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良いゲームを作るためのディレクターの戦い。面白さの探索と不安のトレードオフ

最近新卒2~3年目くらいの子が新しくディレクターに任されたけど、どうすればうまくできるのかと悩んでいたので、ディレクターとはこういうものだよという説明をした。本人はとても納得したようで良かったと思ったが、考えてみれば私も最初はすごく苦労したし、今でも仕事をするたびに「本当にこれで良いのか」と悩み続けている。

今回この記事を書こうと思ったのは、困っている人にこれ読むと良いよというようなリファレンスがなく、新卒に「ディレクターとは何か」を説明するにしても必要となるタイミングがみんなずれるため全員に説明するとすごいコストがかかる(現実的ではない)からだ。

そして、本題の結論を先に書いておく。

・ディレクターは、不確実性と戦う職業だ
・面白いゲームを作るためには「面白さの探索と不安のトレードオフ」に向き合う必要がある

これは私の解釈であり、絶対の正解ではない。ただこういうものは、違う表現で違う人から何度も情報をもらうことで、自分の中で結像し血肉になるものだと思う。なので、今困っている人は、こういう解釈もあるのかと、将来そうなるかと思っている人は、記憶のどこかにとどめておいてもらって、困ったときに取り出してもらえれば幸いだ。また困っている同僚がいたら記事を教えたりしてもらえるとありがたい。上司から押し付けられたものは、受け取りにくいものだからだ。

また、この記事の内容はゲーム業界に全く限らないものでもあるし、集団のリーダーシップ論と捉えることもできる。ただ、自分はそういう人を導く立場ではないと考えている人にも、いつしかリーダーシップ論は必要となってくし、メンバーとして動くにしても、知っていると知っていないでは動き方が全く変わってくる。

当人が「リーダーシップ論」を必要だと思っていなくとも、「良いゲームを作る」という目的を達成しようとすれば必要となるからだ。なので、実際に今すぐディレクター/リーダーになるつもりがない人も読んでもらえると良いゲームのための助けになると思う。

前回の記事は、おかげさまで大変な反響を頂いた。社内からの反応も10件ほどいただき、他のゲーム会社からの反応も人づてで頂いたりした。ありががたい限りだ。

また、思わぬ嬉しい副作用があったことも報告しておこう。今までチームの中ではフロー理論の説明をして、こういうロジックで我々のゲームは作られているよとは伝えたつもりだった。だが、ほとんどのメンバーには伝わっておらず、実質そういうロジックがあるらしいくらいだったようだ。前回の記事のあとで、チームの動きが明らかに変わった。フローを意識して、提案をしてくれるようになったり、何を作ろうとしているのか(フロー状態)を意識した会話がメンバーとできるようになった。私は、明文化とロジックに落とすのが得意だが、多くの人に広めるのは相当に難しいと考えていたので、ブログに書くことで達成できると考えておらず、ただただ驚いた。

社内に伝える方法論としては、ネットに投げるは悪くない印象だ。業界全体で、教育コストを分散したり、共通言語を作ったり、新しいプレイヤーが参入しやすくすることで、業界が活性化されて良いゲームがいくつも作られるというのが理想だと思う。

理想のディレクター像

よくある理想のディレクター像を書き出してみよう。

良い面
天才と評判。過去作では社内の評価を尻目に大ヒットを作り出した
・的確な指示のとおりに作っていくと面白くなった!すごい!
新作を出すごとに必ずヒット!おもしろい!すごい!

一方で、こういう人には、こんな闇が生まれることが多い。

悪い面
・すごくマイクロマネジメント/丸投げをするので人がついていけない
 ・マイクロマネジメントの場合は、細部まで完全に指示をするので、メンバーが作業者になってしまい成長しないし、合わないで辞めていく人も多い
 ・丸投げの場合は、何を作ればよいのか困る
作って壊してを繰り返す。ひっくり返しまくるのでチーム内では戦々恐々
 ・なぜ作り直しが必要なのか、説明がわからないが言われるのでやる
 ・当然だけどスケジュールは遅延、経営層は彼だからと黙認。度重なる遅延にスケジュールは社外に出なくなる

えてして天才はそういうものだとか、あの人はすごいけど、私はちょっとついていけないねみたいな感じの評判になる。性格が良い場合はラッキーだが、性格が苛烈だったりすると激しい展開になる。大きなゲーム会社ではよく聞く話である。でも「ゲーム作りはそういうものだよ」だったり、「あの人天才だから」でだいたい片付けられる。

では、あなたが新たにディレクターをやるとして、どんなふうにディレクションを行うだろうか?今まで見てきたディレクターを参考にするだろうか。あなたは過去にどんなディレクターだったら、良いものが出来て、どんなディレクターだと面白くないものになっただろうか?

