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好きなものくらいしかないから

まだ年齢がギリ1桁の頃わたしは学校も習い事もすべて人間関係がイマイチというかかなりよろしくなくて、どちらかというと光のすくなめな子ども(伝わるかな)だったのだけど、そんなときすがる先は自分の持ちものしかなかった。お祭りで買った300円のキラキラバトンとかハッピーセットのうさぎのおもちゃとかそういうのをひとりでさわってあそんでいることが生きる理由のすべてだったときも全然あった。だからわたしはその頃好きだったモノを捨てることはぜったいに出来なかったし今もそんなにできない。あの頃のわたしはわたしがそんな大人になることを望んでいないはずだと思っていたから。
わたしの部屋はここ10年ほとんど同じモノが置かれていて、同じレイアウトのままで。しかもモノが減らずに増えるということは収納場所が足りておらずつまり散らかるということ。わたしはそんな部屋で寝起きしていた。子供部屋のままの部屋で。

ひるがえって今年の話をする。病院にばかり行っていたような気がしないでもない1年だったけどそれはアレルギーだったりもうほとんど治りかけの脊柱側弯だったり、でもいちばんは柏の某クリニックさんのお世話になった。ほんとに。2つ目のバイトで詰んで(詳しくはこちらhttps://note.mu/kaeru3/n/n198ec0ab7c1f )人生をいろいろ考えなおしてなんかほんとにしんどかったけどそれがあったから重い腰を上げて検査を受ける気になって、そしたらわたしの「『生きづらさ』の原因」は名前がつくんですよと言われた。わたしとしてはHDMIだろうがMIDIだろうがMSCZだろうがわたし自身のなかみが変わるわけじゃない(そとがわが変わることはあえて否定しない)けど名前がついてすっきりした部分はやっぱり大いにあるから悪いことではなかったしむしろ良かった。でも辛かったことも結果良かったよねなんて言わない、いまは。だって辛かったんだもん。わたしはまだ若人なので、辛いことはできればないほうがいいとか思っちゃう。

さて、何日か前の夜わたしはふと思い立って部屋を片付ける気になった。なぜかはよくわからないけど「すっきりした」ことと無縁ではないと思う。明らかにいらないものを捨てるところから始まって最終的にゴミ袋にして約10コ分のモノと、棚まるまる1つが部屋から出ていった。そのほとんどが決してゴミではなくて(それこそ不要なプリントみたいなものはほんとうに僅かだった)、ただ「あの頃のわたしが大事だったもの」だった。

キラキラバトンもハッピーセットのおもちゃも、あの頃のわたしにはそれしかなかった。でも今はそうじゃない。人間関係はいくらなんでもさすがに小学生のクソみたいに狭い世界と比べたら広く深くなったし(ほんとにありがとうございます)宝物だってもっとたくさん増えた、かわいい服とかお菓子の缶とか口紅とか。だから今の私にとっては役目を終えたキラキラバトンとはさよならしても、大丈夫。ありがとう。きっとまたどこかで君を思い出せば、また会える。ハッピーセットのおもちゃも、すぐ取り出せるところに置かなくてもいい。好きなものくらいしかなかった女の子はおとなになっても社会が微妙に向いてなくてやっぱり好きなものくらいしかないときがあるけど、それでもこんな感じで少しずつ進歩をしているので、こんなわたしを2019年もどうかよろしくお願いいたします。

#日記 #エッセイ #コラム #大掃除 #おもちゃ

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