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母の狂気。

私の母は強い。
なんというかアクが強いし、強烈な感性を持ってるし、自分の家族には気を使うという概念すらない。
そのため、いつも祖母と激しく醜い争いを繰り返し、当時子の立場であった私にとって、今の実家は立ち寄りたくない場所になった。
あの人たちに関わるのは心底めんどくさく、また母からの産前産後のイビリもあり、本当にうんざりする場所だからだ。

とはいえ、なんだかんだで実家近くには住んでいる。だが、つい寄ろうなどとは思わないくらいに距離は離れていて、おかずのお裾分けなどはしない距離感だ。

これは都合がいい。

私はそう思った。
現在、私は母と親子などとは思っていない。
間違っても溶き卵をかけられ、一つにまとめられホカホカごはんに乗せられたくはない。
今までそれなりに気を遣い優しくしたつもりだが、他に家族ができたので、私はそれをやめた。

「お互い都合の良い時だけ利用する。そんな関係にしましょう」

私は母にそう言った。
母はえっ、と小さくいいショックを受けていたようだったが、無視した。

「病院に行って、毎日点滴を受けないと母子ともに死にますよ。」と医師から言われた娘を、みっともないから病院に連れていけないと、血走った目で怒鳴りつけてきた人だ。私は自分の都合の良い時しか、あの人には会わないと決めているし、都合が悪くなれば平気で中座する。
そのような事をしていて気がついた。
母と同じ事をしているなと。

酷い対応をするやつには、酷い対応で返せばいい。こちらが謙る必要はないと最近になって私は学んだ。というか楽だった。
なので母と会う時は、気を楽にして過ごしている。

昨日、ちょっと変わったことがあったので、久方ぶりに私から、母に連絡をした。
母は、慌てるような苦しそうな声で電話に出た。
「ちょっとお腹壊しちゃって」
そうなんだ、と返事をすると、で、用事はなに?と同じ声で聞いてきたので、用件を伝えると、すぐに電話を切った。

ちょっと、と言ってるし、大したことはなさそうだ。季節は夏だし、古くなったモノでも食べたのだろう。

真夏に、クール便ではない便で、煮物を送ってくれた母だ。

きっとそんなことだろう、と私は思った。
そう思いながら夕食の支度に取り掛かると、米がないことに気がついた。
実家は米問屋でもないのに、何故か米がある。
私の中では

実家=米

なので、早速押しかけることにした。 
何度か電話をするが、でない。
仕方ない、アポ無しで米をもらいに行こう。
お裾分けはしないが米は頂く。
そんな距離感なのだ。

実家につき、勝手口から侵入すると、母はぐったりとしていた。
ポカリとOS1が雑然と置かれている。
「え、大丈夫、何食ったの」
そういうと母は、ぐったりというよりグータラといったほうが正しい感じで、こう答えた。

「生牡蠣」

強い。この人は強い。わたしはそう思った。
だって今日は7月の終わりだったから。
どこで食べたのそんなモノ、と聞くと、たいそうだるそうな視線をこちらに送りつけ、答えた。

「寿司屋だよ」

多分そこは、母が時々行く寿司屋だ。
そこの寿司屋の大将はかつてこう言っていた。

「牡蠣はね、分かんないんだよ。あたるかあたらないか。内臓ごと食べるから」

たしかにそうだ。あの黒い内臓にあたりは潜むことが多いわけで、それは外からか判別つかないとのこと。だから牡蠣はあたり率が高いし、栄養価も豊富なのかもしれない。

しかし、何故夏なんだ。
ノロか、腸炎ビブリオか。

とりあえず私は考えた。
しかし、目の前の母は、だらりと椅子に腰掛けてはいられるし、顔色は白いが生気がないわけではない。眼力もそれなりにあったので大丈夫と判断した。

「昨日は熱もでてさ」

いきなりパワーワードを口にした。
発熱はやばい。
現在、コロナ真っ只中。そして自分は実家侵入後、手を洗ってない事に気がついた。
現時点では、実家の勝手口のドアノブと自分の靴しか触れていないが、ソーシャルディスタンス×2の距離を取るため、即座に手を洗う事にした。
今のところ、母には触れていないし、1メートル以上離れている。大丈夫だ。
とりあえず手洗いを済ませ、2メートル以上離れ会話を続けた。

「熱はどれくらい出たの?」

「38度」

境界線はこえていた。
しかし、今は下がったらしい。
かかりつけ医に相談したら診療を断られ、田舎ではそこそこの大病院、もしくはスーパー大病院に行けと言われたらしい。コロナ渦において、

発熱患者は、如何なるものも診られない

というのがその理由だ。

とはいえ、まずその

生牡蠣

が原因だろうと断定され、発熱もそれが要因と言われたそうな。したらば経口補水液をのみ安静にするほかない。
私は距離をとりながら、まあお大事にといいながら、米を担いで家に帰った。

しかしだ。

何で夏に生牡蠣なんて食うかな。

そんなアスリートみたいに全力で、金メダル級のあたりを引き寄せるようなこと、なんでするのかな。

たしかに今の日本はオリンピック一色で、実家ではテレビに柔道が映っていた。
母は何かにあてられてしまったに違いない。
だから

全力で生牡蠣を頬張ったのだ。

多分。

思えば母は、若い頃からよくあたっていた。
引きが強すぎるのだ。
焼肉、イタリアン、赤貝。さまざまなものに、真正面からあたってる。

特に印象的だったのは、旅先の中華街で1人だけ何かにあたったことだ。あまりの苦しさに中華街の漢方薬屋に入り薬を調合してもらい飲んでいた。
そして、中華街のど真ん中にある全く中華じゃない喫茶店に母1人で入り、腹の痛みが治ったら、優雅に1人コーヒーを飲むという、異国情緒溢れるコトをしていた。
かわいそうだが、あの喫茶店は居心地が良さそうで、羨ましいとおもったものだ。
ちなみにそこのコーヒーはすごくおいしかったらしい。

そして腹を壊した(トイレに座ると蛇口ひねるように水が出たという)翌日。
母は炎天下の中、屋外の仕事に出かけた。

母は仕事ジャンキーだった。

でもきっと、母は無事に帰ってくるだろう。

他人の痛みは分からない。
どんなに苦しんでいようとも私は感じないから知らない、と嘔吐する私の隣で、困った顔で言い切った母は(どうして困った顔がは忘れてしまった。ただ発言と顔が全く一致していないので印象的だった)狂気じみていて強く、むしろ振り切れてカッコよく、決して近寄りたくなかった。

ゴジラの様な生き様の、ガラスのような腹の母。

こういう人間に、私はなりなくない。



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