハグをされているような受容感を味わえた。私の進路にすっかり安心した母の姿を見ることが嬉しくて、私は正しいことをしているのだと確信した。

 だから私は、“もうこれで大丈夫”なはずだった。それは、先生のところで感じていた“まだ大丈夫”という感覚よりも、もっとちゃんとした根拠のある、“もう大丈夫”に違いなかった。私のことを一番わかってくれている母の承認ももらったのだから間違いない。私は揺るぎない “もう大丈夫”を獲得したのだ。
 
 
だけどなぜだろう。私はしばらくすると、手首を切った。


〈第二章につづく……〉 



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