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あの時に欲しかったもの

来年度から我が家の長女が、小学生に入学する。
そのために必要な書類を、夫婦揃って確認、記入し、
「あぁ、うちの娘も来年から小学生なんだ、早いなぁ」
などとありきたりなことを考えていた。

そうこうするうちに、娘の就学前健診という大切な日になった。健診会場である、彼女が通う予定の小学校へ、娘とふたりで手を繋ぎ、歩いてそこに向かった。

小学校は相変わらず小学校だった。
手書きではちゃめちゃに書かれた、手を洗おうのポスター。色が変わってすっかり飴色になった床。背の低い手洗い場。
小さな机にひらがなで書かれた名前たち。
そこには私の記憶となんら変わりもない小学校があって、ひどく驚いてしまった。

私はかつて、この小さな場所に閉じ込められていた。
小学生になってすぐに、意地の悪い子どもたちと底意地の悪い教師に目をつけられた私は、ゴールデンウィークが終わるとすぐ、虐めれらる日々が始まった。
あの教師に言わせれば、目をかけていただけのことなのだろうが、私はおろか家族にまで屈辱的なことを言い放った教師と、それに贔屓されたあの意地の悪い子どもらは実にイキイキと過ごして、私は気分が悪かった。
いつか不幸になればよいと、小学生故の純粋さで心底願い、いまだ心の中で祈り続けているのだが。

その記憶がまじまじと蘇ったのは、いまの居住地の教育委員会のお偉いさんの顔を見てから。
かつて生徒を狡猾に虐め、コントロールしていた教師がそのお偉いさんとなり、就学前健診の手伝いをしていたのだ。

彼女は国語教師だった。
国語教師というのは、体育教師に次いでエゴの強い教師だ。
彼らの教える国語、とくに物語なんかは、作者の本当に言いたいことなど誰も知りもしないくせに、平然と教師用の教科書に書かれたことを我々に教え込む。
実際、高校の現代文の教師に
「この文章を書いた作者が、この文にまつわる問題を解き、100点満点中30点しか取れなかったという事があった」
と言われた時には、私はなにを勉強してるのだろうかと、虚しくなったことがある。

とにかく彼らは、また彼らの中でも出来の悪い者は、おそらくだが持論を教えがちになるだろう。
そこには数学のように証明も、理科のように再現性もエビデンスも必要ない。実に曖昧な世界を、自らの考えのみを無理やり教え込むことが可能だからだ。

彼女の国語の授業が果たしてそうだったかは、今となっては分からない。
彼女の国語の授業は退屈ではなかったし、むしろ面白かった記憶すらある。
ただ、それはほんの一部。
彼女に対する記憶のほとんどは、その性格の悪さが露呈する発言に終始する。

彼女は時折、気に食わない生徒を皆の前で吊し上げるクセがあった。
部活に来ない生徒に対し、どうしてこないのだと、部活に全く関係のない国語の授業中に、突然問い詰めるのだ。
不必要に理不尽に詰められ、下を向き顔を一切あげようとしなかったその生徒を、私は一生忘れないだろう。彼は何も話さなかった。

私もその吊し上げにあったことがある。
校外学習の際の、市外へ行く電車のルートを、学年全員の前で執拗に確認されたのだ。
電車に乗りどこかに行く場合、通常
「〇〇線□行き普通電車にのり、△で下車」
まで理解していれば、大丈夫なはずだ。
しかし彼女は、そこまで聞き、私が間違えないことを気に食わないらしく、何番ホームか聞いてきた。

私は驚いた。
その路線はホームが常に一定で、間違えようがなかったからだ。

田舎のJRのホーム数は少ない。
だから迷いようがないのだ。無論彼女はそれを知っているはずなのだが、それでも彼女は聞いてきた。
私は答えられなかった。
その場所に行けば分かるものを、わざわざあの分厚い路線図をみて調べる必要はなかったからだ。
私が分からないと答えると、彼女はしたり顔で嬉しそうにべっとりとした笑みを浮かべた。
その笑顔は、とても気持ちが悪かった。

彼女はそうやって生徒たちを掌握していった。
あの小さな箱にいる子どもたちをコントロールするのは、彼女にとって正に赤子の手を捻るようなものだろう。
彼女は、目立つ暴力も暴言も吐くことなく、生徒の些細な引け目を、皆の前でえぐり出す。
それで皆を萎縮させ、手中に収めていた。

また飴をつかうタイミングも絶妙だった。
彼女は、自身の受け持ちだった新入生に対し、体操着の着こなしを上手にアドバイスした。それにより彼女のクラスは、上級生から目をつけられずに済んでいた。
私に、牙を向かずに従順でいたら、必ずメリットがある。
そのように見せかける事に、彼女はとても長けていた。

