Xジェンダーについて語らせて 第1回 一人称~「私」でも「俺」でも自分は自分

きちんと作文の書き方を教わったのは小学1年生だったと記憶しているのですが、当時の先生からこう指導されたことを覚えています。

「男の子は”ぼく”、女の子は”わたし”と書きましょう」

で、当時の私は思ったのです。

「わ・・・"わたし"・・・?俺が”わたし”と?書かなくちゃいけないの?」

と。



私の場合、物心ついたときからスカートが苦手で、赤色の持ち物がしっくりこなくて、もう昔から「自分は女ではない」と思っていました。
なぜか、自分はポケモンの「ミュウツー」の生まれ変わりだと信じ込んでいました。
最強やん。
今は赤いものも、かっこいいやつなら好きですけどね。

保育園時代は一人称で自分の名前を言っていても世の中を渡り歩けたのですが、ランドセルを背負うようになると、ちょっと社会性のある文章も書かなければいけなくなるのです。
だから先生は「男の子は”ぼく”と、女の子は”わたし”と書け」と教えたのだろうし、その先生の価値観を否定するつもりは一切ありません。

ただ、私には辛かったのです。
身体は女性なので、一応”わたし”と書いていましたが、
“わたし”と書くたびに、「本当は違うのに」と、現実に向き合わなくてはいけないことが、辛かったのです。



この文章では「私」を使っていますが、社会に出ると男性もフォーマルな文章を書くときは「私」って使いますよね。
だから、「私」は「社会的一人称」と自分は捉えていて、違和感なく書くことができています。

でも、過去のnoteをさかのぼってもらえれば分かるのですが、記事の中で一人称がギュンギュン変わっていることがあります。
これ、喋っている時でもそうなんですよ。

「私こないださ、○○さんにこう言われたの。で、俺ムカついたわけよ。だから、こうやって言い返したんだけど。でも振り返ると、あれは言い過ぎたかなって思ってるんだ、僕」

みたいなことが嘘ではなく、しょっちゅう起こります。
聞いている方はきっと混乱しているだろうな・・・と思うので、そうなってしまったときはひどく反省していたのですが、もうどうにもできないので、今はあまり気にしていません(笑)
特に勢いで喋っていると一人称のコントロールができなくなるのです。

素の自分はどの一人称がしっくりくるのか、強いて言うならば「俺」ですね。
友人には「俺」です。
先に書いたように、もう生まれついてから心の中での一人称は「俺」だったように思うのですが、小学5~6年生くらいの時に、なんだか自分で自分に嘘をついているみたいで我慢できなくなって、友達の間で使い始めました。
会社では「私」なのですが、酔っている時や雑談中など気が緩んでいる時に「俺」が出ちゃうことがあります。
スルーしていただけてますけど。


成人式の時、5年ぶりに地元の友達に会ったのですが、その時は桃色の振袖を着ていたこともあり(これも正直辛かった、性と服装の関係についてはまたあとで書きます)、慣れない口調で「私さ~」としゃべったら、

「え?お前が”私”?もう”俺”って言ってないの?」

と、なぜか複数人の同級生が寂しそうな顔でこう問いかけてくれたので、

「いや、俺さ」

って言った瞬間に、みんなが笑顔で「なになに?」と聞いてくれたのです。
あれは嬉しかったな・・・。

結論、何が言いたいのかというと、セクシュアリティに迷われている方がもしいらっしゃっても、「好きな一人称を使って、自分が心地いいように生きませんか?」ということです。
使い続ければ、周りが変わっていきます。
私の場合はそうでした。

たぶん、「人の目を気にしてやりたいことができない」ことにも通じるのですが、どうしても曲げられないことは、曲げる必要なんてないと思います。
どうしてもやりたいことがあるなら、やった方がいいし、やらないと自分が心の健康を害していまいます。


「自分らしく生きる」ことって、周りの人を「諦めさせる」ことも含むのではないかって思うんです。


「こいつ、何回言っても直さない。いや、もう直らないんだな」って。
自分の中でどうしても直らないもの、それが自分らしさなのかなと、最近考えるようになりました。




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