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サラダの境界線。

今日はサラダ記念日だったんですね。
言われてみれば今朝、車のナビゲーションシステムが、今日はサラダ記念日です、と話していたので、確かにそうだったんだなと思った次第。

さてサラダ。
つい最近、レタスをちぎっただけのものを
「サラダにしたよ」
と食卓に出した所、夫に
「これはサラダではない」
と言われました。
これはレタスをちぎっただけのものだと。
たしかにその通りなわけですが、ではその差はなんなのか、という話です。

「きゅうりを切って入れたら、普通に立派にグリーンサラダでしょうが。だからこれもサラダだよ」
私は反論しました。
ただ、食卓に出されたそれに、きゅうりは入っていません。
「だからだよ。コレにきゅうりは入っていない。だからこれはサラダじゃないんじゃない?」

ふーん。むーん。
私は頭を抱えました。
でも、ドレッシングをかけて食べると、これは立派なサラダの味がします。
だから、私はそのまま伝えました。
いや、この味はどう考えてもサラダだよ、と。

いや、でもさ。
そう夫が言いかけた時、私はそれを遮り、無理やり覆い被せて言いました。

そんなもん、食えば同じ味がするんだから、立派なレタスサラダだろ!
なんか文句あんのか。

と。

いや、そんなつもりじゃなかったんだ。
納得できない表情でしたが、圧力に負けた夫には申し訳なさが滲み出ました。
ごめんなさいは?
私は畳みかけました。
いや、そこまで言う?あ、いやごめん。
夫は、あまり申しわけなくなさそうに言いました。
いや、私もなんか悪かったよ。ごめん。
今度は私が謝る番でした。


私は昔、まだ20代の結婚する前、サラダを作るのが苦手でした。サラダというものが一体なんなのか、何を入れるのか、全くさっぱり分からなかったのです。
ニンジンを生で薄く刻むのか。トマトに放射線状に包丁をいれ、切るのか。
それとも、ハムやツナ、ゆで卵を入れるのか。
キャベツを千切りにし、カサを増すのか。
とにかく全く何が何やら分からなかったのです。
あまりにもサラダというものには、バリエーションが多すぎて、そのスタンダードというものの全貌が見えず、私は苦心しました。
カレーや肉じゃがには、入れなければならない具材があり、これという基本がありますが、サラダは自由すぎます。
けれども私は、結婚するタイミングで知ってしまったのです。

サラダはレタスをちぎれば良い

と。


分かります?皆様。
サラダなんてものはですね、レタスをちぎっておけば、大体サラダの味になるんですよ。
そもそもサラダの味って、野菜のシャキシャキさ(レタスのシャキシャキ)とドレッシングの味なんですよ。
だからレタスちぎって好きなドレッシングかければ、もう美味いサラダなわけです。
肝心な味といえば、新鮮な野菜を用意さえすれば、あとは

全てドレッシングにかかってる

ので、

日本が誇るキューピー

に丸投げすればいいです。
めちゃくちゃ色んな味のドレッシングあるよ。

宇多田ヒカル

もかつて、アメリカのマヨネーズよりキューピーマヨネーズのがうまいっていってたよ。
というか、赤蓋のキューピーマヨネーズはマジ美味いよ。


本当、サラダって一体なんなんでしょう。
未だにちょっと迷子になりそうですが、デパ地下の豪華サラダは夢があって楽しいです。
買いたくなる気持ち、分かる分かる。
サラダ、綺麗だもんね。肉も入って、さらに果物も入っちゃってね、素敵よね。

サラダの境界線はなんなのか。
野菜をちぎっただけの違いはどこなのか。
我が家は

具材を2品以上にする

という結論に落ち着きましたが(多分)皆様はどうですかね?どうなんですかね、誰か教えて。テルミー。
私は世間の意見がしりたい。

最後は豆知識で締めたいと思います。
知ってる?サラダ味のサラダはサラダ油のサラダなのよ。
みんな知ってると思うけど、日本のサラダ味は全然ヘルシーじゃない。でもおいしい多分おいしい。

おいしいは正義です。
おいしいものはたのしいです。
だからみんな、美味しいもの食べて、明日も頑張ろう。
織姫も彦星も、あえるといいね。



おわり。

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