お母さんの手
私が中学生のころの話だ。
中学生のころ、近所の塾に通っていた。
入学した年の春にできた、ぽつんと小さな塾。
私は、中学生生活の3分の1くらいを、この塾で過ごした。とにかく入り浸っていた。
塾長は、年齢不詳の綺麗な女の先生だったけれど、とても親身になって接してくれた。
学校の先生よりも、身近で、思春期まっさかりの私は、怒られたり励まされたりしながら、塾での時間を過ごしていた。
私が通い始めて2年目の夏。
仲良かった子3人と一緒に、塾長の家に泊まらせてもらえることになった。
一通りお勉強をして、塾長の片付けが済んだ22時頃、塾長の車にみんなで乗って、塾長の家へ向かった
途中、TSUTAYAによって、ホラー映画のDVDを借りて、コンビニでおやつなんかも買ってもらったと思う。
塾長の家は、塾から車で15分くらい、住宅地にあるアパートだった。そんなに古くない、よくある感じのアパートだ。2階建で、塾長の部屋は、1階の角部屋だった。
部屋に入ると、間取りもまあよくある感じで、あんまり生活感のない、綺麗な部屋だった。
入ってすぐ、目の前がダイニングで右手にキッチンがあった。左手に、トイレや浴室があるようだった。
ダイニングの奥に、6畳くらいの部屋が一つ。
その部屋の右奥にも、同じくらいの部屋がひとつあった。
どの部屋も収納できるような引き戸で、つながっていたので、広いワンルームのような印象だった。
塾長は着いて早々、奥の和室に布団をひいてくれた。
みんなで、借りた映画を見よう、という時、塾長が「塾に忘れ物をした」と言った。「取りに行ってくるから、先に見てて」と。
一緒に泊まった子の1人が、塾長と個人的に話したいことがある、とのことで、その子と仲の良いもう1人が、塾長と一緒に出て行った。
残された私ともう1人は、ダイニングの奥、リビングのようになっている部屋で、ソファーに座ってテレビを見ていた。
2人掛けの小さなソファーだ。
部屋の角に、小さなテレビがあって、バラエティがやっていた。
小さなソファーの真後ろは、磨りガラスの窓になっていた。
ソファーに座りながら、塾の友だちや先輩たちなんかの噂話をしていると、突然、バンッと大きな音が響いた。
ハッとして、後ろを振り返ると、磨りガラスにべったり手が張り付いていた。
人ではないような、妙に、黄色い手だ。大きな手が、ガラスに張り付いていた。
びっくりして、友だちと2人、叫び声を上げながら、和室の布団に潜り込んだ。
5分ほどして、そっと様子を見ると、その手は、無くなっていた。
そのまま、友だちと2人、布団の中に隠れていて、しばらくして塾長たちが帰ってきてから、手のことを話した。
塾長が磨りガラスのを開けて、外を確認してくれたけれど、すぐそばに物置があり、子どもか華奢な人がようやく入れるくらいの隙間しかなかった。
塾長は、車で1時間のところに実家があるため、このアパートには、あまり来ないらしい。なんとなく、暗い雰囲気がするから、なんて話していた。
そのうち話題は、塾のメンバーの恋の話なんかになって、恐怖を忘れて、楽しい夜を過ごした。
それから半年くらいして、すっかり寒くなった頃、塾長が「そういえばさ、夏にみんなで家に泊まった時、変なもの見たよね?あれの原因、分かったかもしれないんだよね。」と、話し出した。
相変わらず、塾長は、あまりアパートには帰らず、実家に帰ることにしていたらしい。
すごく忙しい日やよっぽど疲れた時だけ、アパートに帰って、ソファーで少し休んだりしてたようだ。それでも、なんとなく頭痛がしたり、疲れが取れないことが多く、実家に帰ることが多かった。
そんなある日、アパートのポストに、手書きの手紙が入っていた。すぐ上の階の住人からで、内容は意味不明なところもあったらしいけれど、まとめると母親が亡くなったこと。その遺骨を納骨できずにいたら、部屋から変な音がすることがあること。お宅は大丈夫ですか?というような内容だった。
「こないだの手さ、このお母さんだと思うんだよね。」
と塾長は、話していた。
あれからしばらくたって、私自身、塾長の年齢に近づくと、担がれていたような気もしなくもない。
けれど、中学生活、たくさんの楽しい思い出の中に、ホラーな思い出まで作ってくれた塾長に、今は、感謝している。
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