あなたは、どんなディレクターになりたいだろうか?

ディレクターは不確実性と戦う職種である

現実のディレクターがどんな気持ちでどんな世界を見ているのかを書いてみよう。

ディレクターは、「議論を行い仕様を決めていく」という一般的なイメージとは違い、現実には「細かいたくさんの計画をするが、それらは3~7割程度失敗するので『失敗したから、次はどうするか?』を決定していく」職業である。イメージとしては、相手がいるタイプのリアルタイム戦略バトルゲームなのだけど、普通の命令コマンドも多めの確率で失敗する感じだ。さらに地形には戦場の霧が立ち込め、未来は見通せず、情報伝達も何もしなければ届いてこない。

そんな中で、不安と戦いながら、確実ではない決定を行うというのが、現実のディレクターである。ただ、表立って不安をチームメンバーに見せることは、メンバーが必要以上に不安になってしまう。なので、自分は常に成功するという前提を示して、メンバーを安心させながら、霧の中の沼地をチームと匍匐前進する、本当にそんな感じだ。

不安との戦い

自分の不安をどうするかという問題もあるが、チームメンバーの不安もどう対処するかという問題がある。ロジックは後述するが、ゲーム作りでは計画通り進まないという状況が、ほぼ確実に出てくる。そんななかで、計画が失敗するとメンバーはどうしても、このままで本当に良いのか?このディレクターについていくのは正しいのだろうかという不安が出てしまう。この側面の対処が、現実的にはかなり大変だ。

さらに日本人は世界一不安になりやすい素養を持った国民だということが判明している。

セロトニントランスポーター遺伝子という、神経伝達物質であるセロトニンの伝達に関係する遺伝情報が書き込まれた遺伝子がある。セロトニンとは、 安心の神経伝達物質であり、足りなくなると不安になる。

セロトニントランスポーター遺伝子の組み合わせは3通ある。 LL型、LS型、SS型の3つだ。

・SS(緊張しやすい・不安を感じやすい・慎重)内向性遺伝子
・LS(比較的緊張しやすい)
・LL(動じない・緊張しない・大胆)外向性遺伝子

日米の割合は以下のようになっている。

       SS型     LS型     LL型
日本人   65.1%    31.7%    3.2%
アメリカ人 18.8%    48.9%    32.3%

29カ国50135人の遺伝子調査の結果、黄色人種はS型不安遺伝子をもっている割合が高く70~80%。 これに比べて白人は40~45%となっている。 29ヵ国の中で、S型不安遺伝子保有者の割合が一番高いのが日本で80.25%である。

この遺伝子一つで、すべての基質が決定されるわけではないが、基礎的な素養そのものが違うことが理解できると思う。日本人が可愛いものが極端に好きなのも不安から逃れるための側面もあるのだろう。欧米人がそこまで可愛いものを求めないのも、それを必要とする不安がそこまでないからなのだろう。

実際20人以上のチーム運営を行うにあたり、メンバーを不安にしないというのはかなり優先度の上に置かざるを得なくなる。ただ、ここに最適化をすると、情報の二重化(安心情報をパブリックにし、コアメンバーだけで不安情報をかかえる大本営発表式)とそれによるトップダウン体制が敷かれることになる。また安心情報としての天才の存在もあり、不安から逃れるために天才が求められることになる。

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タクティクスオウガのシーンより。自由と支配の陣営での掛け合いで支配側陣営のキャラが、支配は弱者の方こそ望んでいると言い切るシーンだ。

