2018年12月25日(火)

吉田健一【私の食物誌】を隙間時間に読むという生活が続いている。

(ステーキを指して)その塊、或は切り分けた一枚一枚に惹かれるのが、経験でそれがどんな味がするか知っているからか、或は純粋に視覚的にそれを美しいと見るのかは、これはどっちとも言い難い。
吉田健一【私の食物誌】(中央公論新社) p189

我々が対象Aに対して美しいあるいは何らかの評価を下すとき、現前している対象Aのみに対する純粋な評価を下すことは極めて難しい、意識的であれ無意識にであれ、過去の何らかの経験が表出してきてその価値判断に影響を与えることになる、という話は今更感があるがこれをステーキというある種の俗側に属する事象で説明しているのがよかった、その後芸術とか天体とかについての言及もないではないがそれも二行くらいで終わってすぐに食物の話題に戻ってくるのも吉田健一だった。過去に得た経験や知識が今現在を措定するという摂理から俺たちはどうしたって逃れられない、人間は記憶の生物だから。

もっと文章とか小説について深いところまで考えて学習していくべきなのか、それともずいずい実作していくべきなのか、それを並行していくべきなのか、そのためには時間がないので労働に関するあれこれを本格的な見直しが必要になるのか、そういうことを延々と考えていた。この日記の質からして生活を丹念に振り返る余裕がないことは明らかだった、アンチ労働スタイルを身につけていこうな、と誰かが言った。
#日記 #エッセイ #小説 #創作

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