田中泯さんの『名付けようのない踊り』を見ながら、自我とアートについて考えたこと(その2:アート オブ コミュニケーション)
一つ前の話はこちら(ワタシがいない話)
田中さんのドキュメンタリー映画の中で、
「踊りとは、踊る自分と、それを見る人の間に生まれる」
というくだりがあって、色んな人にそれぞれの意味で刺さった言葉なんじゃないかなぁと思っているのですけれど。
私がこれを聞いてふと思い出したのは、共感コミュニケーション(Non Violent Communication:NVC)を教えてくれたトレーナーたちのこと。
そもそも私がNVCに足を踏み入れたのは、前職で仕事として学ばせてもらったキャリアカウンセラーの実技試験で、40%の人が受かるという試験に3回も落ちてあまりにショックだったから(それまで人生で試験に落ちたことがなかったのに落ちたのが悔しくて、自腹で実技試験専用の塾にまで行ったにもかかわらず。よっぽどですね。。。)
3回目の試験の実技後の質疑応答で、なんとしても受かりたい私は、実技中に至らなかった点を挽回しようと審査官の人に色々アピールしようとしたわけです。でも、そんな私を見透かしたかのように、審査官が黙ったまま、めちゃくちゃ暖かい空気で私を包みまして。カウンセリングってこうやるのだよ、とでもいうような、言葉じゃないそのエネルギーフィールドみたいな体験。もう小賢しい言い訳をいっても意味がないことを瞬時に悟り、うっかり悩み相談したくなりました。結局落ちて、その理由に書かれていたのが、「言葉ではできているけれど、雰囲気が冷たい」(苦笑)。
それで奮起して、キャリアカウンセラー講習でも採用しているカール・ロジャーズの体系を汲む、弟子のマーシャル・ローゼンバーグのNVCを学び始めまして、海外のトレーナーに直接ついて学んだんですけどね。そのトレーナーの人のカウンセリング技術を目の当たりにして、すごい!とは思うけど、自分でそれができるようになるとは到底思えず。
「いつまで経ってもできる気配ないんですけどっ!」
というと、
「Kae、あのね、これは学校の教科で学ぶような勉強じゃないから、理解したらできるっていうものじゃないんだよ。アートだからね。」
私の場合は何ができないかというと、相手の話していることを、私の中の「ワタシ」のストーリーで応答して色々考えちゃうので、相手のそのままを感じることが全然できなくなっちゃうっていうこと。まあ、相手を感じられていないので、私が頭で考えたことを発しても相手には全然響かないわけですよね。
そして、口を酸っぱくして言われたのが、相手をなんとかしようとか、相手を助けようと思わないこと。結果を期待しないこと。起こることが起こるからそれで良いのだということ。
そう言われてもさぁ、、、って思いません?
だって、カウンセリングをする、という時点で、なんとかしてあげたいと思うし、結果を期待するものですよね??
ここで冒頭のセリフがでてくるわけです。
「踊りとは、踊る自分と、それを見る人の間に生まれる」
神業的なカウンセリングをするトレーナーたち(ほぼ何も言ってないのに、ただ話を聞いているだけでクライアントが変化しちゃうやつ)は、まさに自分がやっていることは「踊り」である、っていう風に表現する人もいるぐらい。カウンセラーとクライアント、という役割分担はあったとしても、実際には一緒にダンスしているだけであり、そこでのみ起こるダンスがただ現れるだけ。
ただし必要なのは、ただ話を聞いているのではなく、”カウンセラー自身が「ワタシ」がいないレイヤーの意識状態にアクセスしている”、ということなんじゃないかと、今なら思うわけです。一体どうやってるんだ!?と魔法のように見えていたNVCのトレーナーたちのセッションは、きっと相手のエネルギーや動きを感じながら、相手と手を繋いで一緒に意識のレイヤーを自由に登ったり降りたりしていたのだろうと思います。
「ワタシ」がガッチリとストーリーを手放さない自我のレイヤーより少し深い、自我じゃないレイヤーにクライアントが触れられると、一人でに悩みが解決できちゃう。ミヒャエル・エンデの「モモ」で、モモが話を聞いているだけで、話をしにきた人の悩みがみんな勝手に解決しちゃうみたいに。それができないと、いつまで経ってもクライアントの頭の中の自我のストーリーがぐるぐる回るだけで、全然悩みは解決しないという構造。アインシュタインの「どんな問題も、それをつくり出したときの意識レベルでは解決できない。」っていうやつですね。
田中泯さんも場踊りで「ダンサー」として踊っているわけだけれども、実際には田中さんの感覚としては「ダンサーvs.観客」という境界はなく、全体として踊りがそこに現れている、という感じなんだろうなぁ、と思うのでした。そして田中さんが踊っているときに潜っているレイヤーは、NVCのトレーナーたちが使っていたレイヤーよりもう少し深いところにありそう(だから観客が全員がそこに一緒に行けるかというと、そうじゃないことも多いんじゃないかなぁ。何かありそうという、直感的なことは感じたとしても)。
この自己認識のレイヤーに関しては、脳科学でもかなりわかってきているらしく、またいずれご紹介したいかも。
まだ続く・・・
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?