暗黒騎士ランスロット「いや、違う。被害者でいるほうが楽なのだ。弱者だから不平を言うのではない。不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。彼らは望んで『弱者』になるのだよ。

不安の解消法で一番簡単なのが、支配されることだ。またリーダーも自分の不安を解消するために、支配をしてアルファモード(ボスモード)になることで、安心をする。この人類の群れとしての仕組みが強く働くのが日本人なのだ。

ただ、これは組織に対しての最適化であって、ゲームを作るときの情報最適化ではない。支配された人間は、安心が得られる代わりに思考が硬直化をする。また、何度ゲームを作ろうが、フロー理論を知っていようが、ゲームは何度も作り直さないと面白くはならないことが多い。ただ、今まで作っていたことが間違っていたという否定は、チームメンバーを強く不安にしてしまう。

我々が立ち向かっているものは、面白いゲームを作るという目的だったはずなのだが、いつのまにか、みんなを不安にさせないで仕様通りに完成させるという状態に陥るチームは多い。あらゆる手段も、チームメンバーの不安の前に換骨奪胎される。アジャイルによるスクラムは、問題解決のための手段なのだが、よくチームの安心のための宗教儀式になってしまうことが多い。

なぜゲームを面白くするためには作り直しが発生するのか?

実際に自分の手でプログラムやツールなどを使って、ゲームを作ったことがある人は、仕様通りに作ろうが、他のゲームをコピーしようが面白くならないことが多いのを実感している。だが、ゲーム業界でも自分の手で作ったことがない人のほうが、現実的には多い(体感として割合は9割程度だろうか)。それはシナリオライターやデザイナーといった自らのスキルでゲームを作りにくい(と思っている)職種だったり、そもそも、そういう一人でゲームを作る機会がなかったりという話だとは思う。

ゲームを作ったことがある人でも、「自分はまだ不慣れだから、熟練度が足りないから、これだけ作り直しが必要なのだ」と思うだろう。だが私の経験上、ほぼすべての制作において作り直しは必要になる。面白くなくていい、売れなくて良いだったら、ゲームもどきでも良いのだが、これは誰も得をしない。

なぜ作り直しが発生するのかを、書いてみよう。

MDAフレームワーク

何故かを説明するためにMDAフレームワークを紹介しよう。

MDAフレームワーク」はゲームの本質を「アルゴリズムレベルのゲームの根本的な仕組みを示す『Mechanics(メカニックス)』」「Mechanicsから生み出される展開を示す『Dynamics(ダイナミックス)』」「プレイヤーに生まれる感情を示す『Aesthetics(アスセティックス)』」という」3段階に分割し、それぞれを言語化・モデル化することで、ゲームデザインの評価、分析、研究へと繋げていく手段として活用するものです。

たとえば、名作ボードゲーム『モノポリー』では、次のような「Mechanics」「Aesthetics」「Dynamics」の関係が観察されます。

1.Mechanics →所持金が増えるとプレイヤーの選択肢が広がる
2.Dynamics  →状況により適した選択が繰り返されることで、貧富の差が広がる
3.Aesthetics →勝てそうにないプレイヤーは感情移入ができなくなる

ここで、負けそうなプレイヤーの感情移入を高める方法を考えてみましょう。その場合も思いつきでルールを加えたり、パラメータを調整するのではなく、「Aesthetics」と「Dynamics」を分析して「Mechanics」を見直すというステップを踏むことができます。

1.Aesthetics →負けそうなプレイヤーの感情移入を高める
2.Dynamics →貧富の差を近づけてプレイヤー間の選択の幅を縮める
3.Mechanics →所持金の量によって上昇する「税金システム」を導入する

このように各プロセスを言語化することで、イメージの伝達がスムーズになり、開発チーム内での認識がズレにくくなるのです。

MDAフレームワークでは、メカニクス(仕様)→ダイナミクス(現象)→アセスティックス(感情)という流れで分析をする。ゲーム作りにおいて、わかりやすく便利なので使ってみると良いだろう。

