2019年2月15日(金)

朝、中野駅のデッキで政治家が演説していた、普通はもっと改札に近くて駅を利用するために収斂する誰しもが耳にせざるを得ないような場所で行われるから珍しかった、男のそばに立て掛けられた政党の看板には二人の人間の顔が写されていた、目の前で喋っている男がどっちなのか判別がつかなかった。どちらでもあるような、どちらでもないような、別にどっちでもよかった。演説界における一等地であるところの駅前広場では別の女が演説をしていた、残念ながら誰しもが歳を取ります、と言っていた、私は一昨日誕生日を迎えたばかりだったから、もしかするとあそこにいた中で一番、次に年齢を重ねるのが遠い人間だったかもしれない。

簿記の受験票が届いて場所を確認すると祖師ヶ谷大蔵とあった、昔あの辺に住んでいた、母がかつてパートとして働いていたメロンパン屋があった場所だ。あとは大学の友達が今はどうか知らないけれど当時住んでいて、アセロラ鏡月を求めて酔っ払いながら近場のコンビニを彷徨ったことがあった。というのは今思い出した。テキストを読みながら苦悶の表情を浮かべて「簿記三級 一週間」で検索した、「簿記三級」と検索窓に入力したところで検索履歴がサジェストされた、そこには「十日間」「二週間」「一ヶ月」などが並んでいた。

ナンバーガールが再結成するとのことだった、札幌で解散したあの夜がもう十七年も前のことになるらしい、当時十歳だった俺は、小学校も塾も休んで、親の目を盗んで初めて一人で飛行機に乗って札幌に向かった、それまでは家族旅行で訪れた熱海が関の山だったから最長到達地点を大幅に更新したということになった。それでライブは進んで最後のナンバーを迎えようとしていた、煙草を咥えながら前口上を述べた、こう言ったあのー、まあ、1995年夏からの、われわれの自力を信じてやってきた、このナンバーガールの歴史を、今ここに終了する。福岡市博多区からやって参りました、ナンバーガールです、ドラムス、アヒト・イナザワ。それでドラムスが叩き鳴らされ、【OMOIDE IN MY HEAD】が始まった、俺は自分の中に存在するたった十年分の思い出で満たした頭を懸命に振った、そこからはもう記憶がなかった、気づいたら家で明日の宿題をやっていた。

#日記 #エッセイ #小説 #創作

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