そのような性悪な人物が、20年以上も経ったにもかかわらず、まだ教育に関わり、なおかつ権力まで得ていたことに、私は絶望を感じた。
彼女は他でもない、前述した手技を駆使しその立場まで上り詰めたのだから。

きっと彼女は、否、彼女らはこのnoteを、このお題目に集まったnoteを見ることはないだろう。
それはこのnoteの審査員の方々が1番よく知っているはずだ。
彼女らは信じて疑わない。
学校の主役は教師達、それから教育委員会であるということをだ。

生徒はあくまで大量の小道具にすぎない。
バラバラの彼らを、粒を揃え美しく磨き上げるのは教師の仕事で、そこに生徒達が入り込む余地はない。そう彼らは信じている。
一応、生徒会というものを生徒の自治を目的として存在させているものの、意味をなす事はなかった。某教育本の表紙に、子ども本意で考えない学校の実態と思い切り書かれているのが、その証左だろう。

さて、みらいの校則。
生徒だけが守らなければならないという、そんなものが果たして必要なのか聞いてみたい。
早い話がこういうこと。
校則を作るなら教師もそれに準ずればよいのだ。

そうすれば何が必要か必要でないか見えてくるだろう。
髪型はおろか髪色の指定、持ち物一つ一つのデザイン指定、そして下着の色の制限は、果たして本当に必要なのだろうか。
私が大人になって学校の先生を見た時に、髪を染めたことが一度もない者、黒一色のカバンしか持たぬ者、白い下着のみ着用する者など見たことがない。
それが意味するのは、模範となる人間にそれらは必要ないという事だ。

逆に必要なモノもある。
体育の授業の際、手足の爪が長すぎれば怪我の要因になるだろう。家庭科の授業でもそう。
だから安全性を考え、当然教師も生徒も爪を短く切り揃える必要がある。
また、授業において適切な服装というものがあろう。例えば技術の授業の際に女子生徒のスカートは不向きだ。そのような場合、安全性と合理性を考え、服装を指定する事は必要と感じる。長袖長ズボンにゴーグルを必ずかける等など。
それらを守れない者は授業に参加させないなど、安全を第一に考えてルールを設定したい。

そもそも教育は、まず安全であることでなりたっている。
廊下を走り転んで骨折、皆勤出席のために、お腹を壊した生徒が休まず出席、結果集団食中毒では話にならない。
安全に授業を受けるためのルール。
それが主たる理由ならば誰しもが受け入れられるはずだし、受け入れなければならない。
それは絶対に必要な事だ。

果たして校則というルールは、そういった事をきちんと考えて作られているのだろうか。私はとても疑問に思う。
非合理的なものがありすぎるのだ。
第一教師がその必要性を言葉にできないのなら話にならない。
だからこそ、教師も実践し共に考えていく必要があるのではなかろうか。

そして、みらいの校則というなら欲しいものがある。年次休暇だ。
教職員はみな年次休暇がある。
体調を整えたり、家族のために使ったり、遊びに出かけたり、自由に使える休暇があるのだが、生徒にはそれはない。
生徒とよばれる子ども達にも、それは必要だ。

学校が、社会に出るための前準備というのなら、適切なタイミングで休暇を取り体調を整えるという経験は必ず必要だろう。
また上記した女教師のような、意地悪くひどい人間は社会にはたくさんいて、私はそれと2人きりにならないために、うまく年次休暇を利用した。
そういう生きる術も、社会に出る前に学んでいて損はない。
また生徒たちの、健全な家族交流のためにも年次休暇は必要だ。親は必ずしも土日休みとは限らない。親と一緒に休みを取り遊びに行くことは、大切な一生の思い出になろう。
私の家族の仕事は平日休みだったから、家族と出かけた記憶はとても少ない。これに思い悩む家族がかなり多い事を、子どもと休みが常に同じ教師達は案外知らないのではないだろうか。

なんにせよ、昭和のように、暴言を吐き生徒を殴る教師達が社会的に許されなくなる世の中が、やっと見えてきました。
学校は治外法権などと度々いわれるように、教師達はどんなひどい事故があろうと、そこに重大な過失が隠れていようと、しぶとく教壇に立ち続けたりする。部活動での体罰、それによる生徒の自殺もまだ比較的最近のことです。また、教師による教師のいじめも、凄惨なやり口でした。

かつて子どもだった私は、一体学校に何を求めたのだろう。
もう長い時間が経ちすぎて、それをすっかり忘れてしまった。
少なくとも私は、もう校則を作り出す立場ではない。だからもう、当事者のように考えるのは困難になってしまった。

いまの子どもたちが何を求めるかは分からない。けれど、子どもたちにとって学校がより良い場所になるように、保護者としてきちんと見つめたい。
それが保護者の務めだと、私はそう考えている。

#みらいの校則

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