なぜこのような3層のフレームワークを使うのかと言うと、「ゲームメカニクスの決定」=「目的の感情の変化」とはうまく繋がらないからだ。メカニクスからダイナミクスが生じるときに、メカニクスで考えていた以外の要素が、想定と違う現象を引き起こし、目的となる感情に着地しないことがほとんどなのだ。何も大掛かりにメカニクスを変えないといけないということではない、それはUIの表示だったり、何気ない演出だったり、因果関係の連結(成功失敗の理由付け)で達成出来たりする。

メカニクスを考えているときには、想定としたアスセティックス(感情)を考えているのだが、そこが意外に全然つながらないことが多く、更にそれをチェインさせたゲームの流れ自体は、コントロールがとても難しくなるのだ。ただ、売り物になるのはアスセティックスであり、メカニクスは手段なので、アスセティックスを実現するために、メカニクスを変更するのだ。

なので、作って見ないとわからない、作ってみたら違った、(大掛かりでないにせよ)アスセティックスを実現するために仕様の変更というのが発生してくる。

おもしろさを実現するためには試行錯誤が必要になるという前提を説明したうえで、ディレクターの抱える問題に戻ろう。

面白さの探索と、不安のトレードオフ

ゲーム開発の抱える一番の難点はここだ。面白くするためには、何度も作り直しをしないといけないけど、これを行いすぎるとあなたも含めたチームが不安定になり、プロジェクトが崩壊する。

これは正面から向き合う必要がある問題だ。そしてただ不安を取り除けば良いというわけではない。不安がなくなり過ぎたチームは緊張感がなくなり、ゲームが完成しなくなる。超ヒットを作ったあとにお金が唸るほどある会社でよく見るパターンである。

必要なのは、チーム自身が本質的な「おもしろさと不安の相反」に立ち向かうことである。それは、リーダーだけでは、けして出来ないものだ。

またこの話は、プロジェクトの進捗を評価する経営側にも関わってくる話だ。予定通り開発が進んだからと言って面白くなるわけではないし、経営側が不安になられて、煮えている鍋の鍋蓋を高速で開けられるようになっても困る。

長いことゲームを作っていると何度も経験するが、素材を完成させ、見栄えがゲームっぽくなってきて、ちょっとおもしろくなってきたかな、といった段階で何故かリリースされてしまうことがある。なので、面白さの本質にどれくらい短時間で何回アプローチできるかの勝負になる。そのためには、ある種のチートや無茶振りが必要になってしまう。それを外側から観測すると、最初の「理想のディレクター像」のようになるよという話だ。

発明と不安の戦い

いくつか実例を見ながら、ディレクターの悩みとメンバーとしての苦悩を理解してもらえばと思う。

アナと雪の女王の例

ゲームではないが、ディズニーの「アナと雪の女王」は、みんなご存知だろう。日本では社会現象になり、258億円の興行を、世界では12億ドルの興行となる大ヒット作だ。続編の2も製作中だ。

当初は、原作の物語の通り、アナが主人公で、エルサ(雪の女王)は敵となる話だったそうだ。ただ、製作中に作られた「Let It Go」という曲のできが良すぎたため、エルサも主人公にして、敵の設定をやめるという改変を行った。

楽曲「Let It Go」を含めたミュージカルの構成について「作曲家ロバート・ロペスと作詞家クリステン・アンダーソン=ロペスとは毎日2時間半、14か月もビデオで会合しながらミュージカルシーンを完成させたの。実は『Let It Go』を手掛けるまではエルサは悪役だったけれど、どうも感情的に変だと判断して、その時にクリステンからエルサに共感できる曲を作ったらどうかと言われ、その共感を描いた曲からエルサが悪役ではなくなり、エルサのキャラクターも改稿することになったの。つまり、あの曲が全てを変えてしまったわけ」と語った。

ゲーム作りでも、似たようなことは起きる。しかもこれは良い方の出来事だ。想像以上のなにかが出来てしまった時、ディレクターは、その何かをコアとして今までのものをすべて再構築したくなる。予算は?期間は?最高の作品の前に全ては消し飛ぶ。最高の作品のために生きている彼らにとっては、躊躇はない。

ただ、チームメンバーは別である。確かにいい歌なのだろう。今まで1年や2年かけて作っていたものが、全てひっくり返り(素材は使い回せるところはあるとはいえ)別のものになってしまうのは恐怖でしか無い。もしかしたらこの作品は制作中止になって、自分の作品が世に出ないかもしれれない。そして、この数年は自分のキャリアにとって全く無駄な時間になってしまうかもしれない。

