2018年12月31日(月)

大晦日ということでベッドのタオルシーツとジーンズ二本を洗った、大変に疲れた、手があまりにも冷たい水に濡れてもうだめだった。三日ほど実家に帰るので冷蔵庫に入っていたほうれん草しらす生卵を筆頭に諸々の余り物を混ぜ込んで醤油と鶏がらスープの素を振り掛けたパスタが作られた、何か知らないけれどもやたらと美味かった、パスタを啜りながら見たテレビでは【嵐にしやがれ】の再放送が映されていた、二宮君は面白くて格好いいからそれだけで冷たい水に奪われた体力が回復した。中央線で立川に行って何もせずに歩いて国立まで戻ってカフェ併設の書店に行ってカフェに行って作業してまた書店に戻って堀江敏幸の【傍らにいた人】が買われた。母校が高校サッカーでぼこぼこにされていた、と書いたら図らずも駄洒落になった。

実家に帰って年越し蕎麦とカリフォルニアロールを食べた、そのあとは紅白とガキ使を回しつつごろごろする想定だったが何故かポケモンのジグゾーパズルをやることになった、物凄く楽しくて2019年の趣味になりかねなかった。演歌のバックパフォーマンスとして124人が連続でけん玉を成功させるという大変シュールな光景を見れた、大変盛り上がっていていいことだった。二画面で片方をSASUKEにしてもう片方を紅白にして音声を紅白に合わせていると大変緊迫感のあるサードステージのBGMとして氷川きよしの伸びやかな声が流れていてそれがあまりにもアンマッチであまりにもだった、その後に続く椎名林檎と宮本浩次の【獣ゆく細道】は多少マッチしている気もするが宮本の存在感の吸引力が凄まじくてSASUKE側が視界に中々入ってこなかった。平成最後の紅白はゴジラも出ず感動の押し売りもほぼないからテンポがよく、コラボを含めた演出も歌唱もよくて凄かった、平成最後のという文言が安売りされ過ぎていて生前退位も電通が絡んでいるという疑念を抱く程度にはネット社会に毒されていた、明日からもしばらくは平成が続くことを忘れがちだった。

2018年は旅行の年だった、燕三条と札幌に行った、燕三条では人生で一番美味いと断言しても一向に構わないレベルの焼き魚、のど黒の塩焼きを食べた。札幌ではずっとトリプルファイヤーを聴いていた、前々から存在は知っていたがべらぼうにはまって本格的に聴き出したのは2018年だったからトリプルファイヤーの年とも言える。札幌駅から路線バスを二本乗り継いで少し歩いて辿り着いたモエレ沼公園は今年のベストプレイスだった、その時耳元でずっと流れていた【質問チャンス】のソリッドながらどこか抜けていておちゃらけたクイズ大会が始まりそうな感じのイントロ、「活きのいい質問 ぶつけて来い!」という切実な叫びは、あの瞬間においては日本で一番人口密度が低い公園だったのではないかと思えるほど広大かつ人気のないモエレ沼公園の本域へと続く石畳の道、枯れかけた白木が並んでいる風景と分かちがたく結びついてしまった、私は【質問チャンス】がランダム再生で流れてくるたびあの風景を思い出すことになった。あとは2017年の冬から書いた初めての小説がすばる文学賞で予選通過していたのは結構ポジティブな出来事というか、結局はall-or-nothingの世界なので意味がないとも言えるけれどもそれでも何となくの方向性が掴めてよかった、ここに記すことでこれからも頑張るぞ、という意気込みを示しておくという意図があるとのことだった。

↑に書かれている西暦は全て「去年」「今年」「来年」と入力して変換されたものだった、私はこのiPhoneというか近年のコンピュータの予測変換機能を今初めて知った、2019年最初の行いは、「今年」と入力して「2019年」が出力されるかを試すということになりそうだった。
#日記 #エッセイ #小説 #創作

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