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親子でも分かり合えない事がある、ということ。

私はこの日本という国において、生まれ落ちたその瞬間からちょっとしたマイノリティである。
そのマイノリティ感は時代とともに変化していて、今の時代では、私はマイノリティでもなんでもなく差別される対象でもなくなっている。
それでもうっかりその事実を口にすると
「えっ!?」
とめちゃくちゃに驚かれ、しっかり壁を張られてしまうという日々を、現在もなお送っている。

所変わればきちんとマイノリティ。
そんな今日この頃なのだが。

実は最近になって、私にはそのマイノリティ的なやつを2つ持っている事を知った。
一つのそれは上記の通り、もはやマイノリティでなくなりつつあるが、もう一つは今も昔も、むしろ時間が経つにつれ、ますます差別的になっている。
私はこういった匿名風の場所でも、それを一切口外する事ができない。
差別というのは恐ろしく根深く、それは何代も受け継がれる事を、私はその身をもって知っているからだ。

私がマイノリティであるのは事実なのだが、私の両親は決してマイノリティではない。
むしろマジョリティとしてバブルな人生を謳歌した人たちで、就職氷河期やらロスジェネやらも一通り超えつつ逃げ切り世代として、比較的安定した老後が見込まれる人たちである。
色々私とは大違いで驚いているが、これが現実。
そんな私たちが分かり合えるのか、というお話である。

私のマイノリティな部分の一つは、その複雑な家庭環境だった。
ただ、私の子供時代は比較的裕福だったことから、それほど生活に苦労はせず、私はぬくぬくと育っていた。
そう、私は一般的なその家族構成のイメージ?に似合わず、なに不自由なく育っていたのだ。
そんなわけで、たまに(決して稀ではない)
「この人達可哀想に見せかけて全然可哀想じゃないじゃないズルい!」
という大変身勝手な方からのイジワルを受けて、嫌な気持ちにさせられたくらいで、幼少期は本当に大した苦労もなく育った。

問題は大人になってからで、結婚、出産など様々なイベントで自分の生い立ちを再確認させられた。
またそれを外部に話さなくてはならず、それは私をなんとも言えない気持ちにさせられた。
またその家族構成を友人などに話すと
「そういう話は、気分が下がるからいうべきじゃないよね」
などと飲み会の場で言われ、なるほど君たち健全な家庭環境のマジョリティ人間の前では、私は家族の話すら許さないのだなと、大変卑屈な気持ちにさせられた。
その話題を振ったのは私ではないのにと、私は彼らを今すぐ、あの声がでかく笑顔の恐ろしい女性マナー講師のもとに連れて行きたくなった。

差別ってね、思想の問題というよりマナーの問題だと思うんですよ。
腹ん中は好き勝手考えればいいんですが、それを表に出すか出さないかはマナーなんですよね。
せめて出すなら場をわきまえる、伝え方を工夫するとかですね。ホラ、色々ありますでしょ?
とはいえ、ありのままの家族を語ると白けるからやめれ、というのは、暴力的な圧力の差別なので、どこでもアウトだと思うのですが。
自分がショック受けたからって、私を黙らせないで下さる?嘘つけってか?あ??

そんなこんなで、時々私はマジョリティな方々の地雷を踏み抜き、微妙な気分にさせて生きている。
それは私の両親とて同じ。
彼らは私のそのマイノリティ的な側面を全く理解できないらしい。
それは私の持つ、家族構成以外の、もう一つのそれが発覚した時だった。

私はその事、つまりなぜマイノリティなのかについて、語る気は全くない。
ただ差別対象としての私が、その苦悩を、辛さを、悲しみを、自分の両親が一切理解しなかったという話がしたいだけだ。

私の両親は、初めてそのマイノリティが発覚した時、本当になにもしなかった。
自身は圧倒的なマジョリティだから、なにをそんなに心配するの?人類皆兄弟みんな仲良しでしょといった感じで、私が困ると訴えても、一切何もしなかったのだ。

いや、違う。
正確にはこうだ。
彼らは、私たちに任せて!なんとかする。と言いながら、何もしなかったのだ。
それは何もしない以上に罪深く、それは私にとって、人生最大といっていいほどの裏切りだった。
でも問題はそこじゃない。
本当の問題は、彼らは自らが裏切り行為、嘘をついた事を一切認めない事だった。

私はその事実に驚いた。
協力はする、といったのに裏切ったよね、というと、彼らは当然のことのように堂々と
「だってそうするしか無かったもの」
というのだった。
ならば、なにも出来ない、と伝えるべきでしょう?なにもしないつもりだったらそうするのが筋でしょ、というと
「じゃあどうすればよかったの!」
と、怒鳴り散らした。

私は、自分の親というものが、ここまで言葉の通じない人間だとようやく理解し、閉口した。
その事を知るのに随分と時間がかかっていた。
自分自身でも呆れるしかなかった。

現在、私の両親は、その家庭環境以外のマイノリティの件について、私が生きる上で必要な事が生じた時は、さまざまな手助けをしてくれる。
相談には耳を傾け、何も言わず私の意見に同意をしてくれるし、その件でさまざまな場所に出向く時、子どもたちの世話もしてくれる。
ただ、発覚当初の困難は凄まじく、その時私はたった1人でそれにに立ち向かわなくてはならなかった。
手伝わない、とだけでも言ってくれたら、困らない事がたくさんあったのだ。

彼らが無責任に
「なんとかする」
と発言しただけでとても困ったのに、彼らはその事を謝ろうともしない。
私はその無責任さに怒っているのだが、どうもそれが理解できないようなのだ。
とっくに還暦を過ぎた人間のやる事なのかなと、私はいくつものクエスチョンが浮かぶ。
彼らと分かり合えることはないだろうと、諦めた瞬間だった。

家族も所詮他人というのは、理解したつもりでいた。
けれどここまで不毛なやりとりをすると、自分のなかで、いつか分かり合えると信じていたことを思い知らされる。
でもその思い込みは、何度も繰り返したどうしようもないやり取りの中で、徐々に徐々に変えられていった。

マイノリティの件について、両親と私は平行線のまま交わることはない。
けれど両親は、今となっては私に協力的だ。
理解できぬまま協力的というのは、皆不思議に感じると思うが、それは私の両親にとって、孫という存在がいるからだ。
私に逆らえば、孫と会えなくなることはよく分かっているらしく、表面上は仲良くやっている。
お互い都合の良いときに利用し合う関係は、案外、気楽でちょうどいい。

結局、私は恵まれた人間なのだ。
だから分かり合えぬとも知らずに、今までぬくぬくと生きてきた。

今後も私は、マジョリティになることはないだろう。
その身の上を生涯秘密にし、この国で生きていかねばならない。そうしなければ現実世界でも、このネット空間でも地獄を見る事を、私はよく分かっている。

私が今、心配するのはその先のことだ。
差別は脈々と引き継がれる。
薄くなったり濃くなったりしながらも、この先、私たちが生きているうちは、ずっとそれは存在する。
何を変えればよいのだろう。
でもそれは、私たちの次の世代が考え、見つけていくことなのかもしれない。

色々考えたけれど、嘘をつかないこと。
即ち誠実でいること。
マナーを学ぶこと、守ること。
それが生きる上で大事なことと知る。
(誠実でない人に誠実な対応はしませんけどね、私は。マナーは自分の品位を下げたくないので守りますが。)

そうそう、子が生まれて最初に出会う他人って、親なんですよ。
結局のところ、他人とは分かり合えないんだなと、ドライに生きていく所存です。


#思い込みが変わったこと

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