2019年1月27日(日)

およそ三年ぶりに車の運転をした、「いざという時」に備えてペーパーの状態から早めに脱却したほうがよいという判断が家族会議で下された、「いざ」はいつ来るかわからないしなるべくなら来ないでほしい。エンジンをかけてサイドブレーキを解除してレバーを下げて「D」に合わせるという作法は身体に辛うじて染み付いていてよかった、しかし久々の運転というには時間が長すぎたというか一時間半くらい運転して心の摩耗を感じた。自分の身体の動作が車体の動きと連続しているという感覚がまるでなくて恐ろしい。

そんな思いをして府中から高島平までを走破した、今となっては母方の伯父の家、一昨年の秋に祖母が亡くなるまでは祖母の家を訪れた。伯父は部屋のセンスが途轍もなく良くて同じ血が流れているとは俄かに信じられなかった。というかそもそも母方の血筋はずっと画家で、私が遺伝というものを信じないとしたら真っ先に挙げるであろう物証が私の絵心の皆無さということになる。訪問の名目は荷物整理で、祖父や曽祖父の絵画やその下書き、祖父と祖母の間で交わされていた大量の恋文、難産だったらしい伯父の死に備えて拵えられた十字架、見覚えはあるが飾られている場所を思い出せない謎のオブジェ、また戦争に行った際のグッズ、グッズという言葉はそぐわないか、とにかく写真とか表彰メダルとか血の付いた手拭いとかが出てきて、歴史~、という感じだった。取捨選択の判断は孫である私より娘息子である母伯父のほうがシビアというか思い切って捨てていて、案外そういう距離感なのかもなという妙な納得があった。曽祖父はおろか祖父ですら私が生まれて一年も経たずに昇天したから面識がなく、画家であったというのは聞かされていたがそれは言葉の上だけで、その言葉の上だけで完結していた知識が、こうして作品とか下書きを目の当たりにすることで二十六年目にして初めて実感が伴った、何と言うか頑張ろうと思った。何をか?

嵐が活動休止とのこと。

#日記 #エッセイ #小説 #創作

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