我々は、アナ雪が大ヒットしたという結果を知っているから、英断だと判断できる。だが、渦中の人間にとっては、どうだろうか?そもそも、今まで作ろうとしていたものも評価できるところまで進んでいる。途中でコンセプトを変えるのはいかがなものだろうか?なんでも言える。

こういう大きな変化があるときは、これ1回で終わらない。何回も似たような事が起きるである。変わったことはわかるが、それが本当にうまくいくと確信できるのは、もっと先だろう。迷走した挙げ句、公開出来ずに終わるプロジェクトもザラだ。さて、あなたならどういう判断/行動をするだろうか?

コンシュマー大作RPGの例

別の例を出してみよう。それはコンシュマーの大作RPGだった。有名ディレクターが作っており、3年ほどかけて面白いものが出来たそうだ。終盤にディレクターは通しでプレイをして、ちょっとプレイ時間が長すぎるから、町を一つ消したそうだ。

その町は、3年間それを作り続けた人がいた。

ゲーム全体として、冗長だから、削ろうは判断としては理解できる。町が消えるも理解できる。だが、それを3年精魂かけて作っていた人は、それが飲み込めるだろうか?そして、ゲームが発売され、ヒットをしたとして、なんて思えば良いのだろうか?

ちなみにこれは映画ではこれはよくある話だ。劇場公開には長すぎる理由でプロデューサーによって切られたカットが多く存在する。ディレクターズカット版やBD版のオマケでそういったシーンを多く見ることができる。

デザイン発注と発明の例

また別の例を出そう。ゲームの製作中、デザインの量産系(例:3Dキャラクタ、カード絵や背景、スキル演出等)は外部パートナーに発注することが多い。その場合、大まかな仕様のまま、これなら大丈夫だろうという見積もりで量産系デザインが発注される。

だが、途中で確実に面白くなり売れそうな発明を見つけてしまったら、そして発注済みのデザインが使えなくなるとしたら、あなたはどうすれば良いのだろうか?発明を捨てるか、デザイン(と予算と期間)を捨てるか。ディレクターは時としてそういう判断が必要となる。そして、その判断を聞いた発注デザイナーや、外注さんはどう思うだろうか?これにすべてをうまく収める回答は存在しない。

ズートピアの例

またディズニー映画からの例となるが、ズートピアというヒット映画がある。この映画は5年間をかけて作られた。安定のディズニースタジオで、ピクサーのジョン・ラセターが総監督で、さぞかしうまく作られたのだろうと思うかもしれない。

だが、この映画も例に漏れずコンセプトレベルでの変更を何度も行って、ようやくたどり着いたそうだ。

例えば初期はこんな感じだったそうだ。

息子の白熊に電流首輪をつける

その首輪をつけるのは「お祝い」とされているから息子はしゃぐ

電流が流れて首輪の意味を知る

そのシーンを見てしまったジュディとニック。ニックの首輪は、感情の昂りを表す黄色に光っている

出来た映画は、ここまで重いテーマではない。何度も作り直し、その中で冒頭にちょっと出ていた「ズートピア」という都市が良かったという評価を得てそこから、ズートピアをコアにした作品として作り直したそうだ。

主人公も変わっており、最初はニックが主人公だったそうだ。

この記事はすごく詳しく書いてあるが、読んでいて胃が痛くなるほどだ。ディズニーやピクサーですら、スマートとは言えない、ともすればプロジェクトごと吹き飛ぶような作り方をしている。ゲームでも、良い作品を作ろうと思えば、同じ問題から逃げることが出来ない。

プロジェクトの目的と個人の目的

プロジェクトの目的は、そのプロジェクトがユーザーに売れ、喜ばれ、利益を出して、そのチームがより良いものを作れるようになることだろう。

作業者として個人の目的は、ヒットに関われたり、自分の作ったものがヒット作の中で、活躍することだったりする。

ただこの二つは、ぶつかる。良いものを売れるものを作ろうとするほど、リテイク回数が増えることになる。作ったもので使われたものの割合が下がっていく。逆を言うと、良い作品であればあるほど捨てたコンテンツの割合は大きくなる。そしてその率は、95%~60%にも達する

ただ、この割合を正面からみて、余裕だと思える人は稀である。20回に1回しか成功しないゲームを人間はプレイしない。ここを誤魔化す技術はある。誤魔化しは短期では効果を発揮するが、本質的にはチーム内に欺瞞情報を流すことになる。偽物の情報を元にモノづくりを行う結果は、本質へのアプローチが出来ないため、うまくいかないのだ。なので、ごまかしではなく、どうやってチームとして現実と向き合うかだ。このために「目的と現実をみんなで見ることができるタフなチーム作り」が必要になる。

ディレクターとは、判断をする人でもあり、チーム作りをする人でもある。良いゲームを作るためには、ここは避けて通れないというのが、わかってもらえただろうか。

次回はディレクターはどうやって、この不確実性と戦えば良いのかというのを書いていこうと思う。

まとめ

ディレクターとは不確実性と戦う職種
・不確実と不安との戦いになる
 ・日本人は不安になりやすい
・面白いゲームを作るためには作り直しが必要
 ・MDAフレームワーク
・面白さの探索と不安のトレードオフ
 ・ディレクターだけでは出来ない
・発明と探索の例
 ・アナ雪のLetItGoでひっくり返る話
 ・コンシュマー大作RPGで町が消えた話
 ・デザインと発明のトレードオフの話
 ・ズートピアの作られ方
・プロジェクトの目的と個人の目的
 ・ある程度は捨てることが必要になる
 ・ディレクターの役割としてチーミングは大きい

今回も、実は倍くらい「どうするべきか」を書いたのだが、記事が長くなりすぎたため、次の記事に送ることにした。

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参考書籍

今回話を書いた映画のような話が、ポンポン出てくる。モノづくりはこういう戦いなのかというのが理解できる本。ゲームづくりでも応用ができるので非常にオススメ。私もプロダクト制作運用で参考にした作り方をしている。

文中に出した作品だ。中学生のときに遊び(SFC版)衝撃を受けた作品。初めて自分もゲームを作りたいと思った作品。今考えても、すごいゲームだと思う。その後、直接ゲームクリエイターになろうとしたわけではないのだが、結果ゲームを作っている。人生は不思議だ。

ちょっとネタバレになるが、なぜそこまで衝撃を受けたのかを説明しておこう。それまで私はドラクエやFFなどのRPGをプレイしていた。ストーリー上で、許容できない選択肢が出てくる場合大体ブラフであることが多く、選択するとそれが出来ないと言われてループする仕組みになっていることが多い。それはシナリオを無限に分岐することなど出来ないため、ゲームシステムとしては、あなたが自分で選択をしましたと自覚を与える仕組みでもある。と思っていた。

タクティクスオウガは、民族紛争の物語なのだが、最初の章の選択肢で、自分の民族に奮起してもらうため、自分の民族の人々を他の民族の格好に扮して自ら虐殺を行うか?という選択肢を突きつけられる。またどうせ、見せ選択肢なのだなと思った私は、虐殺を自らの手で行うを選択した。しかし、シナリオはそのまま進み、私は同胞を自らの手で虐殺していた。(もちろん、虐殺をしないの選択シナリオも存在する)ゲームの物語を、都合のいい気持ちよくなるためのストーリーだと思っていた中学生の私は、衝撃を受け、将来自分もこんなゲームが作りたいと思ったのだった。

今回の記事の話と、タクティクスオウガの大義のために少数を見捨てる話は似ている。ディレクターは作品のために、仲間(の気持ち)をあるところでは見捨てる必要が出てくる。それは、ゲームの中の勇者と違い、どんなにレベルを上げようが全てを救うことは出来ない。そこから逃げては良いゲームは作れない。これがディレクターの苦悩だ。

今でもこういうようなゲームを作りたいと思うが、私の能力が残念ながらそういうような方向ではなかったので、残念である。そういう方向性の人がいたら一緒に越えるものを作れたら嬉しい。

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ゲームデザイナー/ディレクター。かえるがすき。
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